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気配り・バランス感覚・名前より実権――歴史上、成功したナンバー2は誰か?

気配り・バランス感覚・名前より実権――歴史上、成功したナンバー2は誰か?

城山 三郎 ,永井 路子

『はじめは駄馬のごとく〈新装版〉 ナンバー2の人間学』(永井 路子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『はじめは駄馬のごとく〈新装版〉 ナンバー2の人間学』(永井 路子)

 花より実をとった気配りの天才

 城山 私は、関白藤原道長というのは完全にナンバー1(ワン)型の人間だと思っていたのですよ。「此の世をばわが世とぞ思ふ……」などと歌い、栄耀栄華を尽していますしね。ところが永井さんの本(『この世をば』)を読みましたら、彼は初めからナンバー1志向ではないんですね。

 ナンバー1になる人はもう決まっているし、自分もそんなことは考えてもいなかったのだが、上の人間が亡くなったり、はずれたりして次第に自分の地位が上ってくる。それに応じて自覚も出てきた。つまり、ナンバー2(ツー)の人間がナンバー1になっていくんですね。案外、こういうことは珍しいことではなかったのではないかという気もするんですよ。

 永井 そうですね。道長は五男でしたから、当時の常識では絶対に関白とか権力の座はめぐってくる気遣いはなかった。せいぜい、よくて並び大名というか、閣僚級に入ればいいぐらいの気持だったのですね。それが、父が早く死に、兄も次から次へと死んで、思いがけなく自分にその番が回ってきた。もちろん力量もあったわけですが、そういうところから上った人でなければわからない人情の機微のようなものを知っているんですよ。兄の道隆とは非常に対照的ですね。

 道隆は長男ですから、次の関白は自分だという気持できています。自信もあるし、わりと冷酷なところがある。自分の悪口をいった男をうまく窓際族に仕立てちゃうのね。これがなかなかうまいんですよ。彼をどんどん出世させる代り、取締役ではあっても部下のないポストにつける。周囲の人は彼を出世させるのを見て、道隆はなかなか度量があると思ったりする。しかし、やられる方は海千山千ですから、道隆の狙いをよく知っている。そこで周りの人にどうか俺を出世させないでくれと頼んでまわるんだけど、とうとう出世させられちゃう(笑)。

 城山 なるほどね。

 永井 道長はそれを見てきていますからね。そのようなとき、人はどういう気持であるかを考える。いやな言葉だけど、この人の気配りは平安朝随一ですね。それがやっぱり、“2”にもなれなかった人が“2”になり、ナンバー1になってきた味というか、そんな感じがしますね。

 城山 その気配りも、いわゆる気配りがよくできるということを感じさせないのですよね。ごく自然になされる。

 永井 そうそう。彼には、実際、一種の陽気さがあり、これが救いですね。たとえば、没落してしまったかつてのライバルを呼び、一緒に宴会をやったりする。その人が遅れてくると皆相当でき上がっていて、ある男が、まあお楽に、お楽にと彼の上着を脱がせようとするんですね。この男は中位の役職の人で、これが彼のプライドを傷つけ、お前などに脱がせてもらうような俺じゃないと気色ばみ、一触即発の状態になる。すると道長がさっと出てきて、「私が脱がせてあげましょう」ととりなし、彼も機嫌を直す。

 また、その人がしょぼくれて行列の後の方を歩いていると、「自分の車にお乗りなさい」と乗せているのね。道長は総理大臣で、その人は中納言、まあ閣僚級でも下の方ですよ。

 このように、敵をつくらないというか、敵に人前で恥かしい思いをさせない、という気配りが道長にはありますね。

 城山 逆にいうと、道隆のようにナンバー1コースを走ってきた連中には、一種の驕(おご)りというか、自分で土俵を割っていってしまうところがありますね。

 永井 そうなんですよ。自信が裏目に出て失敗するケースはあるようですね。

 城山 勇み足というかね。でも、道長の「此の世をば……」というのは、自分の三人の娘が皇太后、女皇、中宮になったことがうれしいということだけのことで、それ以上の意味はなかったということですね。

 永井 ええ、それなのに威張り驕っているようにどうしていわれるのか、不思議なんですよ。今まで読まれている有名な歴史書には、あの歌は出てないんです。

 たとえば、道長に関して一番詳しい『栄華物語』にもこの歌は出ていないし、『大鏡』にもない。何に出てくるかというと『小右記(しょうゆうき)』。道長のライバルの藤原実資(さねすけ)という人が、道長の欠点を洗いざらい書き立てている、その中でとり上げられているんですね。道長は、そんなつもりで俺はいっていないと、今ごろ、冥土で泡食っているんではないかな。

 城山 ハハハ。

 永井 それに平安朝は、官僚社会、組織社会ですから、ワンマン社長ではできない時代でしょう。閣議一つやるにしても、下の人から発言するというルールがきまっている。また、古事先例といって、当時の六法全書を頭の中に叩きこんでおき、こういうときはこういう判決でしたからこの人の罪はこうすべきだ、とかね。で、その中で、各々の派閥の利害を背負って渡り合うわけです。道長は座長役ですから、こうした状況を把握して最後の議決をとる。

 よく、道長は御堂関白(みどうかんぱく)といわれてますけど、関白になっていないんですよ。関白になると議場に臨めないですからね。各々の思惑がわからない。下の人全体を摑むためには、やはり現場にいなきゃだめだと考えていたんですね。

 城山 名前はどうでもいいから、実権を放さない。“花も実も”というふうにいわずに、花は捨てて、実をとるという生き方ですね。

 結論的になりますが、良きナンバー1になるためには、良きナンバー2的な性格をもっていないとだめですね。単純なナンバー1型人間は危険ですね。

 良きトップは、良き「ナンバー2」的性格を持つ

 永井 現代の企業の方ではいかがですか。実際にご覧になって……。

 城山 日本の場合、うまくいっている企業は、ある意味でナンバー1がいないんですね。本田技研がそうです。本田宗一郎という技術畑の人間と、藤沢武夫という、販売、経営、管理の人間と二人がペアでいる。

 本田さんにいわせると、自分は社長じゃない、専務か技術担当重役だというんですね。実印はほとんど全部、もう初めっから藤沢という人に渡しちゃって、決裁は全部まかせてしまっている。しかし藤沢さんは、自分はあくまで副社長だからというわけですね。その意味でナンバー1がいないんですよ。

 永井 ああ、そうですか。

 城山 ソニーもそうです。井深大という技術畑の人と盛田昭夫という管理をしっかりやる人の二人がいる。井深さんは、経営や管理のことは盛田さんを初め何人かがうまくやってくれたので、自分は技術だけやっていればよかったといっている。盛田さんは盛田さんで、うちには井深さんという技術に素晴しい人がいたという、お互い、素晴しい人がいたといい、組んで仕事ができてよかったといっているんです。やっぱりナンバー1はいないわけですよ。

 永井 なるほど。

 城山 トヨタ自動車もそうですよ。工業の石田退三と販売の神谷正太郎の連携プレーがうまくいって世界的企業に躍進することができた。

 だから、日本で強い会社というのは、ナンバー1がいない会社ではないかと思うんですね。へたにナンバー1が強い会社になると、パーッと突っ走って、みんなバタン、バタンとなって経営が入れ替わるというのが普通ですよ。

 私は、良きナンバー1になるためには、自分の中にナンバー2的要素を持って育てていくか、それができなければ、ワンマンにならないか、そのいずれかではないかという気がするんですけどね。

 永井 なるほどね。そういわれると、ナンバー2で一番素晴しかったのは、やっぱり北条義時ですね。

 あの人は、絶対にナンバー1にならなかった。頼朝、政子というナンバー1がいますけど、自分が実力者なんですよ。それなのにナンバー2に徹しきっている。これはある意味で、政治がとことん好きなんです。

 会社にたとえれば、有名になりたいんでもないし、お金持になりたいわけでもない。とにかく経営の仕事が飯より好きだというようなタイプじゃないと、みごとなナンバー2はなかなかつとまらないんじゃないかしら。

 義時の場合も、位の昇進は望まない。あくまでも陰の人なんです。要するに、政治が飯より好きな男でないかと思うんだけど、やはり、一種のプロ根性がないと“2”はつとまらないんじゃないですか。

 城山 そうでしょうね。だから、ぼくは明治維新後では大久保利通がそうだったと思いますね。西郷隆盛とか三条実美などを立てておいて、彼は実務をしっかり握っている。ポストからいえば、内務卿ですからね。

 永井 そうです、そうです。

 城山 だから、ほんとうにナンバー2だけれども、政治は彼が全部やっているわけですものね。

 野望を押し殺せるバランス感覚が大切

 永井 私は、ナンバー2がナンバー1になるチャンスというのは一回しかないと思うんです。そのときにマズったらだめですよ。明智光秀がそうよね。彼はほんとうはナンバー2ですよ。信長の信頼は、秀吉などよりも光秀にあった。自他ともに許すナンバー2だった。だから、その一回のチャンスに賭けたわけよね。

 これは当然賭けるべきときだったからですけれども、残念ながらこのナンバー2は3(スリー)以下に対する目配りが足りなかった。だから自分が浮き上っちゃうのね。やはり、ただ一回反乱を起こすとすれば“3”以下を全部自分の手の中に入れておかないと、チャンスは一回だけですからね。

 城山 彼はそういうことが自分でわかっていなかったのですか。

 永井 わかってなかったですね。

 城山 とにかく信長を殺せばいいと。

 永井 ええ。そこから先の展望を持っていなかったんです。しかも保守的でね。もう時代は変わって、お飾りでしかないのに、天皇とか公家にばかり気をつかっているわけ。やはり足利義昭に仕えていた体質的な古さがあるんですね。

 城山 秀吉の持っている庶民性とか、下の人に対する目配り、気配りがないのですね。考え方が古いし、上に偏っている。

 永井 そうですね。だから上の人を倒そうということしか考えない。ナンバー2は、やはり下に対するものすごい気配りが必要でしょう。

 城山 小早川隆景もナンバー2ですね。秀吉も非常に買っていて、ほんとうにナンバー2としてほしかったのだが、先に死んでしまい、ガッカリしていますね。彼など、毛利家の中で吉川元春が死んでしまえばナンバー1になれますしね。そういうチャンスが再三あるんだけど、彼はそのような気持を持たないですね。

 永井 私は周恩来って一番すごいと思う。ナンバー2のナンバー1じゃないですか。

 城山 そうそう、ぼくもそう思う。

 永井 あの人って、いつの時代にもすごい人気あるでしょう。私は文革のときしか中国に行っていないけれど、もう、周恩来の人気は絶対でしたね。

 城山 文革中に行ったのですか。ぼくは文革後も行きましたけど、なお圧倒的でしたね。

 永井 そうでしょう。それでいてしかも毛沢東に憎まれないんだから、立派ですね。

 城山 小早川隆景なども、周恩来みたいになれる男だったでしょうね。

 永井 なれるタイプですね。力がありながら、その野望を押し殺せるというのが、やっぱりナンバー2の条件ではないでしょうか。

 城山 周恩来だって、その気になれば事を起こせたでしょう。事実、共産党の初期の段階では、周恩来の方が毛沢東より偉かったんですからね。

 永井 そうでしょうね。

 城山 それなのに、自分の執務室には毛沢東の像を置いている。晩年までね。ほんとうは自分の方が偉かったのだからいまいましいでしょうけどね。腹の中はどう思っていたかわからないが、ともかく、毛沢東を立てなくてはいけないんだということを、部屋に入った人にいい聞かせる形になりますものね。

 部屋も大変質素でね。周囲の人たちが見かねて、ある日、周恩来が旅行しているときに全部入れ替えたら、帰ってきて周恩来はカンカンに怒り、全部元のものに戻させたそうです。

 永井 みごとなもんですね。

 城山 そういう意味で、質素というか、名誉欲もなければ生活も派手にしないで、相当自己を殺せる人でないと、良きナンバー2はつとまらないでしょうね。

 永井 そうですね。でもやっぱり、醍醐味があるんじゃないですか、それだけ。富でも名誉でもない、ある種の何か(・・)、人間を駆り立ててやまない、本質的な欲望というかなあ。それがないとだめなんじゃないかな。

 城山 うん、うん。仕事の上の欲望といいますかね。恐らく彼は、情報は一番握っていたでしょうからね。毛沢東などは、もう上にのっかっているだけでしょうしね。その意味では、自分で全部情報を握って動かしている、そういう快感はあったでしょうね。

 永井 それに、歴史を見通す力はあったですね。しかも、絶対にバランスを崩さずに、“変”に備えるところがあってね。右に行き過ぎない、左に行き過ぎない。もし左に行き過ぎても、自分は落っこちないだけの、一種の精神的バランスというか、バランス感覚があった。これも大切ですね。

 城山 良きナンバー2は、良きバランス感覚を備えている、そうですね。

 大久保をみても、いろんなことがあったけれども、絶対に中央政権の座から離れない。これが西郷になると、理想が入れられないとすぐ怒って帰ってしまう(笑)。木戸孝允もわりに完全主義者だから、京都や長州へ行ったりしますね。ところが、大久保は絶対離れませんね。非常に粘り強く、権力欲とは違うんだけれど、とにかく簡単にあきらめないですよ。

 永井 そういう政治感覚のある人のことを日本人はすぐ、権力に憑(つ)かれたとか表現するが、私はそれは間違いだと思いますね。日本人は“権力”イコール“悪”みたいに、すぐ考えるところがありますでしょ。

 城山 だから、ナンバー2にもいろんなタイプがあってね。ナンバー1になれるナンバー2と、ナンバー2どまりのナンバー2、それから、ほんとうはナンバー3なのにナンバー2になってしまったタイプとかね(笑)。

 永井 ほんとうに、ケースバイケースですね。

 名ナンバー2に必要な能力は

 城山 もう一つ、良きナンバー2は、ナンバー1に直言できる男でないとだめですね。ナンバー1にゴマをすり、ご機嫌をとっていればナンバー2になれるけど、こんな男は間違ってなったというか、非常に危ない。

 永井 そうですね。

 城山 豊臣家の場合も、晩年は淀君が動かす形になり、そこに大野治長が加わる。この男はゴマすり人間でしょう。

 永井 まあ、ちょっとナンバー2になる器量はないですね。

 城山 でも実際には、彼らがナンバー1的仕事をするんですね。これはもうどうしようもない。

 永井 そうですね。結局、秀吉はそういった組織づくりに失敗し、良きナンバー2を育てられなかった。あの人はまあ、社長から受付けまでやりたいタイプですからね。だから困る。

 そこへいくと、家康は、組織づくりはうまかった。酒井忠次、榊原(さかきばら)康政、井伊直政、本多忠勝といった四天王をはじめ、適材適所に配置していく。でも、私は、徳川家康の時代をつくったナンバー2は、秀忠だと思うんです。彼は三代将軍家光との狭間にいてパッとしないですが、私にはこの隠れ方になかなかの魅力があると思うんですよ。徳川幕府の一番大事な基礎をつくったのは彼ですね。いつでも、「大御所様の仰せには」ということで、将軍になっても、父家康を立て、自分はナンバー2だよという顔をしている。やはり、政治が飯より好きな男なんですね。家康があきれ果てた堅物ですしね。しかも、これをうまく政治に利用する。

 自分の娘の和子が後水尾天皇のところに嫁ぐんですが、徳川の娘が天皇家に嫁にいくのは初めてなんですね。ここで一種の公武合体ができる。ところが、この婚約成立の間に後水尾天皇が、自分の近くにいる御所の女房に手をつけ、子供ができちゃう。秀忠はこれを知って、そんなふしだらなところにうちの娘はやれない、キャンセルするといいだすんですね。これ、家康にはいえないセリフです。

 城山 ハハハ。

 永井 天皇にとってみれば、婚約解消されたらメンツが立たない。そこで勘弁してくれと頭を下げてくる。「わかった」ということで結局、天皇家をおさえちゃうわけですからね。いわゆる徳川幕藩体制を、ほんとうにきめたのは秀忠ですね。この人は、ナンバー1になっても、ナンバー2精神を持ち続けた、タイプですね。

 城山 ナンバー1は、猪突猛進型であるのに対して、ナンバー2は、先程もいったように、バランス感覚があり、退くことも知っているわけです。そこで、現代のナンバー2タイプはというと、やはり瀬島龍三ですね。あのガダルカナル島からの転進を決定させたのは、若き参謀時代の瀬島なんですね。

 永井 あ、それはすごい。

 城山 日本の陸軍の歴史には撤退などはなかったわけですからね。いろんな選択肢はあるけど、とにかくここは撤退した方がいいという案を、敢えて出した。その意味では、やはり非常に優れたナンバー2人間の持つバランス感覚の良さがありましたね。

 だから、後に伊藤忠商事に入ったのですが、おそらくあの人は社長になろうとは全然考えなかったでしょうね。その伊藤忠を、繊維会社から強大な総合商社に実務の面で仕上げていった。

 今の臨調の仕事でも、表では土光(敏夫)さんを立てて、実務は全部あの人が取り仕切っている。やはり、現代におけるナンバー2人間の優れたタイプだという気がしますね。膨大な情報量を持っていますし、人脈も持っているんですが、絶対にスターにはなりませんしね。

 永井 この情報を収集するという能力は、ナンバー2の最大の条件ではないでしょうか。ナンバー1には情報はなかなか入らない。それをアチコチから情報収集して総合判断できる。そういう能力がないと、名ナンバー2にはなれないと思いますね。

 ナンバー2殺しに遭わないために

 城山 逆に、ナンバー1には、しきりにナンバー2殺しをやる人がいますね。企業にもよくそういうのがあって、自分の座を狙われないように、片っ端からナンバー2を切っていく。これは困りますね。ナンバー2として、殺されないためにはどうすればいいんでしょう(笑)。

 永井 むずかしいですね、それは。

 城山 ひとつは、簡単には切られないぞ、また切られてもすぐ盛り返すぞというように、いつでも敗者復活できるような粘り強さというか、打たれ強さを身につけることですね。

 それからやはり、ちゃんとした仕事とか情報量を持っていて、こいつを切ってしまったら、ものすごく大きな穴があいてしまうと思わせる実績を作っておくことでしょうね。

 永井 そうそう。

 城山 あるいは人脈。こいつを切ったら大変な反乱が起きちゃうとか、外からもやられちゃうとかね。社内だけでなく、外部にもいろんな人脈を持っていることが必要ですね。

 ぼくは『打たれ強く生きる』という本の中で、“乱反射する友を持て”と書いたんですが、社内の一部の人間、自分が可愛がっている仲間だけでは、これはどうしようもないわけで、内外に乱反射するようないろんな人間を仲間に持つことですよ。

 永井 やはり粘り強さが大事なんですね。パッと咲いてパッと散ろう、なんていう短気な心を起こす人はだめですね。

 城山 ここでおれを切ったら会社が危うくなるとかね。潔く切られちゃおうなんて思わないこと。プライベートな面で淡白さはあっていいが、組織の責任とか、公的人間の立場では粘り強さを持って、会社のため、組織のためにおれは去ってはいけないんだとね。あるいは、おれを簡単に切るようなことをすれば、ナンバー1も不幸だし、それ以上に組織全体が不幸になるという、そういった粘り強さを持って闘わなくてはいけないんですね。

 秀吉なんかは、家康を切りたかったんでしょうね。

 永井 切りたかったと思いますよ。

 城山 でも、切ったら大変なことになる。切れる立場にはあるわけですね。

 永井 あるわけです。結局、小牧・長久手の戦いでちょっとやってみて、これはだめだ、ということがわかった。

 家康の立派なところは、関東への国替えを敢えてうけいれたことですね。三河は自分の育ったところだし、三河兵団こそが自分の守りだった。親身の親衛隊でしょう。しかも、尾張三河といえば、先進地帯ですからね。人間だけでなく土地にも愛着を持ちながら、関東という低開発の地域へ黙って行った。やはりナンバー2というのは、ある時期、がまんすることがなきゃいけないでしょうね。

 城山 そうですね。

 永井 しかし、結局、関東に本拠を置いたということが徳川政権の長持ちのコツだったんでしょう。

 城山 ええ。だから個人的感情を殺して、集団として生き残るためには、三河を捨てて関東に行こうという、大きなソロバンがはじける人だったんですね。

 永井 さっき城山さんが、選択肢とおっしゃったけど、人間には常にそれがあるんですね。瞬間瞬間で幾つかの選択肢の中から、決意して一つ選んでいく。そのときの一種の冷静な判断というのは、長い目で歴史を見ることができるとか、物事の移り変わりが見られるということ。周恩来などは、そこを実にうまくやってきたという感じがあります。

 城山 バランス感覚があり、自己規制ができるんですよ。

 永井 家康にしても、関東への国替えは、非常に大きな決断だったでしょうね。秀吉から「さあ、どうだ」と短刀をつきつけられ脅された感じですが、「わかりました」といったものだから、秀吉もついに家康を切れなかった。そういう感じですね。

 家康という人は、ナンバー1になる芽は全然なかった人ですよね。それがだんだん上っていった。しかもナンバー2でいた時代が非常に長い。その間に、どうやったら自分の体制を長続きさせられるかを、ようく見極めていたんでしょうね。

 城山 自分でシステム的につくり上げていく、培養していく。これがやっぱりほんとうのナンバー2なんでしょうね。

ながいみちこ●一九二五年東京生まれ。六五年「炎環」で直木賞。八二年「氷輪」で女流文学賞。八四年菊池寛賞。二〇二三年逝去、享年九十七。

しろやまさぶろう●一九二七年愛知生まれ。五七年「輸出」で文學界新人賞。五九年「総会屋錦城」で直木賞。九六年菊池寛賞。二〇〇七年逝去、享年七十九。

(この対談は、単行本[1985年11月刊]の巻末に付されていたものです。)

文春文庫
はじめは駄馬のごとく
ナンバー2の人間学
永井路子

定価:770円(税込)発売日:2023年08月02日

電子書籍
はじめは駄馬のごとく
ナンバー2の人間学
永井路子

発売日:2023年08月02日

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