NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で話題沸騰! 鎌倉幕府の歴史をつくった謎の一族、北条氏
二〇二二年一月から、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まります。この時代をテーマにした大河ドラマは二〇一二年の『平清盛』以来です。『平清盛』では、私も時代考証でお手伝いしましたが、やはり大河というと、戦国時代か幕末が強い。鎌倉時代はどうしてもマイナーなイメージがつきまといます(今回の大河で、そのイメージが少しでも改まることを期待していますが)。
しかし、鎌倉時代を専門とする私としては声を大にして言いたい。鎌倉時代こそ、日本史の大きな転換点であると同時に、ドラマティックな面白い時代でもあるのです。
まずこの時代に、武士が日本史の新しい主役として登場します。朝廷を中心とした従来の支配体制に対して、彼らは軍事力によって、自分たちの権利を認めさせていきました。
もうひとつの特徴は、それが東国に基礎を置いていたことです。近世以前の日本の歴史は一貫して西高東低です。先進地域の西国が、遅れた関東・東北を従えるという構図に対し、源頼朝は鎌倉を拠点とする政権をつくり上げました。そしてはじめは関東ローカルの存在に過ぎなかった鎌倉幕府が、承久の乱、元寇などを経て、全国的な政権へと成長していったのです。つまり、鎌倉時代は、日本史の舞台を大きく東へと拡大した時代でもあるのです。
また、鎌倉時代は血なまぐさい、そして人間くさい戦いと陰謀の時代でもありました。武士のパワーの源泉は軍事力です。最後には力のある者が勝つ。それが彼らの基本原理でした。しかし興味深いのは、暴力と陰謀に明け暮れていた武士たちが、やがて「世論」の力を知り、さらには「統治」や「法による支配」に目覚めていったことです。
その鎌倉時代の主人公が「北条氏」でした。源頼朝が始めた鎌倉幕府ですが、源氏の将軍はたった三代で終わってしまいます。頼朝の死後、関東武士のリーダーをつとめたのは、時政、義時、泰時、時頼、時宗とつづく北条家の人々でした。
彼らは頼朝のように高貴な出自でもなく、当時の辺境といっていい関東の伊豆地方を拠点とする、ほとんど無名の一族でした。それが百年以上にわたり、日本を動かす集団のリーダーとなったのです。これも日本史上、画期的なことだといえるでしょう。
その北条氏のリーダーたちを見ていくことで、鎌倉時代を通史として捉えよう。それがこの本の目的のひとつです。そして、もうひとつの試みは、時政、義時以降、歴史に名を残した北条一族の個性、彼らが果たした歴史的役割を、リーダー論として論じてみよう、というものです。
実は、義時、泰時、時頼といったリーダーたちは、必ずしも生まれながらにしてトップの座を約束されていたわけではありません。北条家の嫡男とみなされていた存在は別にいて、彼らはさまざまな局面でその「実力」を示すことにより、リーダーとして認められていったのです。私はそれを「実力(武力、陰謀力)」、「人脈力(結婚などによる関係構築、人材登用)」、そして「根回し力(武士たちの「世論」を読む力)」の三つで説明できると考えています。
このうち、武力、陰謀力にはなんといっても決定力があります。ライバルの首を取ってしまえば、勝負あった、という世界です。しかし、これには当然、リスクが伴います。相手のほうが強かったら逆に滅びてしまいますし、一度、勝利をおさめても、勝ち続けられるという保証はどこにもありません。また力でねじ伏せた相手には必ず恨みを買います。将来に禍根が残り続けるのです。
この時代の人脈力で最も大きいのは、家族の力です。ライバルとの戦いの中で、最も頼りになるのはやはり一族です。しかし、その一方で、一族の内部でも熾烈な主導権争いが起こります。一族は最大の味方であると同時に、最大の敵でもある。これは、北条氏の歴史を見るうえで重要なポイントになるでしょう。
そして、私が本書で特に強調したいのは、「世論」の力です。鎌倉幕府は関東武士たちによる、関東武士たちのための政権として出発しました。そこで重要となったのは、いかに多くの味方を集めるかだったのです。一時的にイニシアティブを握っても、武士たちからの支持が得られなくなると、あっという間に失脚してしまう。
食うか食われるかの関東武士の世界でサバイバルし続けた北条氏はこの三つの力を駆使して、鎌倉幕府のリーダーとなっていったのです。そこには現在にも通じる、日本型リーダーシップの原型があるといえるでしょう。
(「はじめに」より)