- 2024.11.20
- 読書オンライン
警察史上、最大の未解決事件ともいわれる「警察庁長官狙撃事件」捜査終結こそがミステリーの始まりだった
城山 真一
『狙撃手の祈り』(城山 真一)
出典 : #文春オンライン
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
1995年、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きたこの年、警察史に残る大事件が起きていた。國松孝次長官狙撃事件である。この事件は、犯人逮捕に至らなかったばかりか、公訴時効成立の記者会見で、警視庁が“犯人”を名指しするという前代未聞の出来事があった。
警察を揺るがした未解決事件の謎に迫るサスペンスミステリー『狙撃手の祈り』の著者・城山真一が改めて事件を紐解く。
◆◆◆
28年前の平成7年3月30日。日本の警察機構のトップ、國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された。これこそ、警察史上、最大の未解決事件ともいわれる“警察庁長官狙撃事件”である。
当時、このニュースを見たとき、戦慄が体を突き抜けた。ただ、それでも「次は警察か」と妙に冷静だったような記憶がある。
理由は、この年、日本国内で衝撃的な出来事が相次いだからだ。1月には阪神・淡路大震災が発生し、國松長官が狙撃される10日前には地下鉄サリン事件が起きた。どこか恐怖の感覚が麻痺していたのだろうか。
もうひとつ、当時22歳の自分には、重苦しい空気への耐性ができつつあったように思う。この時代に20代前半だった若者たちは、後に「ロスジェネ」と呼ばれることになる。バブル経済が崩壊した直後の就職氷河期に苦しみ、これからも“お先真っ暗”な未来しかないという諦観が当時の私にはあったのかもしれない。
犯人逮捕に全力を注ぐ警視庁
警察庁長官狙撃事件で國松氏は3度被弾。銃弾は内臓を貫通し、出血多量の重傷を負った。手術では、心停止を繰り返し、10リットルの輸血を受けたともいわれている。にもかかわらず、事件から2か月半後、國松氏は職務に復帰している。負った傷の重さを考えれば、奇跡の生還としかいいようがない。
警視庁は、公安部が主導する特別捜査本部を立ち上げて、犯人逮捕に全力を注いだ。地下鉄サリン事件との関連が強いとみて、國松氏を狙ったのはオウム真理教との見立てで捜査は進められた。捜査線上では容疑者と思しき人物が何人も浮上。取り調べを受けたなかには、オウム真理教の信者だった警察官もいたといわれている。
この“警察庁長官狙撃事件”が再び世間の耳目を集めたのは、捜査が終結した15年後の平成22年のことだった。このころは、世の中がリーマンショックの影響から立ち直れず、バブル崩壊直後よりも嫌なムードが漂っていた時期でもあった。
未解決のまま公訴時効を迎える
「こんなことってあるのだろうか」
警視庁公安部の幹部が開いた会見のニュースを見て、思わずつぶやきがもれた。
事件発生から、ちょうど15年後のこの日。犯人を逮捕できないまま、事件捜査は公訴時効を迎えた。記者会見はその発表の場だった。日本の治安機構のトップを襲った事件は未解決。つまり、日本の警察は一敗地にまみれたのである。
この国では重要犯罪の検挙率はおそろしく高い。現在も90%を超えている。大きな罪を犯せば、ほぼ逮捕されるといっていい。それなのに警察組織のトップを狙った犯人を警察は逮捕できず、公訴時効を迎えることになった。どうしてこんなことになってしまったのか。警察の発表が信じられなかった。
腑に落ちない3つの疑問
驚きはそれだけにはとどまらなかった。会見の場で公安幹部は「犯人はオウム関係者」とはっきりと述べたのである。立件できなかった警察が、公訴時効を発表する場で犯人を名指しする。警察が公の場で負け惜しみをいうなど前代未聞だ。当然、マスコミは警察の姿勢を批判した。のちに警視庁は、オウム真理教の後継団体から名誉棄損で訴えられ、裁判でも敗訴している。
何かがおかしい。腑に落ちないことばかりだ。
得体のしれない違和感は、3つの疑問に起因していた。
結局、犯人は誰だったのか
どうして逮捕できなかったのか
犯人の動機は何だったのか
公訴時効のはずが何も終わっていない。むしろ、捜査終結がミステリーの始まりだった。
時効を迎えてからは、捜査中は明らかにされなかった犯人追跡の記録が次々と刊行され、テレビやネットのニュースでも報じられるようになった。(今年の春にも、事件の逃走に協力したという元自衛官の証言が全国紙の記事になっている)
胸のざわつきの正体
“警察庁長官狙撃事件”の文字を目にするたび、私の胸は、なぜかざわついた。「ロスジェネ」である私は20代でバブル崩壊、30代でリーマンショックを経験し、倒産する会社をいくつも見てきた。不況の波で会社は崩壊することもある。だが、警察組織は別だ。どれだけ事件を解決できなくてもつぶれることはない。公訴時効という“きまりごと”によって新たな事件の捜査へと向きを変えるだけだ。
公訴時効はいうなれば、強制終了だ。当事者の心に刻まれた思いはすぐには消えない。被害者や捜査関係者は、長く心の奥に抱えてきたもの、背負ってきたものを簡単には下ろせないのではないか。彼らの思いは漂流し続けるのかもしれない。大きな事件であれば、なおのこと。“警察庁長官狙撃事件”から感じる胸のざわつきの正体はここにあった。
ざわつきは、いつしか創作意欲に形を変えた。一方で、事件と向き合って何を表現できるのか、自分にそれだけの実力はあるのかという迷いもあった。とりあえず、できるかぎり情報を集めた。事件に関連する書籍だけでなく、ガセネタ、噂レベルのネット記事にも目を通した。やがて、捜査のときには光の当たらなかった事実がいくつか見えてきた。そこに登場する人物たちの抱えていた葛藤や苦悩が行間からにじみ出て、しばし目頭が熱くなることもあった。
未解決事件の背景
捜査をする側の話で印象に残ったのは、様々な事情によって、捜査がひとつのベクトルにまとまらなかったことだ。結果として、捜査本部は空回りを繰り返しながら15年が経過してしまったのではないか。
犯人側の話は、どれを読んでも興味深かった。しかし、確証に至っているものはないような印象を受けた。それもあって、まだ世に知られていない真相が隠れているように思えた。
やがて書籍で目にした、以下の二文が私の脳をたたいた。
身内の保身のために揉み消された
個人的な恨みを晴らす復讐にあった
これだと思った。もしかしたら未解決事件の背景にあるのは、壮大な陰謀や思想信条とは無縁の、人間臭い“いざこざ”だったのかもしれない。であれば、明らかになっていない、あったはずの“事実”を物語にして、事件に関わった人々の心情をくみ上げることができるのではないか。
準備を整え、昨年の春ごろから執筆を始めた。物語の太い柱は、過去の謎解きだけにとどめるつもりはなかった。自分なりにこの事件をモチーフにして、現代とつながるテーマを見出して、ひとつの物語にしたいと考えていた。
途中、執筆を進めていくなかで思いもよらぬことが起きた。安倍元首相が銃撃されたのである。ニュースを知ったとき、全身に鳥肌が立った。国の要人を狙った銃撃、しかも宗教が絡んだ事件という点で自分の描いていた物語と重なる点がいくつもあった。
何度も書き直して実感したこと
そのころは、物語のなかで「罪を犯した側」の人間を描いていた時期でもあった。安倍元首相の事件で加害者の抱えていた事情が報道で明らかにされるにつれて、世論が急激に変化していく。それは執筆にも少なからず影響を与えた。なぜこうなったのか。どう受け止めればいいのか。執筆の際、自問自答を繰り返した。思考がはたと止まり文章が書けなくなることもあれば、何かに取りつかれたように何時間も書き続けることもあった。
何度も書き直し、これで書ききったとようやく実感した。胸のなかにあったざわつきもいつしか消えていた。物語を最初に読んでくれた編集者が「これは“キタ”んじゃないですか」といってくれた。その言葉を聞いた瞬間、自分のなかで“警察庁長官狙撃事件”がようやく終わったと実感した。
自身の感覚を信じて書きあげた“公訴時効から始まった”ミステリー小説が多くの方々に届いてほしいと今は心から願っている。
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