原田マハさんの小説『キネマの神様』をシナリオに脚色するにあたって、登場人物の魅力的なキャラクターを生かしたのは当然だったが、ストーリーについてはかなりの変更をせざるを得なかった。小説通りに映画化するのが難しいケースはよくあるのだが、しかしぼくが行ったのは相当大幅な変更だったので、これを原田さんが了解して下さるかどうかを心配しながら、ともあれ脚本の初稿をパリに暮らす原田さんに送った。
若しダメという返事がきたらどうしようと不安を抱きながら待ち続けていたプロデューサーに来た返事は
「大きな変更です、しかし見事な変更です」
という言葉に代表されるお褒めの言葉だった。ぼくをはじめスタッフ一同がどんなに嬉しかったか分からない。原田さん有り難う、とあらためて言いたい。
「なによりも素晴らしいのは、本作を監督自身のものになさっていることです」
とも書かれていた。そこには創造に苦しみ悩む人間にだけ理解しあえるあたたかい思いやりの気持ちがにじんでいて、ぼくは嬉しさのあまり撮影台本の最後のページにその原田さんの手紙の文面を印刷してスタッフや出演者に読んで貰うようにしたくらいだ。
二月に撮影が始まったが、コロナ騒ぎですっかり長引いてしまって年末にようやく終わる頃、原田さんがパリから戻ってこられた。原作者に効果音や音楽の入っていない粗編集の映像を見せるのは監督にとっては気が進まないものだが、プロデューサーが是非というので仕方なく試写室でラッシュを見て貰った。原田さんがどんな感想を抱かれただろうかと、判決を聞く被告のような気分でオドオドしていたものだ。
それからしばらくして、原田さんがこの映画のノベライズを、自分の手でしてくださるという話をプロデューサーから聞いてびっくりした。ぼく自身の作品を誰かに委嘱してノベライズするというのは今まで何度も経験しているが、なんと原作者が、原作を大きくはみ出して作られた映画を元にして新たに小説を書くなんて聞いたことがない、というより映画の世界でこんなことははじめてではないだろうか。原田さんは何という大胆なことをなさるのかとぼくは呆れ、うろたえながら、どうぞお願いしますというような返事をしたものだ。
執筆で忙しい原田さんだが、仕事は思いもかけぬ早さだった。出版社から届けられたゲラを読んだぼくは、その面白さにひきずられて一晩で読んでしまった。確かに物語はぼくのオリジナルにほぼそって展開していくのだが、そのディテールにおいて、心理描写の繊細さにおいて格段の違いがある。なるほどこうすればいいのか、と思わずうなってしまうような箇所が随所にある。若い菅田将暉と永野芽郁のラブシーンもあるのだが、小説で読むと気持ちのゆらぎが巧みに描かれ、さすがは小説家だなと感心しながらもう一度そのシーンを撮り直したくなったりする。いっそこのノベライズを元にしてもう一度ぼくが映画を作り、それをまたまた原田さんがノベライズする、などという冗談めいたことをひとしきり想像したりして楽しんだものだ。
ともあれ、素敵な原作を映画化させて貰った上にこんな楽しい経験をさせて頂いた原田マハさんに心から感謝したい。