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「世界的規模の陰謀」を背景に日米の疑獄に新たな仮説

「世界的規模の陰謀」を背景に日米の疑獄に新たな仮説

文:奥山 俊宏 (上智大学教授・元朝日新聞記者)

『ロッキード』(真山 仁)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『ロッキード』(真山 仁)

 バブル崩壊以降の「失われた三〇年」を経済社会の深層からえぐって浮かび上がらせるストーリーの第一級の語り手であり、当代きっての小説家である真山仁が、初めて長編ノンフィクションに取り組んだ、その第一作がこの『ロッキード』だ。

 どの新聞記者よりも新聞記者らしく、どのジャーナリストよりもジャーナリストらしく、もつれて曲がりくねる細い糸をたぐり、関係する人を探しあて、愚直に話を聴き、そのようにして培った堅い地盤の上に、しかし、この事件について文字をつづったことのある数多(あまた)の記者、作家、官僚、法律家、政治家の、おそらく誰よりも高く雄大に想像の翼を羽ばたかせ、日本とアメリカの双方を一望の下に事件の裏と表の双方を俯瞰し、新たな仮説を提示するのが、この作品『ロッキード』だ。

 戦後最大といわれる底なしの疑獄を相手に、フィクションとノンフィクションの境目にある、おそらくそうであったのだろうとハタと気づかされ、納得させられる大胆で緻密な仮説が、この作品のなかで次々と提起される。その文面からは、いま許されるギリギリのラインを狙い澄ましたのであろう緊張感がびんびんと伝わってきて、この作品の読者の多くは、そのスリル感を味わうのに病みつきになってしまいそうだ。

 ここから先は、いわばネタばれになってしまうので、この作品未読の人は目にするのを後回しにしてほしい。その前提で、たとえば、裏社会と政界を暗躍した右翼のフィクサー、児玉誉士夫の通訳としてこの事件に登場する福田太郎に注目する。

「事実を重ねると、福田はウィロビーが重用した大物エージェントだったとも言えるのではないか」

 福田について、真山はこの作品『ロッキード』でそう叙述している。

 ここでいうウィロビーというのは、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの右腕としてその総司令部すなわちGHQで諜報の責任者を務めたチャールズ・ウィロビー少将を指す。

 福田は、ユタ州生まれの日系アメリカ人として、ジュニア・カレッジまでの教育をアメリカで受けた後、戦前に来日し、早稲田大学を経て、満州電信電話会社に就職した。同社は実質、帝国陸軍・関東軍の直轄機関であり、ソ連や中国の通信の傍受や欧米向けのプロパガンダのための謀略放送を担っていた。「それは米国側から見れば、明らかに敵性行為だ」ということになるはずだが、終戦後、福田は通訳として巣鴨拘置所で勤務し、GHQのために働くようになる。その巣鴨で、戦犯容疑者だった児玉と出会う。児玉が釈放されて自由の身となった後は、家族ぐるみの付き合いを続け、ロッキード社に児玉を引き合わせ、それがロッキード事件へとつながる。

「私のような小説家は、福田はそもそも満州電電に勤務していた時から、米国の情報部員として、満州や関東軍、そして中ソ情報を米国に送っていたのではないかと妄想してしまう」と真山は本作品『ロッキード』につづる。「もしかすると、福田は、児玉とCIAのパイプ役だったのではないか」

 その根拠として真山が提示するのは、一九五三年に東京の「東西南北社」から福田訳で刊行された書籍『ウイロビー報告 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件―』だ。

 リヒャルト・ゾルゲはソ連のスパイとして、太平洋戦争開戦への道を突き進む東京に入り、在日ドイツ大使館や日本の知識人らから信用を得て、日本が北進してソ連を相手に戦端を開くのか、それとも、南進して米英を敵とするのかを探り、ソ連に情報を送り、ロシアのショイグ国防相によれば「ソ連軍の作戦立案に重要な役割を果たした」とされる。一九四一年に特別高等警察に逮捕され、四四年に巣鴨で処刑される。プーチン大統領が二〇二〇年に「高校生の頃、ゾルゲのようなスパイになりたかった」と告白するほどにロシアでは英雄として扱われている。

 マッカーサーがこの書籍に寄せた序文によれば、このゾルゲ事件は、単に、日本で摘発された局部的な事件にとどまるのではなく、ソ連、中国、米国にまたがって戦後も続いた極東謀略に関連し、世界的規模の陰謀を背景にしているのであり、その主な活躍の舞台は中国・上海であり、それは、中国本土が共産党によって支配されるに至る原因になった、とされている。

「われわれの日本占領期間中、軍情報部は日本警察の協力を得て、日本内外の共産主義勢力に対する警戒と監視の任務遂行上、若干の民間的業務を行つた」

 ここで言う「われわれ」は、この序文の筆者であるマッカーサーとその司令部の情報部長だったウィロビーを指すのだが、もしかしたら、この文章を日本語に翻訳した福田もそれに含まれているのかもしれない。

 彼らの認識によれば、ソ連、中国、米国、そして日本をまたいで世界的規模で共産化を推し進めようとする陰謀があり、ウィロビーらはそれらを調査し、監視し、水面下の諜報で闘っていた。

「その目的を成就するためには、児玉が適任者だと判断され、協力者(アセット)にしたいと米国は考えたのではないだろうか」と真山はつづる。「米国人には到底理解できない日本の政財界や闇の紳士との交流はもとより、表では処理できない案件の始末屋として、児玉は使えた(・・・)

 ソ連や中国の共産主義に謀略で対抗するために、一九四七年、米政府の諜報の元締めとなるべく中央情報局、すなわちCIAは生まれ出て、児玉はそのアセットとなる。

「現地のアセットを指揮監督するための人物を、工作官(コントローラ)という。コントローラーは可能な限り、目立たない方が良い。(中略)アジア系ではない米国人は、日本では動きにくい。そこで白羽の矢が立ったのが、福田太郎だったのではないか」

 CIAのアセットとしての児玉を操る役目を担ったのが福田だった疑いがある、というのだ。

「児玉が通訳として福田に目をかけたのではなく、福田がアセットとして児玉を見付けた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のだ」

 莫大な資金と暴力団や右翼を背景に、児玉は自由民主党の結党を助け、同党の領袖たちを陰に日向に支援した。そのようにして日本の共産化を防ぎ、天皇制を守ろうとした。それは米国の利益とも合致していた。

 一九七六年二月四日(日本では五日朝)、ロッキード社から児玉や日本政府高官らに三〇億円が渡ったとされる疑惑が米議会上院で暴露されると、その二日後の二月七日に福田は血便のため東京女子医科大学病院に入院した。疑惑をめぐって大騒動が続くさなかの二月半ば、福田は病床で新聞記者の取材に次々と応じ、「児玉氏をロ社に紹介したのはあなたか」との質問に「私だ」と答えた。同月二六日、東京地検特捜部の検事による取り調べに応じ、以後、連日の聴取に、福田は、ロッキード社から児玉への一〇億円を超えるカネの流れを認めた。

 疑惑が発覚してわずか一カ月あまり後の三月一三日に特捜部が真っ先に児玉を罪に問うて起訴した際には福田の供述が脱税の裏付けの決め手となり、その後、ロッキード社の幹部らを対象とする嘱託尋問を米国に求めるにあたってその根拠資料としたのも、福田の供述調書だったとみられる。

 しかし、政界へのカネの流れについての捜査がまさに佳境に差し掛かろうとする五月二八日、五九日目の取り調べが最後だった。福田は、五月三一日ごろから黄だんが出て危険な状態に陥り、六月一〇日、肝硬変のため、あの世へと旅立った。特捜部の手元に三五通の供述調書が残された。

「福田が死の間際に東京地検特捜部に協力したのも、彼がコントローラーだとしたら、腑に落ちる。検察の捜査をCIAの思惑通りに進ませるための戦略だったのではないかと考えるのは、私の妄想に過ぎないのか。仮にもパートナーだった児玉を、なぜ、裏切るのか。それは、福田の祖国(アメリカ)への最後のご奉公が、検察をミスリードすることだったからではないか――」

 ここで真山の言う「ミスリード」というのは、アメリカ政府首脳が嫌う前首相・田中角栄に捜査の矛先を向けさせることであり、また、アメリカ政府やCIAにとって役に立つとみなされたそのほかの政治家、たとえば、中曽根康弘らをして捜査の網の目をくぐり抜けさせて、日米関係への傷を最小限に収めること、いや、むしろ、日米関係のバランスをさらにアメリカ側に有利に傾けさせることだったのだろう。

 

 一九八〇年代に五年にわたって総理大臣を務め、日米関係の蜜月を築いた中曽根について、真山の筆鋒はとても鋭い。

「あれほど国産兵器にこだわっていた中曽根が、国防会議ではPXL国産化の白紙還元について、静観したのが不可解である」

 防衛庁長官として次期対潜哨戒機(PXL)を日本独自に開発する方向性を決定したはずの中曽根が、一九七二年一〇月九日にあっさりと、それを白紙にするのに同意し、ロッキード社のP−3Cの購入へと道を開いたことに真山は疑いの目を向ける。

「児玉が中曽根に、何らかの政治的請託をしていたとしたら、その見返りに相当額のカネを渡した可能性はかなり高い」と指摘する一方で、「中曽根という男は、カネでは転ばない気がする」とも迷う。ロッキード社から児玉に渡った二一億円について、「その一部でも児玉が中曽根に渡した痕跡は見つかっていない」と慎重である一方で、「ロッキード事件に深く関与していた」と言いきる。

 自民党幹事長だった中曽根が七六年二月一九日朝、総理であり自民党総裁でもあった三木武夫の意に反して、ロッキード事件を「もみ消す(MOMIKESU)」ことを依頼するアメリカ政府へのメッセージを米大使館に託したことをとらえて、真山は「果たして中曽根は、何をもみ消したかったのだろうか」と問いかける。

暴かれては困る秘密(・・・・・・・・)があったのだろう。(中略)中曽根の秘密が暴かれていたなら、角栄は破滅しなかったのではないか」

 このように想像の翼を羽ばたかせる対象は、福田と中曽根だけではない。田中の前任首相の佐藤栄作、田中の秘書官だった榎本敏夫、全日空社長だった若狭得治らについて、これまで多くの人の知るところではなかった新たな取材結果を根拠に、新たな仮説を打ち立てている。それらの文面は、読むのに手に汗を握らせるのに十分な緊迫をたたえている。

 

 同時代に現存する人や組織、あるいは世論の動向に絶えず慎重に気を遣い、名誉棄損とならないように、また、世間の非難を浴びないように、証拠で裏付けられたり、公権力の捜査によって指し示されたりする客観的な事実のみを伝えていく「報道」から、史実の欠漏を想像で埋める「歴史小説」が許される「歴史」へと、時代が移り変わるのは、ある事典によれば、おおむね二世代、四〇~六〇年くらいを経たころだという。

 ロッキード事件はまさにその狭間にある。

 現職の総理大臣だった政治家・田中角栄が米国の航空機メーカー、ロッキード社から一九七三年八月一〇日、一〇月一二日、七四年一月二一日、三月一日の四回に分けて合計五億円の賄賂を受け取ったというのが、ロッキード事件の中核である丸紅ルートの起訴内容だ。だから、この作品『ロッキード』が文春文庫として世に出る二〇二三年暮れは、事件の「発生」から満五〇年が過ぎつつある真っ最中だといえなくもない。しかし、真山は、そんな検察のストーリーにも果敢に挑戦していく。曰く「四回に分けて?」「最も人目を避けたい行為を、なぜ四回も繰り返すのだろうか」

 外国為替管理法違反の疑いで逮捕され、受託収賄の罪にも問われて一審、二審で実刑判決を受け、上告中だった田中角栄が一九九三年一二月一六日に亡くなってから満三〇年となる節目、この作品『ロッキード』が文庫化されるのがそんなタイミングであることは間違いない。

 にしても、この事件には、いまだ解けていない謎が数多くあまりにも深く深く沈んでいる。だから、多くの人はその謎解きに魅せられる。

 

 この作品のもととなる原稿は、二〇一八年五月から二〇一九年一一月まで、つまり、平成の最後の一年の初めから令和の初年が終わろうとする暮れにかけて、週刊文春で「ロッキード 角栄はなぜ葬られたのか」とのタイトルで七二回にわたって連載された。それに大幅な加筆修正を施し、連載の終了から一年あまりを経て単行本として刊行されたのがこの作品である。アメリカはドナルド・トランプ大統領、日本は安倍晋三首相が政府を率いた時代であり、ニクソンとか田中角栄とかがはるか昔の歴史に思えるのは当然だろう。

 しかし、この作品『ロッキード』で展開されている物語は今も色あせず、血痕のどす黒い赤色と、事件記者の好奇心をかきたてるきな臭さを鮮明に保っている。

 日米関係を専門とする人たち、あるいは、諜報の世界に棲息している人たちの認識によれば、中国を中心にロシアや北朝鮮によって東京で行われている謀略は今も盛んであり、アメリカは日本と連携してそれに対抗し、台湾海峡、あるいは朝鮮半島で熱い戦争がいつ起きるか状況を注視し、火花を散らしあっている。それは、GHQのマッカーサーやウィロビーがゾルゲのスパイ組織を追及していた当時と同じ構図だと言って過言ではない。

 そして、それら東西のスパイらが暗躍するなか、まるでその副産物であるかのように、疑獄は生じ、その一部がロッキード事件となって田中角栄を拘置所の内側に落とした。いま、刑罰法令に抵触するかどうかは別にして、そうした構図がまったくないと断定できるだろうか。

 二〇一九年五月二七日、東京都内で共同記者会見に臨んだトランプ大統領は安倍首相の隣で胸を張った。

「二〇一八年、日本はアメリカの国防装備の世界トップの買い手の一つだった。そして今まさに日本は新たに一〇五機のF35ステルス航空機を購入すると表明した」

 F35というのは、ロッキード・マーチン社の製造する戦闘機であり、日本は合わせて一四七機の購入を決めており、これはアメリカを除けば世界最多だ。

 米国からの装備品の購入について、安倍は首相として衆参の本会議で次のように述べている。

「安全保障と経済は当然分けて考えるべきですが、これらは、結果として米国の経済や雇用にも貢献するものと考えています」

 利にさといトランプ大統領の自尊心を満足させるため、安倍政権下でアメリカからの“爆買い”は続き、莫大な国費が投入されている。

 F35と日本、米国、中国について、真山は小説『墜落』(二〇二二年六月、文藝春秋)で、それを素材にしたに違いない架空の物語を著している。その随所に、この作品『ロッキード』の取材によって蓄積したと思われる具体性に富む分厚い叙述が見られる。つまり、ロッキード事件の取材を、ノンフィクションだけに終わらせるのではなく、小説作品にも詰め込んでいる。

 ロッキード社はアメリカの情報機関CIAと密接なつながりのある軍需メーカーとして、今も、自衛隊の対潜哨戒機や戦闘機の製造元であり、つい最近も、現場配備の見通しは不明であるものの、陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)のレーダーを日本に売り込むのにいったんは成功している。中国やロシアをネタにしたロッキード社から日本への売り込みは今も続いている。

 だからこの作品『ロッキード』は、五〇年前の歴史とその謎を探究する書であるだけでなく、現在、そして近い未来の日本、米国、中国をめぐる謀略の予言書にもなるのかもしれない。

文春文庫
ロッキード
真山仁

定価:1,430円(税込)発売日:2023年12月06日

電子書籍
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真山仁

発売日:2023年12月06日

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