50万部突破のベストセラー『代償』をはじめ、『悪寒』『本性』『白い闇の獣』など読者の心を深くえぐる作品を発表し続ける伊岡瞬さんの『奔流の海』が、待望の文庫化されました。
海と山に挟まれた小さな町、千里見町を襲った土砂崩れに有村一家が巻き込まれる。
それから20年後、千里見町で『清風館』という旅館を営む清田母娘の前に、坂井裕二と名乗る大学生が現れた。坂井は約一年ぶりの客だった。坂井は東京に住んでいるようだが、なぜこの町に来たのかを語ろうとしない。夜にふらりと外出するなど、不審な行動も目立つが……。
坂井裕二な何者なのか? 20年前の豪雨がもたらしたものとは? 奔流に押し流される人間の運命が哀しみを呼ぶ、驚愕と慟哭の青春ミステリーが誕生しました。
きっかけは掲示板の人探しの貼り紙
――20年前の土砂崩れ、現在の千里見町を訪れた正体不明の大学生・坂井、そして坂井が泊まる旅館の娘・千遥の物語が絡み合い、ラストに向かってまさに「奔流」が生まれますが、着想のきっかけは何でしょう?
私の場合、物語が生まれるときは、二つのパターンがあります。何もないところでうんうん唸ってプロットを作り上げる流れと、ふとした瞬間に物語が自分の中に湧き上がるケースです。『奔流の海』は後者でした。
あるとき、海辺の町を旅行したことがあったんです。あまり賑やかでない町で人通りもまばらでした。そこでふと町内会の掲示板が目に入った。夏祭りのお知らせや資源ごみの日を伝える何の変哲もない掲示板です。その片隅に中学3年生の男の子の顔写真つきのビラが貼ってあって、「行方不明です。探しています。心当たりのある方は連絡ください。当日の服装は――」と書いてある。貼られたばかりだったら、そんなに印象に残らなかったかもしれませんが、そのビラは角がめくれていて、色は褪せて古びていた。日付を見ると三年も前のものでした。いまだに貼ってあるということは、まだ見つかっていないのでしょう。
この男の子は、行方不明になる前にどんな人生を歩んできたんだろう、いま何をしているんだろう。そんなことがどうしようもなく気になってしまって。そうして彼の人生に思いを馳せたとき、物語が動き始めました。
――この物語の主な舞台は、1988年でまさに昭和が終わろうとしている時代です。30年以上も前の時代を舞台にした理由は何でしょう?
理由はいくつかありますが、一つには簡単には連絡が取れない不便な時代を描きたかったということがあります。今は携帯電話があるから、どこでも誰とでも繋がれる。私が若かったころは、夜に女子の家に電話するとまずお父さんやお母さんが出るので、わけもなく「すみません」って謝ったりして(笑)。
そういうめんどくさいからこそ楽しいコミュニケーションがなくなって久しい。それとともに人間関係もすごくドライになりましたよね。LINEでやりとりしていると「おけ」とか一言でやりとりが終わってしまいます。それがちょっと寂しいような気がして、昔の時代を描いてみたくなったのかもしれません。
――この小説の中で主人公の坂井裕二は、星を見ることを心の支えにしています。星に対する思いも伊岡さんの中にはあったりしますか。
じつは、私は小さいころ天文学者になりたかったんです。ただ、数学が苦手だったのでそちらの道は早々と諦めました(笑)。今でも星は好きですね。物語にも出てきますが、たまに星座早見盤を眺めて「今夜はこんな星空か」とか想像したり。自分は絶対に生きて実物を見ることはできないけど、星は確かに存在している。はるか彼方の星を飛び出した光が、数十万年も旅をして、いま自分のもとに届いているということにとてもロマンを感じます。そんな思いも描いてみたかった。
「辛い話すぎて目を離せない」物語になってしまう
――今回の作品は、何を話してもネタバレになってしまいそうな仕掛けがほどこされています。ここまでの話を聞くと、さわやかな小説なのかな、と思ってしまいますが……。
内容にはあまり踏み込めないのですが、「命を燃やして」書きましたと、少し大げさに言わせてください。私はどの作品でも、臨場感を大切にして小説を書きたいと考えています。そうすると、一人一人の登場人物に感情移入していくことにならざるを得ない。主人公が車にはねられたら、空中に放り出されたときにどんなふうに景色が見えるのか、体のどの部分から落ちていくのか、どこを怪我するだろうか、などと細かく具体的に想像する。
そんな書き方ですから、書いてて痛みを伴うわけです。しかも一人だけでなく、登場人物全員にそうやって感情移入するので、精神的には満身創痍です(笑)。ですから、一つの作品を書き終えると燃え尽きてしまう感じです。そんな調子なので量産できないのが悩みです。
――伊岡さんの作品では、主人公が虐待されたりとひどい目に遭うことが多いです。もっと穏やかな話にしたら、伊岡さんの執筆の負担も軽くなるのでは?
おっしゃる通り、私も大変な思いをしたいわけじゃないんです。書き始めるときは、今度こそは主人公が辛い目に遭わないようにしたいと願っているんですが、いつの間にか悲惨な境遇になってしまうんですよね。ハッピーな話を書いてみたいのですが、いまだに成功してません(笑)。
でも読者の方の反応を拝見すると、「辛い話すぎて目を離せない」と言ってくださる方もいて、ああこの世界観を待っている人がいるんだなと励みになります。
いおか・しゅん 1960年東京都生まれ。2005年『いつか、虹の向こうへ』(応募作「約束」を改題)で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞して作家デビュー。14年刊行の『代償』は累計50万部突破のベストセラーに。他の著書に『瑠璃の雫』『教室に雨は降らない』『悪寒』『不審者』『冷たい檻』『本性』『仮面』などがある。
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