「本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞」は、大人がじっくり読める質の高い恋愛小説を発掘し、読者の皆様にひろく届けることを目的として創設されました。
本年度の選考委員は、川俣めぐみ氏(紀伊國屋書店横浜店)、加藤ルカ氏(有隣堂)、高頭佐和子氏(丸善丸の内本店)、花田菜々子氏(蟹ブックス)、山本亮氏(大盛堂書店)の5氏。「大人の恋愛小説とはいったい何なのか?」をめぐり、議論に議論を重ねた結果、大賞を選び出しました。その白熱の模様を全文お届けします!
なお候補作については、2022年10月1日から2023年9月30日に刊行された単行本の中から、瀧井朝世、吉田大助、吉田伸子の3氏の推薦をもとに、下記5作品が候補作に選ばれました。
『楊花の歌』(集英社)青波杏
『光のとこにいてね』(文藝春秋)一穂ミチ
『最愛の』(集英社)上田岳弘
『愛されてんだと自覚しな』(文藝春秋)河野裕
『今日の花を摘む』(双葉社)田中兆子
選考会に出席された書店員の皆さま(敬称略)
――コロナ下に始まった本賞も、今年(2023年)で第3回を迎えました。アフターコロナに移行しつつある今、書店の店頭の様子を伺えますでしょうか。
加藤 私は9月から出版部に異動しました。有隣堂は神奈川県と郷土史をこよなく愛する会社でして、地域に関連した本の制作に携わっています。店舗に立つ機会自体はなくなったのですが、チェーン全体としては、都内を中心に、徐々に店頭にお客さまが戻ってきたと聞いています。書店併設型のカフェなども展開していて、飲食を伴うお店が段々と回復してきていますね。ただ神奈川県内の横浜や湘南地区の売り上げが少し厳しい状況です。皆で工夫して店舗を盛り上げる施策を打っています。
花田 今回の選考委員の中では唯一の独立系書店になります。高円寺にある蟹ブックスは、この9月に開店一周年を迎えました。自分で書店を持つという挑戦をしてから、へとへとになりながらも、何とかやってこられたと一安心していますが、次の一年はどうしていこうかとも考えています。また『モヤ対談』(小学館)という本を最近出版しまして、こちらも売れてくれたら……と思っています。
高頭 初参加になります、丸善丸の内本店の高頭です。東京駅の目の前にある土地柄、インバウンドのお客さまが増えてきました。この秋はすごく文芸書が売れましたね。10月、11月に集中的に話題書が出版されるものですから、品出しをする身としては「どうして同時期に出したの!?」と思いつつも、これだけ沢山小説を買っていただけたのはとても嬉しいことだなと感じています。
川俣 紀伊國屋書店横浜店の川俣です。加藤さんもおっしゃっていた通り、神奈川県内の売り上げは依然として厳しくて、なかなか完全には客足が戻らない状況です。あまり気にしすぎていてもしょうがないので、やるべきことをやろうと、担当の文芸書のほか、雑誌やコミックにも手を出しています(笑)。今日はよろしくお願いします。
山本 大盛堂書店は渋谷のスクランブル交差点に店舗があるもので、インバウンドの勢いを肌で感じています。外国からのお客様で『ドラえもん』や『呪術廻戦』の第一巻をおみやげに買っていかれる方も多くいらっしゃるんですよ。文芸で言うと、やはり10月、11月がすごかった。前年比200%に迫る売り上げになりました。良い小説が出ると売れるのだな、ということを再認識できました。
――ありがとうございます。第3回「大人の恋愛小説大賞」候補作は、瀧井朝世さん、吉田大助さん、吉田伸子さんの推薦をもとに、全五作を選びました。バラエティ豊かな作品について、一作ずつお話を伺ってまいります。
『愛されてんだと自覚しな』河野裕
――主人公の岡田杏(おかだあん)は、1000年前、愛する男とともに神に呪いをかけられて以来、転生をくり返しています。呪いには条件があり、〈男は生まれ変わるたびに輪廻を忘れ、しかし女の生まれ変わりを愛したとたんにそれを思い出す。女は逆さで、輪廻を覚えたまま生まれ変わり、しかし男の生まれ変わりを愛したとたんにそれを忘れる〉。このルールの元で、何度も運命の相手と出会っては別れてきました。長きに渡る転生の記憶を持つ杏が欲しいもの、それは法外な値でやりとりされている古書「徒名草文通録(あだなぐさぶんつうろく)」。この稀覯(きこう)本を手に入れるため、ルームメイトの盗み屋・祥子(しょうこ)の協力を得ながら、神々をも巻き込み奮闘するのですが……。
山本 「好き」という気持ちが、人だけでなく、自然や現象に対しても強く発揮されているのが、すごく良かったですね。恋愛の枠にとどまらず、「愛情を注ぐ」ということについて書かれるのは、河野さんならではと思いました。
加藤 本当に楽しく読める小説でしたが、恋愛と言われると、少し違うのかなと。時代を超えて好きが交錯し、好きが世界を変える。「大人の恋愛小説」ではないんじゃないかなと感じました。
川俣 楽しいファンタジー小説ですよね。過去の恋愛パートにキュンとするポイントもあるのですが、物語としては、神と人間の対決まで描かれる、ポップなファンタジーになるかなと思います。
高頭 日本古来の神様がたくさん出て来るじゃないですか。ちょうど町田康さんの『口訳 古事記』(講談社)をきっかけに『古事記』がマイブームだったので、個性あふれる神様たちの競演が面白かったです。結ばれるのがかなり難しい状況にある2人は出会えるのか、そもそも運命の相手が、杏の生きる現世では一体誰なのか、そこにはドキドキしてしまいますが、この楽しさは大人の恋愛小説とは違うのかなとも思います。でも、前世でのエピソードは一つ一つが切なくて、胸がキュンとします。
花田 ラノベ世代についても考えるところがありました。ラノベは若い人のものという印象がありますが、例えばかつて谷川流さんの『涼宮ハルヒ』シリーズ(角川スニーカー文庫)を楽しんだ読み手も、当然年を重ねてきていますよね。ラノベをずっと愛読してきた人のために、中高年に向けたラノベというジャンルが生まれることもあるのではないか……と思ったりしました。河野さんが、もしかしてその新ジャンルの担い手になるのではないかなと予感しています。
『最愛の』上田岳弘
――主人公の久島(くどう)は、全てをそつなくこなす「血も涙もない的確な現代人」。彼の心から唯一離れないのが、学生時代に文通を続けていた望未(のぞみ)でした。彼女の手紙はいつも「最愛の」という呼びかけで始まりながら、「私のことを忘れてほしい」と繰り返し書かれていました。ある日、彼女の妹から「姉が昨年亡くなりました」とメッセージが届き、それを機に、久島は自分のための文章を書くことを決意するのですが……。
加藤 衝撃的な作品でした。中学生の頃から大学卒業にかけて、ずっと手紙でやり取りを続けるなんて、今の時代にはないコミュニケーションの形ですよね。縁を繋ぎ続けること、手紙を書き続けることに、感動しました。
高頭 かつては恋人同士で手紙を書き合うこともあったかもしれませんが、今はなかなかないですよね。やはり手で書くと気持ちが深まったり、思いが文章に染み込んでいくと思います。本来は自分が発信した手紙を相手が受け取って、その先で実際に会って……という展開があるものだと思いますが、久島と望未は、あえて手紙のやりとりだけを選ぶんですよね。作中ではコロナ禍の人間関係が描かれますが、今は、自分が何者であるのか明かさずとも、リモートで人と関われてしまう。2人が文通だけで繋がっていたことって、かえって現代的な対人関係とも言えますね。
加藤 読了後「読んで良かったな」と思える小説でした。あまり王道の恋愛小説を読まないこともあり、普段なら手が伸びないタイトルだったのですが。
川俣 私も加藤さんと同じタイプで、なかなか自発的には選ばなかった本かもしれません。その分読みながら、村上春樹作品を彷彿とさせる読み味を感じました。ストーリーがとても面白くて、どんどん先を読みたくなる一方で、主人公の久島という男性への感情移入が難しく感じるところが、似ているなと。
山本 まさに久島って、春樹作品に似た雰囲気をまとっていますね。物語全体として、久島が紡いだおとぎ話のようで、男性からの一方的な思考を押し付けられているように感じる方もいらっしゃるかもしれません。彼の自己弁護は、特に女性にはなかなか共感されないのでは、とも思います。そういう主人公を作り上げたという点で、文章の上手さも相まって、ものすごく完成度の高い作品でした。
高頭 登場人物がみんな相手に対してどこか格好つけていて、私をイライラさせるんです(笑)。そういうところも小説としては面白かったのですが、「共感できる、わかる!」と思えるものが良い恋愛小説だと感じる人には、おすすめできないかもしれません。
花田 10代の頃に『ノルウェイの森』(講談社文庫)を愛読していた身としては、やはり春樹作品の影響を感じずにはいられませんでした。女性の視点からすると、周囲の女たちの夢っぽさが気になりました。久島とやりとりを続ける女性の、キャバクラでの源氏名が「ラプンツェル」で、その後続く電話のやり取りでもその名前で呼ばせるところとか、彼女は客に与えられた塔ならぬタワマンに住んでいるという設定は、ちょっと照れます(笑)。他にも、望未の妹が終盤、重要な人物としてクローズアップされますが、彼女も生きた人間であると伝えるには、リアリティが薄いように感じたんですよね。
山本 男性におすすめするのには、この作品はぴったりだと思いました。
花田 確かに。久島の「いろいろあったけれど、結局何も残っていない」というむなしさは、中高年の男性には深く刺さるのかもしれないですね。
高頭 先ほど言った現代性というところにも関係しますが、そもそも恋愛に相手は必要なのだろうか? ということも考えさせられました。花田さんは「夢っぽさ」と言われましたけれど、もはや恋愛にリアルな相手は要らないのかもしれませんね。
花田 作中には「結局自分しか愛せないんじゃないか」というような問いも出て来ます。全ての言動は一人よがりであること、だれかを好きだと思う気持ちも自己愛の延長であることを、久島が体現しているとも言えそうです。
『楊花(ヤンファ)の歌』青波杏
――1941年、日本占領下の福建省廈門(アモイ)が舞台です。カフェーで女給として働くリリーは、抗日活動家の諜報活動に協力しています。指示役から命じられたのは日本軍諜報員の暗殺。実行役として紹介されたのが、ヤンファという、美しい目の色と蛇の刺青を持つ女性でした。彼女に強く惹かれるリリーですが、もし暗殺に失敗した際には自らの手で彼女を殺さなければならず……。
花田 スパイ小説や、戦前戦時下の物語に私自身ほとんど関心を持っていなくて、自分ではまず選ばない本でした。でも読み終えてみたら、全候補作の中で一番面白かった。遊廓を舞台としたスパイものと聞くと夢物語を想像してしまいますが、青波さんご自身が遊廓における労働問題を研究されている方なんですね。すごく誠実に、リアリティを持って物語世界が描かれている点にも惹かれました。
山本 スパイ同士、リリーとヤンファは出自を知られないようにしなければならないという前提があって、互いの過去に深く踏み込まずに物語は進んでいきます。でも、大事な瞬間には必ず相手が目の前にいるということが、シーンを通して鮮烈に描かれている。相手を思う描写も要所要所にある。きちんと恋愛を描いた、すごく上手な小説だなと思いました。
川俣 歴史背景の描き方や表現の一つひとつがどれも良かったです。ただ、私は恋愛要素は薄いように感じて、完全にスパイ小説として楽しみました。この作品が小説すばる新人賞を受賞したデビュー作だと、読み終えてから知って驚きました。次作もぜひ読みたいです。
加藤 私も戦時下のスパイ小説としては、最高に面白いと思いました。漫画で読んでみたくなるアクションシーンや個性あふれる登場人物たちに、ぐいぐいと引き込まれました。ただ、恋愛小説かと言われると違う気もして……。
花田 2人の信頼関係に、「思い出すだけでどきどきしちゃう」というようなベタベタした要素がないのがむしろ良かったです。大切な存在に対して、生きていてほしい、助かっていてほしいと願う気持ちは大人だと思います。淡々と出来事が紡がれていくところも魅力的でしたね。命が危ない状況下のやり取りでも、心理描写が抑制されていて、それでもなお場面に惹きつけられました。
高頭 情景描写も素晴らしいですよね。冒頭10ページで「これは好きだ!」と思って。リリーは、もともと良いお家に生まれたお嬢様だったのですが、各地を転々として、今は女給として働いている。ドラマティックな設定を、専門家だからこそ描けるディテールが支えています。青波さんは、この作品で「恋愛小説を書こう」とは思っていなかったのかなとも思います。でも、リリーとヤンファの関係性や掛け合いを、もっとねちねちと描いてくれていたら……(笑)。
リリーとヤンファに、実は決定的な繋がりがあったと思い出すシーンがありますよね。そこの伏線がもっと描かれていたら、恋愛小説としての魅力がより一層引き出されたかもしれません。
花田 私は、そのシーンを読み終えて、すぐには現実に戻って来られないような衝撃を受けました。戦争の悲惨さを重みをもって感じさせるラストであると同時に、2人の人生に思いを馳せる結末にもなっている。圧倒される読後感でした。
『光のとこにいてね』一穂ミチ
――小学年の果遠(かのん)と結珠(ゆず)は、団地の公園で偶然出会います。互いに特別な思いを抱く2人は、ある事件をきっかけに離れ離れとなりますが、時は流れ、一貫校の中学からエスカレーター式に女子高へ進学した結珠の目の前に現れたのは、他でもない果遠で――。
山本 一推しの作品です。この選考会に初回から参加する中で、「大人の恋愛小説とは何か?」とずっと考えています。当店で開催された紗倉まなさん『ごっこ』(講談社)のトークイベントで、紗倉さんに伺ってみたら、「大人になればなるほど、純粋な物語を求めるのではないか」と答えてくださった。僕はこの答えにすごく納得しました。大人の恋愛小説とは、あらゆる経験をしてなお、あるいはその時期を通過したからこそ、恋愛のような純粋なものを求める人たちに届く作品のことなのだと思ったんです。だから、体験したことのない恋愛関係が描かれていても、どこかでこの感情は分かるなと思わせてくれる、『光のとこにいてね』を推します。
川俣 まさにその通りの感覚を覚えました。純粋にずっと幸せでいてほしいと願う相手が、たとえ自分にいなくとも、そう思う気持ちはすごくよく分かる。果遠と結珠の両方に共感できますし、ぐいぐい入り込んでしまう作品でした。
山本 あなたが目の前に、光のところにいれば私は幸せ、というまっすぐな気持ちを、少女から大人へ成長していく主人公たちを通してずっと書くのは、一穂さんさすがだなと思いました。高頭さんが先ほど『楊花の歌』に関しておっしゃっていたように、2人の関係性はまさに“ねちねちと”書かれている。あなたを一番知っているのは私だという、恋愛において一番大事な思いが描かれていて、本当に大好きな一冊です。
高頭 刊行されて一年ほど経っているので、様々な感想を耳にして、分からない人には分からない小説なんだと思っていたんです。何故そこまで相手に執着するのかピンとこない、という意見がありました。でも、子供から高校生にかけての時期の、友情でも恋愛でもなく、誰かのことがすごく大切だと思う気持ちに、私自身すごく覚えがあるんです。その相手が幸せでいるためには自分が不利な立場に立たされたり、まっすぐ歩いて行けなくても構わないとさえ思う。相手が目の前にいなくても、その人で心が占拠される。そういう感覚を恋と呼ぶならば、それでもいいと思います。果遠と結珠の夫がいい人過ぎるので気の毒なのですが、とにかく相手が一番大事であることに理由はないことにも、説得力があると私は思いました。
花田 夫の話が出ましたが、2人以外の登場人物たちの描写が薄すぎるのが気になりました。Botのような、都合よく動いてくれるだけの存在に見えてしまう。2人の母親の存在も、のっぺりとした悪に見えました。この小説は、彼女たちの母との葛藤の物語でもあると思うんです。だから終盤で母になった果遠が下す決断については、もう少し彼女の思いが描かれるべきだと感じました。そういう点でも、大人の物語ではなく、世界の中心は自分だと信じて疑わない、もう少し若い人のための小説かなと思いました。
加藤 母親の存在については私も同感です。「あなたがその選択をしたら、同じことの繰り返しではないのか?」と感じて。その視点から読むと、ラストがあまりにも悲しい。2人の濃い友情と恋愛は強く感じるものの、残された人たちを思うと、私としては悲しすぎました。
花田 何も言わずに相手を置いて出て行く態度も、物語としては素敵なものなのかもしれませんが、もう少し誠実でもよいとも思います。誰かを置き去りにすることなく、2人は一緒に暮らせたかもしれない。結婚や子育てと、彼女たちの間にある特別な思いは、両立が叶うように見えました。だからこそ、終盤で少し心が離れてしまった部分がありました。
山本 おっしゃることも分かります……が、この物語の中心はやっぱり二人なんですよね。果遠と結珠はいい人でずるい上に、2人だけに光が当たる。関係性の変化を読み込むと、他の候補作にはない恋愛関係が見えてくるように思います。
『今日の花を摘む』田中兆子
――一見地味な愉里子(ゆりこ)は、50代独身で、出版社の製作部に在籍しています。彼女が「花摘み」と呼ぶ、社内の誰にも打ち明けたことのない楽しみとは、男性との肉体を伴ったかりそめの恋のこと。ある日、趣味である茶道のイベントで出会った、70歳の粋人・万江島(まえじま)に惹かれる愉里子は「花摘み」について打ち明けます。しかし、彼には秘密があって……。
加藤 初回から選考会に参加して、「ついに来た、大人の恋愛小説」と思える一冊に出会いました。愉里子の置かれる状況に、現実で明日起こってもおかしくないリアリティを感じたんです。この世代の女性がどはまりしているお茶やお着物といった趣味も、離婚など私生活のことも、「あるかもしれない、あるかもしれない」と思いながら楽しく読みました。同期がどんどん出世していったり、後輩がメキメキと力を付けてきたり、あるいはセクハラ問題に対応をすることになったり……中間管理職として働く人みんなが、どこかしらに共感する箇所があると思います。
高頭 サブキャラの方がよっぽどヒロインっぽいのも、面白いですよね。苦労して勝ち組主婦になった美人の留都(るつ)や、万江島のゴージャスな愛人はインパクトがあります。そういった強い個性を放つ人物ではなく、普通の会社員だけど、実は人に言いづらい趣味を楽しんでいる愉里子こそが、この物語の主人公なんですよね。
私がいいなと思ったのが、友情の描き方です。会社の同期とは信頼し合っているけれど、割と重要なこと――愉里子にとっては「花摘み」ですね――でも全部は話さない。何らかの事情を抱えていても言わなかったり、長く音信不通状態にあったりしても、ある時ふと今の状況を互いに打ち明けあえる。私たちの世代の友情あるあるだと思います。
川俣 とにかく面白い。「花摘み」という恋愛スタイルには全く感情移入できませんでしたが、それでも面白がれる自分がいたので、不思議な感覚でした。愉里子の立場や状況には共感できるんですけどね……。
加藤 たしかに性の部分に関しては、拒否感を持つ人もいるかと思います。
高頭 「花摘み」という言い方がまずユニークですよね(笑)。主人公が20代の女の子だったり、ひと昔前の日本を舞台にしていたら、愉里子って良くは書かれない人物だと思います。でも、この主人公は自分の愉しみをすごく爽やかに実践しているし、達観して生きている。性的な不満も、男性に対してスパッと言えてしまいますしね。
花田 候補作の中で、唯一うんこを漏らせる主人公ですよね(笑)。性をあけすけに描く作品で、かつ女性の主人公となると、「私、エッチが大好きなの」と露悪的に描く作品が多いと思います。でも、愉里子はそういった気持ち悪さを全く感じさせない。ナチュラルな生きがいや楽しみの一つとして「花摘み」が存在しています。
山本 更年期を迎えた愉里子は、体の変化にずっと向き合っていますよね。それに伴って、彼女の恋愛も変化していくのも面白いところでした。万江島と彼女が出会ってすぐの頃、性に関してきちんと対話をします。互いに答えを返しあうところも、上手いなと思いました。なおかつ、他の世代との連帯がどんどんと盛り上がる展開もよかったです。
高頭 後半に出てくる社内のセクハラ問題も読ませますね。私は愉里子と同世代ですが、後から思うともっと怒っていればよかったと思うことが結構あります。曖昧に笑顔で逃げるしかなかったケースって、どうしてもあるんです。「やめてください」とみんなで言えていたら、今の世の中がもうちょっとましなものになっていたかもしれないな、もっとやるべきことがあったのではないかなと、最近考えることもあります。そういう私自身の反省と、主人公の気持ちがシンクロする部分もあったし、問題にうまく対処しようとして、被害者である部下から反発されたりする場面も、ものすごくリアルでした。
花田 会社の事情やセクハラ問題って、恋愛小説という点から考えると、脇道に逸れたところでもありますよね。でも全然もたつかない。それは、高頭さんがおっしゃっていたようにサブキャラ達が非常に丁寧に描かれているからだと思うんです。部下の松岡(まつおか)や池田(いけだ)なんて、モデルがいるのでは? と思えるほどリアルに書き込まれています。登場人物が多くても、誰が誰だったかわからない……という状態になりません。エンターテインメント作品らしく、みんなが自分らしくいられる道を見つけていくラストは、とても幸せな気持ちになりますし、ビターな部分も含め、大人の恋愛を味わえる一冊でした。
気になる最終投票の行方は……
――みなさん、かなり心が揺れているように思いますが、いかがでしょうか。
山本 変わらず『光のとこにいてね』推しです。すでに話題になって広く読まれている作品ではありますが、男性や大人の層とか、もっとリーチできる可能性を秘めていると思う。『今日の花を摘む』はどんな人にも共感できるところがあるはずですが、一穂さんの作風や物語性、恋愛性をもっと幅広く多くの人に読んでもらいたいです。
花田 私は『楊花の歌』ですね。心に深い感動が残りますし、読んでいてワーッと気持ちが盛り上がって、「いいじゃん! いけいけ」と入り込める作品です。それでいて、ラストは静謐(せいひつ)。深い感動のある作品こそが良い作品というわけではありませんが、この没入感は素晴らしいと思います。
高頭 それぞれに良さがあるので、「あとはお好みで」と言いたいです(笑)。『光のとこにいてね』は大好きな小説ですが、花田さんが「大人の物語ではない」とおっしゃっていたのに頷ける部分もありました。『今日の花を摘む』は、感動で滂沱の涙が、とか、切なさで胸が締め付けられる、みたいな作品ではないですよね。お客さまに「大人の恋愛小説が読みたいんだけど」と聞かれてもしこの本をお勧めしたら、驚かれてしまうかもしれません。
山本 お客さまへのリーチの仕方が、今回の候補作はそれぞれ全く違いますよね。男性にと限るなら、僕は『楊花の歌』をすすめるかもしれないです。やはり男性の方がロマンチックさを求めていると思うので。
加藤 『楊花の歌』はストーリーが楽しいですし、戦時下の設定も、男性のお客さまが興味を持つポイントと思います。
川俣 賞に合うと思うのは『今日の花を摘む』なのですが、恋愛小説に感情移入を求める私みたいなタイプの読み手には、向いていないですよね。離れた立場から、「この人の恋愛、面白い」って楽しむにはいいと思うのですが……。
高頭 22時45分からNHKで放送してる夜ドラみたいな感じですかね? 爪切りながら見て、「今めっちゃ面白いドラマやってるから、見てみてよ」って友達に勧めたくなるような。
花田 愉里子が自立していることは大きいですよね。「花摘み」も誰かに依存するためではなく、自分が幸せになるための行為ですから。だからこそ、安心して読める部分はあると思います。
加藤 会社で隣の席の人とか、電車でたまたま乗り合わせた人とか、もしかしたら愉里子のような楽しみを持っているかもしれない、と感じたんです。感情移入はできなくても、リアルさがある。
高頭 愉里子が友達にいたら面白いですよね。酸いも甘いも噛み分けた人から「実は私『花摘み』という趣味が……」と告白されたら、「え、そうなんだ、やるじゃん」と答えるはず。ひと昔前だったら「自分を大事にして」と言ってしまいそうですが……大人が趣味として楽しむ「花摘み」。ありだな、面白いなと思えてきます。
山本 男性のお客さまだと、どうでしょうか? 『今日の花を摘む』には、性的機能が減退する話も出て来るし、辛辣な言われ方もされていますが、僕としては、男性こそ、この本を読んで勉強してもらいたい気持ちもあります。
花田 店頭で「おすすめの恋愛小説は?」と聞かれたら、なかなか『今日の花を摘む』とは答えにくいかもしれません。でも、読む人を選ぶけれど、面白い人にはめちゃくちゃ面白い、合わない人にはまったく合わない、というのも、いい作品であることの証左かもしれません。
――それではみなさん投票をお願いいたします。結果は、僅差で、『今日の花を摘む』が受賞作に決定しました! 白熱した議論をありがとうございました。
この一年でおすすめの恋愛小説は?
――最後に毎年恒例ですが、2023年に読んで印象に残っている恋愛小説を伺えますでしょうか。
花田 私は川上弘美さん『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』(講談社)です。小説そのものや恋愛をこれから考えていく上で、新たな境地を切り開いていると感じました。がつがつして、強く心を痛めたり傷ついたりしなくていいし、穏やかな中にちゃんと芯があるような関係性が描かれていて、大人の恋愛小説って何だろう? と考えるときの、ある種の新しい答えだと思いました。恋愛小説かと言われると、こちらもまた難しいのですが……。
高頭 私も読んで、心が近づいたり離れたりする様子がすごくよかったです。彩瀬まるさん『花に埋もれる』(新潮社)も印象に残っています。幻想的なものを恋愛に絡めて描いていて美しいのですが、人を愛することの苦しさ、どうしようもなさも描かれている。実際におすすめした方から「すごく良かった」という反響もいただきました。ぜひ読んでみてください。
川俣 私は深沢仁さん『眠れない夜にみる夢は』(東京創元社)を推します。五作収録されている短篇集で、中でも三角関係のような恋愛を描いた「明日世界は終わらない」がよかったです。
山本 深沢さんの本は僕も挙げようと思っていました! 「家族の事情」という短篇がいいなと。共依存の関係にある双子が、ある人物に抱く恋心の描き方がすごく良くて、おすすめです。あと、先ほどもお名前を出した、紗倉まなさん『ごっこ』も推薦します。恋愛に限らず、あらゆる関係のままならなさが丁寧に描かれています。
加藤 この一冊というおすすめはできないのですが、恋愛の在り方も様々で、友情もあり、戦火を生き延びる展開もありと、小説の幅がぐっと広がっていると思います。一歩踏み出す勇気をもらえる作品が増えて来て、とても良い時代になってきたのではないかなと思っています。
――どうもありがとうございました。
(2023年11月29日収録・「オール讀物」2月号より)
『今日の花を摘む』あらすじ
出版社の製作部に勤める50代の愉里子は茶道を趣味で嗜みながら、もう一つ密かな楽しみを持つ。彼女が「花摘み」と呼ぶのは、社内の親しい同期にも秘密の、セックスを伴う男性との恋。更年期を迎え、体の変化を察知しながら「今日が一番若い」と日々を謳歌していた。ある日茶道を介して知り合ったのは、70歳の粋人・万江島。余裕漂う彼に惹かれる愉里子は性に関する事柄も赤裸々に語る。しかし、彼は前立腺がん治療の影響により、男性機能を失っていた。万江島と「花摘み」とは異なる新たな愉しみ方を見出す愉里子だが、ある晩、彼の一方的な要求に傷つけられる。後日正直に「嫌でした」と思いをぶつけた途端、万江島の態度が急に冷たくなり……。元売れっ子高級ソープ嬢で現投資家の万江島の愛人・北川すみれ、同期入社の上司・モリジュン、役員にセクハラを受ける洒脱な後輩・松岡など、周囲の人物の抱える問題とも誠実に向き合う愉里子の行く先は。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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