ドラマ版の最終回で「半沢直樹が出向!?」と驚いた方も多いのでは。その出向先で半沢が大暴れするシリーズ第3弾『ロスジェネの逆襲』がついに文庫化! 半沢の運命やいかに? 執筆の舞台裏から“バブル入社組”世代へのメッセージまで、池井戸さんに聞いた。
「バブル組だとかロスジェネだとかの世代論って変だなと前から感じていたんです。血液型がA型なら真面目とかいうのと似たような感じで、科学的根拠のないまま世代論が語られることに違和感を覚えていたんですよ。なので、それを半沢直樹出向のタイミングで書いてみようと思ったんです」
『ロスジェネの逆襲』は、池井戸潤が2012年に刊行した《半沢直樹》シリーズの第3弾である。東京中央銀行で活躍しつつも、行内の暗黙の掟をいくつも破ってきた半沢は、子会社である東京セントラル証券に部長職で出向させられた。
「第2弾『オレたち花のバブル組』を書き終えた段階で半沢の出向は決めていたんですが、行き先までは特定していませんでした。そこで、『ロスジェネの逆襲』を書くにあたり、銀行で役員の経験を持つ知人と会話したとき、半沢のような立場の人間を出向させるとしたらどこが適切か尋ねてみたんです。すると、将来銀行に復帰する可能性を確保するなら、証券子会社だろうと」
かくして半沢は証券子会社に出向することとなり、森山というロスジェネ世代の部下を持つ。森山からすると、半沢たちバブル世代は“大した能力もないくせに、ただ売り手市場だというだけで大量採用された危機感なき社員たちが、中間管理職となって幅をきかせて”いる世代である。つまりは“お荷物世代”であり、彼らを食わせるために自分たちが苦労させられているという認識なのだ。
「ロスジェネ世代の人々って、皆がそういう被害者意識を持っていると思われがちですが、なかには頑張っている人もいる。だからあまり世代のせいにするべきじゃないという想いが僕にはあって、瀬名という人物を書いたりしました」
瀬名洋介。新興IT企業である東京スパイラルの社長だ。この会社の買収をもくろむのが、同じく新興IT企業である電脳雑伎集団であり、その買収アドバイザーとなったのが、半沢の出向先である東京セントラル証券だった。
「『ロスジェネの逆襲』の構想を練り始めるのに先だって、ライブドアが企業買収を繰り返して急成長し、その後事件になったりしていて、経済に関心のない人でも企業買収には関心を持つ状況でした。なので、新興のIT企業による買収劇というのは面白い題材だと思っていました」
《半沢直樹》シリーズの初期2作品『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』で半沢が相手にしていたのは、特殊鋼のメーカーだったり老舗のホテルだったり、いわば従来型の日本企業だった。それがこのシリーズ第3作では、新興IT企業である。
「ライブドアもそうでしたが、従来の銀行の常識では理解できない人が会社を経営している。そういうところと、銀行のような従来型の存在が闘うのも面白かろうと考えたんです。世間でも、Tシャツを着て会議をやっているってどんな会社だよ、と興味を持っていましたしね。ちょうどフジテレビ買収騒動もあったりして、切った張ったの世界が一番よく似合う業界という意識もありました」
そうしたIT企業経営者は、『ロスジェネの逆襲』に3人登場している。銀行の常識からはかけ離れているものの、3人ともそれぞれに個性的だ。
「キャラクターが似ていると非常に読みにくいですから、きちんと分けておかなければなりません。その配置が難しいんですけどね」
その3社を駒とした企業買収の闘いにおいて、半沢たち東京セントラル証券と闘うのは、実に意外で、なおかつ強大な相手である。
「半沢を出向させたからには、闘う相手は“あれ”しかなかろうと考えました」
まさに小説ならではの破天荒な設定であり、それが買収闘争に強烈なダイナミズムをもたらす。
「この敵を相手に闘うことを喜んでくださった読者も多いようです」
そう語る池井戸だが、心残りもあるという。
「黒崎がいないんです」
黒崎駿一。30そこそこの若造にしてオネエことばで銀行を追及する金融庁の主任検査官だ。TVドラマ『半沢直樹』で片岡愛之助が演じたあの人物である。
「シリーズ第2弾で黒崎を出したのは、第1弾を読んで“銀行ってこういうところなんだ”と真に受けてしまう方が多かったことへの反省と対策でした。黒崎を出すことで、《半沢直樹》シリーズが銀行のリアリティを描く小説ではなくチャンバラ劇だということを読者に感じてもらおうとしました。なのに『ロスジェネの逆襲』を書いているときにはそれをすっかり忘れてしまっていたんです(苦笑)」
池井戸が銀行のリアリティを熟知し、重視するが故の黒崎なのだ。
企業買収を巡る熾烈な闘い
リアリティ重視の一端は、この作品の時代設定を2004年にした点にも表れている。半沢の相手である強大な敵の導きで、電脳雑伎集団が東京スパイラルの株を大量に取得するが、連載時の2010年には業法が変わっていてその手段は封じられていたのだ。
「そこはやっぱり崩しちゃいけないんです」
チャンバラ劇を愉しんでもらうためにも、リアルであるべき点は徹底的にリアルを貫くのである。
さて、企業買収を巡るあの手この手の闘いが続くなか、重要な一手となるのが、ある企業が持っていた“価値”である。その価値は、裏切りとも騙し合いとも無縁で、技術として正当なものであった。見る目を持つ者が見れば、きちんと把握できる類いのものだったのである。それがゲームの行方を左右するという展開に、読み手としては清涼感を味わう。
「あれを出したのは、いってみればアドリブですね。半沢のシリーズって、ほとんどプロットがないんです。連載ですし、その場で考えながら書いていく。あれを書いたタイミングは寝不足でもなく調子が良かったんでしょう、きっと(笑)」
プロットの有無だけではなく、小説の構造としても《半沢直樹》シリーズは、なかなか書き進むのが難しかったという。
「特に最初の2作は、いくつかのエピソードが横に並んでいるような構造だったんですよね。それってけっこう難しいんです。なので『ロスジェネの逆襲』と『銀翼のイカロス』では意識的に変えてみました。エンターテインメント色を濃くして、ダイナミズムを前に出していくような小説に」
『銀翼のイカロス』は《半沢直樹》シリーズの第4弾であり、半沢は帝国航空という親方日の丸の航空会社の再建を巡り、政治家とのバトルを繰り広げる。
「モチーフは日本航空です。日航の再建を巡るあれこれを見ていていちばん変に思ったのがタスクフォースだったので、それを書いてみようと考えました。すると、当然のように政治が絡む話になります」
『銀翼のイカロス』執筆の際には、政界のリアリティをきっちりと取材した。
「閣議の時間など、民主党時代にはこうで自民党ならこうだとか、何曜日に開くとか、政治家の秘書の方を訪ねて調べました。法案を決める順序とか、提案時期とかも。なので、国会の議事日程を詳しく知っている方が読んでも、“この時間ならそうだよね”と思って戴けるように書いています。たいていの読者の方は気にしないでしょうが」
この小説を連載している最中に、TVドラマ『半沢直樹』が放送を開始し、視聴率がぐんぐんと上昇していった。
「妙な感覚でしたね。喫茶店に行くと隣で『半沢』の話をしている人がいるし、毎週お祝いの花は届くし、原作に毎週重版がかかるし」
だが、それが連載内容に影響を与えることはなかったという。ただ一つの例外を除いては。
「ドラマの撮影を見学させてもらったんですが、たまたま黒崎が“査察なの、よろしくね”と言う場面でした。それで『ロスジェネの逆襲』で黒崎を出し忘れていたことを思い出して、『銀翼のイカロス』に急遽登場させることにしたんです」
だが、それはそれで新たな難問を生じさせた。
「黒崎が登場する必然性を思いつかないまま登場させちゃったんです。最終的にはうまく着地できたと思うんですが、連載の途中ではかなりヤバいと感じていました(笑)」
でも小説ってそんなもんだと思うんです、と池井戸は続ける。
「書いていればどこかに道はあるんです。着地できないことを恐れてプロットばかりガチガチに固めると、予定調和になってしまうんですね」
かといって、気ままに書き過ぎても破綻する。
「ヤバいなと思いながら走り続けて、なんとかその途中で解を見つけるんですが、そのときに一番やってはいけないのが、そのキャラクターの性格とは違う動きをさせること。そうやって話の辻褄を合わせても、それは小説としての瑕疵(かし)です。その人が本当に生きていたら決してやらないことを作者の都合でやらせちゃいけない」
2006年に刊行した『シャイロックの子供たち』の執筆途中から、池井戸はこのように登場人物それぞれの生き方を強く意識して小説を書くようになったという。なので、黒崎の人物像にしてもきちんと気配りがなされている。『銀翼のイカロス』では、半沢の敵役だった『オレたち花のバブル組』とはまた違う一面が顔を出すのだ。
「金融庁にもそれなりの考えがありますからね」
会社を辞めても答えはない
こうした姿勢で小説を生み出す池井戸は、連載から単行本までの間には、かなり手を入れるという。
「雑誌で毎回愉しんで戴くのと、1冊の本として全体を愉しんで戴くのは全く違いますから。5回くらい全体を見直します。印刷して赤字で修正点を書き込んでいくんですが、それを5回やると、ボールペンが2~3本なくなりますよ」
そうやって赤ペンを費やして池井戸が現在まとめているのが、先頃連載が終了した『陸王』である。地下足袋メーカーがランニングシューズ業界に殴り込みをかけるという小説だ。
「来年の4月には本に出来ると思います」
それに先立って、新作も出る。
「11月に『下町ロケット2 ガウディ計画』の刊行を予定しています」
直木賞に輝いたあの作品の続篇で、600枚ほどの長篇になるという。どんな小説になるのか期待大である。TVドラマ化もされるというから、『半沢直樹』に夢中になった方々にも朗報といえよう。
そればかりではない。
「年末から連載を開始するんですが、それは、花咲舞の長篇です」
花咲舞の続篇を求める声は、『ロスジェネの逆襲』刊行に先立って半沢直樹の続篇を求める声と同様に、以前から強かったという。花咲舞が長篇でどう大暴れするのか。かなり大きな衝撃も仕込んでいるようで、これまた愉しみで仕方がない。
こうして意欲的に仕事に取り組む池井戸は、本誌読者にこう語りかける。
「僕や半沢の同年代の方々も多くいると思うんですが、50歳前後ともなると社内で行き場を失う方もいらっしゃるでしょう。そこで転職を考える人もいますが、辞めても答えはない。つまらないことで悩んで辞めて、何をするかといえば“農業”という。それは無理(笑)。その人にとっては、今やっている仕事にこそ最もノウハウがあり、それが自身の付加価値なんです。片道の出向でも、かつての組織での意識を捨てて、自分の能力と今置かれている環境をきちんと認識することが重要でしょう。ちなみに半沢は転職など考えない組ですね。周囲に能力を認められているし、だからこそ無茶苦茶闘ってきたわけですから。半沢は絶対にそこにいる人なんです」
いけいどじゅん/1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。『果つる底なき』で江戸川乱歩賞、『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、『下町ロケット』で直木賞受賞。『民王』がテレビ朝日系でドラマ化され好評放送中。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。