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「過去と戦うスーパーヒロイン」矛盾が蔓延する社会で、如何に真贋を見極めるか

「過去と戦うスーパーヒロイン」矛盾が蔓延する社会で、如何に真贋を見極めるか

青木 千恵

大沢在昌〈魔女〉シリーズの魅力に迫る! #1

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『魔女の後悔』(大沢在昌 著)文藝春秋

 4月19日に発売される大沢在昌さんの新刊『魔女の後悔』。

 売春島を生き抜いた闇のコンサルタント・水原を描く〈魔女〉シリーズの最新刊です。9年ぶりとなる今作では、ある一人の少女との出会いが水原の運命を変えてゆきます。

 韓国財政界を揺るがす巨額詐欺事件の主犯を父に持つ少女と、水原を結ぶ暗い糸とは――。

 大沢ハードボイルドの真骨頂、ここにありです。

 発売を記念して、シリーズ1作目である『魔女の笑窪』(文春文庫)に収録されている、文庫解説を全文公開します。(全3回の第1回)

◆◆◆

 地球温暖化を報じたあとライトアップを「きれい」と褒めるニュース番組、収入にそぐわないブランド品を買うことでリッチ感に酔う人……。

 世の中は、矛盾で満ちている。資本主義社会で大勢が「勝ち組」を目指し、幸福を追求した結果、全体不況に陥っているのだ。

 本書『魔女の笑窪』の中には、息子が自分以外の女を好きになることが許せず、駆け落ちした息子を連れ戻し、息子の妻と娘を憎み抜く女が出てくる。この母親は、息子を愛しているのか、憎んでいるのか?

 人類学者のグレゴリー・ベイトソンは、コミュニケーションのありようが矛盾している状態を「ダブルバインド(二重拘束)」と名づけたが、矛盾が蔓延した「今」の社会を生きるには、人やモノの真贋を、できるだけ正確に見極めなければならないだろう。

一目で相手の本性を見抜く〈魔女〉

 この小説の主人公「水原」は、相手の本性を、外見からある程度見抜くことができる能力を持った、30代半ばの女である。

『魔女の笑窪』(大沢在昌 著)文春文庫

 “裏のコンサルタント業”を営む水原は、午後5時に起き、午前0時過ぎに、東京・麻布台にある事務所に出勤する。フィットネスジムに通い、「女磨き」を欠かさないのは、〈それを武器に使えるときもあるし、寝たいと思う男を落とすにも役立つ〉から。相手を完璧に見抜ける力を生かし、暴力団にも中国マフィアにも一目置かれる存在にのし上がった。打算と媚びをはらんだ、こすっからい根性が透けて見える人の笑顔に嫌気がさすと、日本を出て、異国のリゾート地で贅沢な数日間を過ごす。それだけの財力も蓄えている。

 “鉄味(てつあじ)”といわれる精液の味を手がかりに、風俗嬢を殺した男を追う第1章で、〈化粧は薄く、そのくせ持物には金がかかっている。年齢は23、4だろう。美人でもブスでもない。人並みだ。表の風俗ならともかく、裏の風俗にずば抜けた美人はいない〉と、初対面の女をひと目見て、水原は「裏の風俗」だと見抜いている。

 第2章で記者を名乗る男に会い、〈切れ長の目は、魅力的だと思う女もいるだろうが、私には信用できない証しだった。こういう目をした男は、どんなときでも嘘をつく。場合によっては、自分自身に対してすら〉と見切り、酔った勢いでキスしてきた男を〈酔うと女が欲しくなる男は、必ず女で墓穴を掘る。この男が利用できる時間は、そう長くはないだろう〉と思っている。

 水原が、相手を“見切る”ようすと心理描写は、小気味がいい。

「島」で働いていた過去

 なぜ、水原は、相手を完璧に見抜く力を身につけたのか?

 それは、水原が、対峙する誰よりも、矛盾に満ちた人生を宿命づけられた女だからだ。

〈「きれいな片笑窪だね」
「昔は両方あったの。ひとつは落としたみたい」
「どこで?」
「たぶん地獄」〉

 

 第1章で、水原が“風俗”の仕事をしていたことや、「島(地獄島)」の存在がほのめかされる。「島」で働いていた水原は、何千人もの男と寝ることによって、相手を完璧に見抜く力を得たのである。

〈島に連れていかれたときから、私は本名を捨てている。水原という今の名も、島抜けをしてからいくつも使った偽名のひとつに過ぎない。私の会社のすべては、登記上は別人の所有だ〉

 水原は、「島」にいた過去をひた隠し、過去を詮索する人物がいれば、追跡して葬り去る。なぜ、水原が苦界に身を落とすことになったのか、偽名を使って裏社会で生きる、矛盾に満ちた人生を宿命づけられたのかは、少しずつ明らかになっていく。

「どんな女性でも心の中に夜叉を飼っている」

 ハードボイルドは「男の世界」かというと、そうではない。

「ハードボイルド=男の物語」との定型に疑問を持ち、〈現代の日本では、男より女のほうがよっぽどハードボイルドな生き方を要求されている〉(「別冊宝島1117号 ALL ABOUT 大沢在昌」)と考える大沢在昌氏は、女性が主人公のハードボイルドを書いていて、この作品もそのひとつである。

 女を主人公にした作品では、特命刑事アスカが活躍する『天使の牙』シリーズや、美貌の女刑事・涼子を主人公にした近未来活劇サスペンス『撃つ薔薇』、または『相続人TOMOKO』などがある。ただ、これらの作品は三人称で書かれ、ヒロインが刑事など「表側」にいる人間だった。女のハードボイルドで一人称、しかも裏社会の住人という設定は、本書『魔女の笑窪』が初めてだ。

 10は若く見せられる水原は、“子供”でにぎわうクラブに入り、〈36を26には見せられるが、26は17、8の子供からすれば、ただの「婆あ」だ〉と年齢を気にしたり、リゾート地で最高の“ジゴロ”を見つけ、〈疼いた。一度だけ、寝たい、と思った〉〈悪い癖だ。男に“心”を求めないぶん、私は“体”を求めすぎる〉と性欲を覚え、ジゴロの恋人に嫉妬したりする。

 そんな「女の生理」を、男である大沢氏が、女の気持ちになりきって書いている。水原の女としての心理描写に、女の読者の私は大いに共感してしまい、男の作家がよく書けるものだと、謎だった。

〈どんな女性でも心の中に夜叉を飼っている、と俺は思います。その夜叉が大きそうな女性に惹かれるところがありますね。「外面似菩薩、内心如夜叉」と言いますし。どうせ夜叉なら、最初から怖そうな女性の方がいいな。こいつこそ本当の天使だと思った次の瞬間、やっぱり悪魔だったと分かったときのショックって大きいから。「女性はすべて魔女」と言ったら怒られそうですが、魔女であるがゆえの女性の奥行き、面白さはすごくあると思います〉(「本の話」2006年1月号)と、単行本刊行時のインタビューで答えている大沢氏は、「外面似菩薩、内心如夜叉」といった矛盾を本来的にもつ女の主人公を、復讐心、嫉妬心など、感情のきれいじゃないあたりまで踏み込み、とことん書いているのだ。

「買われる側」だった過去と決別し、「買う側」に回った水原は、前半、見抜く力を使い、“向かうところ敵なし”の状態で活躍するのだが、後半、絶体絶命の窮地に陥っていく。「島」での記憶がありありと甦り、“フラッシュバック”に見舞われる場面は、痛々しい。そして水原は、葬り去ったはずの過去と対決していくことになる――。

「過去」に戻ることを拒否するヒロイン

〈あたしが恐かったのは、演技をくり返すことよ。好きでもない、欲しくもない男に抱かれ、そいつらのどうしようもないセックスに感じたり、いったフリをすること。どんな男が相手でも、あたしはそれができるようになっていた。でも、もうそれは嫌。本当に感じたいときに、感じたいように男に抱かれたい。いいかえれば、欲しいときだけ、あたしが抱くの。わかる? 演じるのはもうご免なの。(略)昔の自分を憎んでいるのではなくて、もう二度と芝居がしたくない、それだけ〉

 凄まじい危機にさらされても、水原は自分の感情や価値観に対して徹底的にピュアであり、過去に戻ることを、拒否している。

 過去があって、「今」がある。水原が相手を見切る力を身につけたのは、負の経験を通してであり、「負の経験を経てこそ初めて本当の強さを身に着けられる」真理は、大沢氏の作品に共通していることだ。

 大沢ハードボイルドの主人公たちは、物語の中で、過酷な経験に見舞われる。「負の経験」の中に何らかの価値を見い出し、宿命を受け容れ、乗り越え、あくまでも前向きに生き延びようとする。

 その行動は、主人公の性別が女であっても、変わりない。

 水原は、「地獄」を抜けてきた自分を信じて、新たにやってきた「負の経験」に立ち向かう。過去よりも築き上げてきた「今」が大切であり、「今」を守るためならなんでもすると、女性なりの闘い方を駆使していく。

 ストレートで嘘のない自らを守るために闘う人物たちの姿は、お追従笑いや嘘が蔓延した世の中で、「善」といえるのではないだろうか? 水原が唯一、信頼を寄せる元刑事で探偵の星川も、男の体に女の心を持つ矛盾を抱えた人物だが、彼(彼女?)が水原に示す友情や優しさは本物だ。大沢ハードボイルドの「世界」では、お金に転んだり、誘惑に負けたり、状況にあわせて価値観をころころ変える“根性無し”のほうが「悪」なのだ。

自分の価値観を拠りどころに

 人に言えない秘密ができたり、大切な人をなくしたり。生きていれば、誰もが、なんらかの「負の経験」に見舞われるだろう。
 頑張るほどに疲れて、自分を見失い、自信をなくしている人も多いのではないか。

 過去の出来事が水原をどう変えたのか、少しずつ過去を明らかにしながら、水原がどう発言し、判断していくのか? が語られる物語を読みながら、読者は、自分の価値観を拠りどころに筋を通していく、スーパー・ヒロインのカッコよさに魅了されると思う。

 世の中に矛盾を感じつつ、自分の居場所を探して頑張っている人に、ぜひ、この上なくカッコいいスーパー・ヒロイン、水原の物語を読んでもらいたい。

 この本の続編、『魔女の盟約』が、2008年1月に刊行されている。韓国、中国へと舞台がグローバル化し、さらにスケールアップした続編も、一読をお奨めします。

(2009年5月)

単行本
魔女の後悔
大沢在昌

定価:2,420円(税込)発売日:2024年04月19日

文春文庫
魔女の笑窪
大沢在昌

定価:880円(税込)発売日:2009年05月08日

文春文庫
魔女の盟約
大沢在昌

定価:1,155円(税込)発売日:2011年01月07日

文春文庫
魔女の封印 上
大沢在昌

定価:737円(税込)発売日:2018年12月04日

文春文庫
魔女の封印 下
大沢在昌

定価:748円(税込)発売日:2018年12月04日

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