昭和二〇(一九四五)年八月一四日正午から翌日一五日正午までの二四時間を描いた『日本のいちばん長い日』がそうであったように、日米開戦の契機を題にとった本作もまた、大著である。
本作は、真珠湾攻撃に至るまでの経緯やその直後の動向などを主要な交戦国の公的記録のみならず、報道や文人の手記、人々の記憶を頼りにして高精細に浮かび上がらせる。
“語り部”とも称される著者の腕によるものであろう、本作は開戦というあまりに深刻なテーマに比して、決して読みにくいものではない。が、それは読みやすい作品であることを意味しない。
私は本作を読み進めていくなかで、この“読みにくさ”は作品に固有のものではなく、私の内側にあるこの題材、あるいはこの時代――いわゆる戦中・戦前――そのものに対する拒否反応であることを見つけた。
降伏、敗戦、ましてや終戦などという一言では到底言い尽くせないものを、先の大戦はこの国の歴史に刻んだ。そして後世にいる私たちは、東亜新秩序だの八紘一宇だの五族協和だのという名分では糊塗し得ぬ醜悪な凶事が各地で起きたことを知っている。しかし身命を賭して、親兄弟、妻や子供のために戦った将兵がいることもまた歴史の一つなのである。八月一五日を過ぎてもなお北方の島々で、山東省の荒野で、蒸し風呂のごとき南方の密林内で故国に暮らす人々を思いながら戦い続けた日本人がいることをもひっくるめて。
私は、そうした多面的・多層的に構成される峻厳なまでの史実を前にすると茫然としてしまう。
戦前の価値観を日本固有のものだと賛美することも、暗い時代だったとただ拒否することも許さない何かを、歴史は抱えている。
『[真珠湾]の日』という本は、まさにそうした歴史と真正面から向き合ったものに他ならない。本書を読みながら、読者もまたこの国の歴史と格闘を強いられることになる。
なぜあれほどまでに無謀な戦争に突入してしまったのか、という当時に対する問いはこれまで幾たびとなくなされてきた。愚かしい選択であった、と。
しかし当時の敵国であるアメリカ政府や当地の人々に通底するある種の無邪気さ、日本人を含むアジア人に対する軽侮、はたまた頑迷なまでの蔣介石陣営の言説に触れるとき、私は自分の内側に正視に堪えぬものを見つけざるを得ない。
中国大陸における戦争には道理も義理もなく、いたずらに生命と資源を浪費し、あまつさえ数々の戦争犯罪が行われたという史実を知っていてもなお、本書を読んでいると国民党政府には日米間の和平交渉においては局外にあってほしいと暗に願う自分を行間に見出して愕然としてしまう。決定的な破局、鮮やかなまでの真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦を境にして転げ落ちるような敗北と玉砕とを繰り返し、原爆投下と完膚なきまでの敗戦を知っていてもなお、和平交渉の成就をどこかで願っている自分を見つけてしまうのだ。
しかし一番に驚くべきは、日本人を劣等人種と決めつけ尊大な態度で臨んでくるアメリカ人に対して一矢報いたいと思う何かが、先の和平を願う感情とは真逆の熱狂が心中にきざしているのを自らの内にあるのを認めるときだろう。
日本が大陸から手を引けば済む話といってしまえばそれまでであるが、歴史と向き合うというのは、おそらくそういう無味乾燥な結論を得るためにあるのではない。ましてやそれが自国の歴史である場合はなおさらだ。
ここに、著者のあとがきを引きたい。
「日中戦争で国力を使いつくし、そのあとに大戦争に突入し日本は三年半以上を戦いつづけた。それを可能にしたのは、結局において、日本人がこれを支持したからである。」
私が私の中に見つけた醜悪なものとは、すなわちこの戦争に対する支持であり、本書を通して私のうちに再現されたのはまさに当時の日本人の心理にほかならない。
摩訶不思議なことだが、本書を通じて再現された当時の精神をつぶさに観察してみると、理性が完全に沈黙させられているわけではないことが分かる。一九四一年を再現している私の精神は、攻撃性と好戦性を携えながらその一方で米英との戦端がどういう結果をもたらすかということを十分に承知していて、戦争はなんとしても避けなければならない、ともしっかりと理解をしているのだ。
それは戦争の推移を知っている後世の人間だからいえることである、という批判はおそらく当たらない。
というのは、本書でも描かれているとおりそう少なくない日本人が、国力差の著しい米国との開戦がどういう結末を招来するか、ある程度の見通しを持っていたからだ。
軍や政府機関のように、詳細な数値としてそれを自覚していたかどうかはさておき、ある新聞の論説委員は「終(しまい)には死に至るかも知れぬという危険を遠くの方に感じ」ていたし、開戦の報に触れて「負けだッ」と直感した記者もおり、そもそも中国大陸における泥沼の戦いに一向の光明も見えない中で、その戦力をはるかに上回る米英と戦端を開くことが事態の改善に繋がろうはずもないことは、火を見るよりも明らかなことだった。
歴史と向き合うとは、多分こういうことなのだろう。
戦争を避けなければならないと十分に理解しながらも米国を憎悪し、中国大陸の戦線に鬱屈し、それでいながら早く戦争を終わらせたいと願い、しかし一方で戦勝を信じてやまないという日本人の実像を自らの中に認めるということが歴史と向き合うということなのだろう。
この圧倒的なまでの歴史を前にしては、家族や同期やあるいは他の誰かや何かを思い戦い死んでいった人々を英霊と称揚し、それでいながら当代に生起した一切の罪に目を瞑ることも、全てを軍部の暴走のひとことの下に葬り、なお自らもまたその被害者だったのだと居直ることもできない。著者の言葉を借りれば、「誰かに都合のいい神話」を歴史の中から抜き取っては着脱するという勝手を歴史は許さないのだ。日本人として日本の歴史と向き合うということは、その一切を我が身で引き受けるということを意味する。そしてこれは、決して愉しいことではない。冒頭に述べた“読みにくさ”とは、まさにこれだったのだ。
さて、唐突かもしれないがここで「天災は忘れたころにやってくる」などの名言で知られる物理学者・寺田寅彦の随筆『天災と国防』に少しばかり触れたいと思う。
寺田は、日本の地形の特殊というものを説きながら、天然を相手にする工事においては西洋工学にのみ頼ることはできないのではないか、と当時の日本人技術者の態度に疑問を呈する。事実、大正一二(一九二三)年の関東大震災や昭和九(一九三四)年の室戸台風などに際して、古来からある建物は無事であるのに対し新様式と呼ばれるような建物群が甚大な被害を受けていることをその例に引く。
そのうえで寺田は、「今度のような烈風の可能性を知らなかったあるいは忘れていたことがすべての災厄の根本原因である事には疑いない。そうしてまた、工事に関係する技術者がわが国特有の気象に関する深い知識を欠き、通り一ぺんの西洋直伝の風圧計算のみをたよりにしたためもあるのではないか」と技術者へ反省を促す。
私は、『[真珠湾]の日』を読みとおしてみて、災害大国といわれる我が国の地形的特殊は、だからこそというべきか、思想的にもその特殊を保有しているのではないかとはたと思い至った。
西洋直伝の風圧計算もとい、民主主義や人権や諸価値に関する思想的なものを普遍の一言でもってこの国の土地に打ち立てることの疑問と言い換えてもよい。日本には日本の伝統があるからそれら舶来の価値観を否定せよ、という主張では全くないことを念のため記しておく。
四方を海に囲まれ農耕適地が少なく自然環境の厳しいこの列島の特殊は、おそらく思想的土壌にもこの列島特有の“いびつ”を備えているのではないか、と私は考えているのだ。
かつての新様式の建物群が日本の地形的特殊によってあっという間に倒壊してしまったのと同じく、そうした諸価値が日本の思想的特殊によってさらわれてしまうのではないか、と私は危惧しているのだ。この国を戦争に叩き込んだその特殊は、おそらく全くの手付かずのまま残ってしまっている。
日本軍の組織的欠陥を分析した名著『失敗の本質』(戸部良一ほか著)にも次のような指摘がある。
「近代戦に関する戦略論の概念も、ほとんど英・米・独からの輸入であった。もっとも、概念を外国から取り入れること自体に問題があるわけではない。問題は、そうした概念を十分に咀嚼し、自らのものとするように努めなかったことであり、さらにそのなかから新しい概念の創造へと向かう方向性が欠けていた点にある。(中略)その前提が崩れるとコンティンジェンシー・プランがないばかりか、まったく異なる戦略を策定する能力がなかったのである。」
開戦初期を題に取る本書においても、その欠陥をいたるところに見つけることができる。
「状況がいかに変化しようとも、敷かれたレールの上を突っ走るのが、日本海軍の奇妙な流儀であり特徴なのである。」などは、まさにその欠陥の換言ともいえよう。詳しくは本書に書かれているとおりであるが、マレー半島への上陸作戦やその一つを構成するタイを通過する行軍計画などにおいても、不測の事態に対する備えや代替案が検討された様子は一切なく、ただ当初に決められたレールに忠実であろうとし続ける奇妙さが度々顔をのぞかせている。
余談ながら、私はかつて陸上自衛隊に籍を置いていた。旧軍でいうところの士官学校にあたる幹部候補生学校で教育を受けていた折、「腹案の保持」ということについて事あるごとに教官陣から指導を受けた。訓練とはいえ、極度に追い詰められた状態で当初の戦闘計画が機能不全になった場合、一から新しいものを策定するのは人間の能力上厳しいものがある。その時頼りになるのは、そうした厳しい状況に突入する前に入念に検討された“最悪の状況”に対する腹案だった。
状況に適応することほど困難なことはない。予め周到に計画したものの前提が崩れ去ったときほど虚しい瞬間もない。高度な訓練を施された戦闘集団であっても、全くの烏合の衆に転落することは十分にあり得ることなのだ。その時、当初の計画や必勝の信念、神意にすがることは一つの救いになるだろう。その先にあるものが、決定的な終末であることをうっすらと分かっていてもなお、そこに縋り付きたくなるだろう。
歴史と向き合うことの困難さは、そこにある気がする。
そしてこの困難さは、本書を通じて著者・半藤一利が遺した日本人に対する問いでもある。
私たちが普遍的と信じてやまない数々のものがいとも簡単に破砕され、希望が打ち砕かれ、不安と絶望に苛まれている折に、あたかも救いの手のように差し出される熱狂と狂気とを、本当に振り払うことが出来るか、という問いだ。
恐ろしいことだが、この困難と向き合わなければならない時代が、すぐそこまで迫っている気がする。
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