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私一人ではわからない日本史のその奥へ

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

磯田道史と日本史を語ろう

磯田道史

磯田道史と日本史を語ろう

磯田道史

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『磯田道史と日本史を語ろう』(磯田 道史)

 私一人ではわからない日本史の謎が多くある。例えば、日本列島人は、どこから来たのか。古代以前に、どのように混血したのか。こういう話は列島人の遺伝子解析の第一人者に学説をきいてみるより手はない。戦国武将にしても、今日伝わる織田信長の身長・体重・血圧は、ほんとうに正しいのか。私一人で古文書をながめても、どうも確信がもてない。また徳川幕府が出来た理由ももっともらしく説明されるが、いちばん単純な話が忘れられがちである。家康は七十五歳まで生きた。ライバルの豊臣秀吉や前田利家よりも、十年以上も長生きである。家康の長寿こそが江戸幕府ができた基礎条件であった。ここから深めて、家康個人の健康の秘密は、当時の医療に照らして、どのように論評できるかといった点は、医療史の専門家と論じるしかない。好奇心の赴くままに、こういう日本史の謎解き作業をやってみたのが本書である。私は江戸時代を専門とする研究者である。戦国中世史はやはり、小和田哲男さんや本郷和人さんと探っていきたい。

 ここで言っておきたい。歴史書は二つの部品で成り立っている。東洋風にいうと「史伝」と「論賛」である。一つは史実だけを書いた「史伝」である。もう一つは、その史実・人物についての賢愚・善悪・後世への影響を論評した「論賛」である。司馬遷『史記』が、この二つを分けた歴史語りをはじめ、唐の時代に、この論評部を「論賛」と呼ぶようになった。

 この本の中身は愉快すぎるほど、はっきりしている。私が日本国内の「その道の達人」の方々と出会って「日本史の論賛」を大いに自由にやった対話集である。「対話本は中身が薄い」は嘘である。対話本は見かけ上、会話調が冗長に感じるだけで、中身は深い。それはなぜか。はっきりしている。専門家が一人で自著を書くと、答えたくない問い、答えにくい裏話は避ける。ところが対話本では聞かれれば話してしまう。本書には、徳川宗家の当主ご自身が、家康の女性観について話し、子孫として論評した部分さえある。歴史の風景は、人によって見え方が違う。直系の子孫として歴史人物を見た場合、あるいは時代劇を演じた俳優が歴史について気づいた事柄などは、歴史家の私も、ハッとさせられることが多い。

 女優の杏さんが目を輝かせて坂本龍馬や新撰組について語り、誰も知らないようなマニアックな幕末女性の生きざまを論じている箇所もある。杏さんは幕末史をみると「一日一日を大切に生きたい」と思い、「明日への元気をもらえ」るという。さらに、この本には、この国の本物の巨匠が登場する。巨匠たちはいつも歴史語りの達人だった。巨匠中の巨匠、作家・浅田次郎さんとの出会いは、私の貴重な宝物である。「結局、新選組というのは、コンプレックスの塊なんですよ」。そうズバリと言われたときの衝撃は今も忘れられない。中村彰彦さんは「勝者の薩長史観」に異論を唱え「会津や旧幕の視点」を重んじた先駆けの人であり、屈指の歴史知識を持つ。会えば泉の如く史論が湧いた。出口治明さんはビジネス界出身の方であり、私にとってその歴史観察は新鮮であった。

 養老孟司さんは別格の人物である。歴史家の目から見て、この国には「人とは思えぬ天才を超越した超人天才」が数人だけはいると感じる。養老さんは間違いなく、そういう超人の一人である。発想がすごい。「私は関東大震災が次の太平洋戦争に関係していると思います」とおっしゃられた。首都東京で焼け野原と死体の山をみてしまったら、人間の脳は無意識に「もういいや」と死を軽くみるようになる。もう一度、空襲されて同じ風景が首都に現れた。人間の脳内の風景は現実世界に出現してしまう。それを指摘された対談が、この本には載っている。

 思えば平成までは、超人天才はこの国にももっと多く棲息していた。ここには、堺屋太一さん、半藤一利さんといった、もうこの世にはいない超絶した記憶力と論評力のレジェンドの、今となっては聞けない貴重な語りが収録されている。読み返すうちに、私は泣けてきた。私一人では行けないあの「日本史の知の蘊奥」に連れて行ってもらった一瞬の幸福の時を思い出して、頬を涙が伝ってきた。読者諸氏と、この至福の時間の雰囲気を、この書物でともにしたい。


「まえがき」より

文春新書
磯田道史と日本史を語ろう
磯田道史

定価:990円(税込)発売日:2024年01月19日

電子書籍
磯田道史と日本史を語ろう
磯田道史

発売日:2024年01月19日

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