〈京都にはあちこちに結界が…“鬼門封じ”を絶対にしてはいけない理由とは〉から続く
インバウンドに沸く千年の古都・京都には、「雅」の裏に隠された得体の知れない怖さが存在する――。『イケズの構造』『京都人だけが知っている』等の著書で知られる生粋の京都人・入江敦彦氏が、このたび「京怖(=京都の恐怖)」の百物語を綴った『怖いこわい京都』(文春文庫)を上梓した。
ガイドブックには決して載っていない、都に暮らす人々だけが知る「異形」の京都の魅力をこっそり教えます。(全4回の4回目)
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京都とあの世は距離が近いと前回書いた。間に壁はあるが安アパートなみに薄いと。あっちの住人たちの声が筒抜け。で、これだけツーツーだと、そんな声に影響を受けちゃう人もいる。あげくあっちに取り込まれちゃう京都人も後を絶たない。
そんなふうにイッちゃった人の代表をあげるとしたら、それは間違いなく鉄輪(かなわ)の女、だろう。藁人形を五寸釘で打ち付ける丑の刻参りの元祖。能の演目を始め様々な物語のモチーフとなっているのでフィクションだと考えている人も多そうだが、いやいや、いたんですよ。ええ、ほんとに。
下町っぽい風情が残る堺町通松原の横丁には女が生まれた家があったとも死んだ場所ともいわれる〈鉄輪井戸〉が現存する。江戸時代に銘を刻んだ石碑が発掘され改めて祀られることになった。井戸の水は縁切りのご利益あらたかとされ、10年くらい前までは保存会の皆さんによってペットボトルに汲み置かれた水が並べられ自由に持ち帰れた。
この都市では現実と虚構の仕切りもまたあやふやなのだ。いまでも拝見させてはいただけるが住民の迷惑にならぬよう決して騒いだりしないでほしい。
前述した能では鉄輪女が願をかけに参るのは〈貴船神社〉ということになっている。けれど、わたしは以前から眉に唾をつけていた。遠い。遠すぎる。いくらイッちゃってても地図上では井戸からの丑の刻参りコースは奇しくも往復42km前後。フルマラソン距離なのだ。しかも当時は舗装されていない山道である。眉唾もいいとこ。
フルマラソンを丑三つ時に…
実はある人にお願いして、このフルマラソンを丑三つ時に走ってもらったことがある。
大学の先輩で、敬愛する漫画家の喜国(きくに)雅彦さんだ。パイセンは走るのが趣味で、日本全国各地で約42kmのランニングを決行し、そのリポートマンガを描くという連載をされていたことがある。ルート募集中という話を聞きつけ渡りに船で長年の疑問を解決すべくむちゃぶりしてみた。
詳細は『キクニの旅ラン』(小学館)をぜひ読んでいただきたい。丑の刻ラン以外もみんな過酷に(笑)面白いから。
でもって結果はというとトレーニングを積んでいれば女性でも夜明けまでに帰宅するのは不可能ではないという驚きの報告だった。それを分かっててぎりっぎりの設定をしたんだとしたら、それもすごいなと思う。もっともニップレスとかしてないと乳首が擦れて血が出るよ、ということだった。以来、鉄輪の女のことを考えるたび、乳首大丈夫かなーと心配してしまうわたしであった。
正体不明のもやもやが
ところでランの写真を紹介したいから送ってほしいとお願いしたら、これが予想の遥か斜め上を行くキョーレツな画像だった。ので、ちょっと脱線するけれど何枚か紹介したい。
まずは出発点、鉄輪の井戸の前でパチリ。丑三つ時(午前2時)あたりに貴船神社へ到達できるように逆算して時間は午後11時。
貴船神社を目指して鴨川を北上。当日はときおり小雪のちらつく寒い晩だったようだ。しかし湿気はなく空気は澄んでいたという話。まずは、ご覧ください、喜国さんの後ろ姿を取り巻くオーブの数々。正体不明のもやもや……。
鉄輪の女も一服した下鴨神社を経由して京福電車の踏切を越えるころ、もやもやはピークを迎える。
ひどくヤバい写真のようだが、このあと霊障的なものはとくになかったそう。むしろ走り終えたあと憑き物が落ちたようにすっきり爽やかだったと喜国さんは語る。たぶん京を斜めに貫く北東の鬼門ラインには、こういう“ナニカ”が猿に導かれ常に通ってくるのだろう(特別エッセイ#3参照)。
そしてついに薄っすら雪化粧をまとった貴船神社に到着。門は閉ざされ灯りはすべて消えている。かつて、こんな貴船をわたしは知らない。そして、これが鉄輪の女の見た貴船である。
もちろん山奥にもデフォで、もやもや。
面白いエピソードなのだが、市内に戻ってきた喜国さんは「なぜか」そんな気になって予定になかった晴明神社へ寄り道しているのだ。それを聞いたときわたしはけっこうゾッとした。だって、お能の演目「鉄輪」で丑の刻詣りの女を成敗するのは誰あろう安倍晴明なのだから。
それにしても晴明神社の鳥居に掲げられた額のシンボルマーク五芒星が照明でも仕込まれているように光っているのは何故? フラッシュの反射には違いないが、あまりにも不自然な輝きだ。
おそらく蓄光塗料が塗られているのだろうが、それでもわたしは鬼門除けの総本山である晴明さんが連れてきてしまった“ナニカ”を祓ってくださっているように感じた。
現実と虚構の境界線きわきわを走る鉄輪の女。だが実際にいたことは間違いない事実だ。それどころか、かつて京都には何百何千人もの鉄輪女が丑の刻ランしていたのだ。はい、論破!的証拠もある。
鉄輪井戸から徒歩30分足らず東の〈清水寺〉。
“清水の舞台”の柱に点々と
有名な国宝の“清水の舞台”の柱に点々と釘跡が虫喰っていることに気づく人は稀だ。真夜中でも人知れずここに忍び込めた時代、無数の鉄輪女が藁人形を打ちつけにやってきたのであった。嘘みたいな本当の話とはこういうことをいう。
この寺の鎮守社(「ちんじゅしゃ」土地の護り神)である〈地主神社〉にも同様の釘跡がいっぱいついた一願成就の杉と呼ばれる切り株が境内の片隅にどっしりあぐらを掻(か)いている。ここの境内は、おまじないテーマパークのような空間だが、おそらくはこの大木に集まった鉄輪女たちが起源ではないか。注意深く京都の社寺を観察してゆくと彼女らがすがった呪いの名残は実に数多い。
モノホン(笑)は顔に朱を、身体に丹(水銀から作る赤い塗料)を塗り、髪をニカワで固め三本の角に見立て、王冠のように五徳(ごとく。囲炉裏に据えてやかんや鍋などを置く足つきの鉄の輪)を冠り、蝋燭を灯して、口に松明をくわえ、白い死に装束で都大路を駈け抜けた…とされる。呪術的な意味はなくて、どちらかというと鬼女に「なりきる」ための早い話がコスプレである。
だが鉄輪女がうじゃうじゃいた時代もそこまで本格的なコスプレイヤーは少なかったと想像する。むしろ人目に立たぬ姿で五寸釘を打つ場所へ向かったはず。でなければ「あそこの娘さん丑の刻参りしたはるえ!」てな噂があっという間に広がってしまう。京の口コミ情報ネットワークを侮ってはいけない。
呪術の痕跡のなかで最もゾッとしたのは…
わたしがこれまで目にした呪術の痕跡のなかで最もゾッとしたのは〈志明院(しみょういん)〉本堂のそれだろう。なぜって、それはシンプルにここがものすごい山奥だからである。鴨川の源流にある創建650年の寺院は、車を使えば京都駅からでも1時間足らず、距離的にも貴船と大差はない。しかし市街地を抜けてからの異界に飲まれるような感覚は独特である。
そんな秘境まで藁人形を携えて五寸釘を打ちに登る執念というか妄執というかが、いかばかりかを想像するとしみじみと恐ろしい。
志明院は超自然現象のメッカとしても知られている。寺院に併設される宿泊施設に滞在した『竜馬がゆく』の大作家・司馬遼太郎は数々の怪奇現象を目の当たりにして「魑魅魍魎(ちみもうりょう)の最後の砦」と評した。その話を聞いてここを訪ねた宮崎駿が『もののけ姫』の舞台に設定したというエピソードも知られる。ああ、そうか。もののけ姫=サンが顔を朱で隈取り赤い血で口の周りを汚すのは、彼女が恨みをたぎらせる鉄輪女でもあるからなのだ。
たぶん丑の刻参りをめざす女たちにとって魑魅魍魎はもはやお仲間なのだろう。ならば志明院はむしろ心安らぐ場所なのかもしれない。
「結局一番怖いのは人間」だという。そうだよなと深くうなずくが、より正確には怖いのは「人間の願望」なのだと思う。それが呪いだろうと、縁切りや縁結びだろうと激しい願望はときに人を根本から変質させ、常軌を逸した行動に走らせる。
一般的には厄落としのシンボルであり夫婦和合や多産を象徴するユーモラスな「おかめ」「お多福」だって念が凝り固まればすさまじいものになり得る。そういう意味で〈千本釈迦堂〉のおかめ像コレクションは一見に値する。鉄輪女とは正反対のはずの福相の裏に秘められた願望のエグさに息を呑むだろう。
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