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アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?

アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?

郡司 珠子

内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

 アベノミクスのブレーンで経済学者の浜田宏一氏が自身の躁うつ病体験、息子の自死について、浜田氏とつながりのある小児精神科医の内田舞氏と語り合った『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)。渡米前の浜田家の向かいの家に育ち、浜田宏一氏の子どもたちと幼少時の時間を共にした編集者が、夏目漱石の時代から変わらぬその心の葛藤を、そして人生の中で訪れる大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスを本書の中に読む。必読の書評です。

◆◆◆

渡米前の浜田家とのつながり

 浜田宏一はアベノミクスのブレーンとして、経済政策を担った経済学者である。

 本書は、宏一の長いうつ闘病をひもとく対談集であると同時に、未来を嘱望された学者が息子を亡くした苦悩の記録でもある。

 88歳になる宏一の対談相手に、ハーバード大学医学部の現役精神科医である内田舞が選ばれたのは、単にその職業によるものではない。舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。アメリカ人の主治医には語りきれない心の機微を、宏一は母語で打ち明けることができた。

浜田宏一氏(経済学者、イェ―ル大学名誉教授)

 筆者は、渡米前の浜田家の向かいの家に育った。宏一の子どもたちと幼稚園・小学校時代を共にし、海風の吹く庭で木に登り、空き地を走り回った。野生児たちを見守る宏一は、含羞をたたえた品のよい父親だった。

 浜田家には、欧米の学問生活のにおいがあった。宏一は、東大経済学部からマサチューセッツ工科大学を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員となり、「ゲーム理論を国際間の経済政策の駆け引きに応用する」ことを研究主題としていた。

 高校生になるころ、子どもたちもまた欧米へと羽ばたいていった。そこに日本と変わらぬ暮らしがあることを、筆者は疑いもしなかった。だが現実は、おそろしいほど違った。

 終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症。のちに離婚を経験した。

 そして、26歳の息子を喪った。同じアメリカで。おそらくは同じ病気で。

精神科医としての注意深い聞き取り、学者らしい入念な語り

 1985年、当時の日本経済には破竹の勢いがあった。

 アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。

「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている。

夏目漱石の時代からの変わらぬ葛藤

「自分の問題として能動的に取り組みなさい」というアメリカ医療のスタンスに驚きながらも、「大うつ病」から「双極性Ⅱ型障害」と診断名が変わり、自分に合う薬と出会った宏一は、症状がなくなる経験をする。

 医療者としての舞は、宏一の症状のなかに「インポスター症候群」を見る。自分の力で達成したことを自分で評価できなかったり、他人が思う能力に自分が値しないと過小評価したりする症状である。さらに舞は、投薬や通院を「負け」「ずるい」と考える傾向がいまだに根強いことを指摘、「内的評価」を育てることの重要性を説く。

内田舞氏(ハーバード大学医学部准教授、小児精神科医)

  学問の高みは、生半可な努力では通用しない世界だ。スポーツでいえばオリンピック代表。日々の鍛錬の果てに、ようやく場に立つことが許される。その世界を極めながらも、異国にあってマイノリティとならざるを得ぬ、息苦しさ。夏目漱石の時代から変わらぬ葛藤が、そこにある。

  一度入り込んだ恐怖、襲いかかる妄念をふり払うのは、容易なことではない。

 退院後も治療は続き、宏一は一部の講義を担当できなくなった。そのころ息子・広太郎は3000マイル離れた西海岸で、ガラス作家となっていた。いつしか父と同じように希死念慮に取りつかれるようになり、酷く苦しんでいた息子に、宏一は様々な理由から会いに行くことができなかった。死の一報を受けた日の、身を切るような痛みを、宏一は鮮明に覚えている。

「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」

  家族を亡くした人と気持ちを共有させてほしいという思いから、宏一は辛い経験を詳細に語る。それに対し舞は、精神疾患には遺伝要因が大きくかかわるとしつつも、遺伝子の発現には疾患リスクだけでなく、その人をその人たらしめている様々な美点も含むのだと語る。やんちゃだった広太郎の輝くような笑みは、変わらず周囲の記憶に刻まれている。

経済学と精神医学の類似点

 宏一の気づきは、経済学と精神医学の類似点へと向かう。

 専門家が見れば、症状の深刻度合いはわかるが、病名や治療薬は必ずしも確実ではない。複雑な要因がからみあって生じた症状に対して、試行錯誤を重ね危機に陥らぬよう手当てしていく、そういった点で似かよっているのだ。

 病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる。アベノミクスの功罪、回復の過程で気づかされた学問世界の隘路については、本書後半に詳しい。

内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)

大きな災厄のなかでのレジリエンス

 読み通すと、光が見えてくる本だ。

 宏一の業績は高く評価される。政策論議から怒りを買ったアメリカ政府高官からさえも「学問的成果を尊重する」の一言があり、それが認知療法的に有効だったという。アメリカまで駆けつけてくれた同僚もいる。他人の絶え間ない評価や手助け、そして新しい仕事が、回復の一助となっていくのだ。

  宏一には、苦しい時期の彼の口述を手記としてまとめた現在の妻が、また今も各地で、地に足の着いた生活をする家族がいて、交流がある。世に知られた人が立て続けに大きな災厄に見舞われた時に、レジリエンス(弾性)ある身内の存在はどれほどの支えとなっただろうか。そのレジリエンスもまた、宏一を介して培われたものに違いない。

 舞は「ラジカル・アクセプタンス」という言葉を最後に引用している。仏教の思想を基とする心理用語で、「起きたことは起きたこと」と、事実をアクセプト(受容)して前に進むことを意味する。

「また自分がどこかで役に立てるだろうと未来を信じること」

「いまどう最善の道を選ぶのか」

 宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。

 その模索は深く長く、心に響く。

郡司珠子(ぐんじたまこ) 株式会社KADOKAWA勤務。辞書、雑誌、文芸書、翻訳書、ノンフィクションを編集。手がけた近刊に、『流浪地球』『老神介護』劉慈欣 大森望・古市雅子訳、『心に、光を 不確実な時代を生き抜く』ミシェル・オバマ 山田文訳、『「自傷的自己愛」の精神分析』斎藤環、『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』久坂部羊、『老いてお茶を習う』群ようこ など。

文春新書
うつを生きる
精神科医と患者の対話
内田舞 浜田宏一

定価:1,078円(税込)発売日:2024年07月19日

電子書籍
うつを生きる
精神科医と患者の対話
内田舞 浜田宏一

発売日:2024年07月19日

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