〈「これが幸せの匂いっていうのかなあ」高倉健が生涯忘れることができなかった“イーストの香り”〉から続く
今年で没後10年。戦後日本を代表する名優はどのような食事を楽しんでいたのだろうか。ここでは高倉健さんに17年寄り添ったパートナーの小田貴月による、健さんが生前召し上がっていた家庭料理を紹介するフォトエッセイ集『高倉健の愛した食卓』より一部抜粋。健さんが“人生の最後に食べたかった一品”をご紹介する。(全2回の後編/前編を読む)
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「卵かけご飯が食べたいな」
「もし明日死ぬってわかったら、最後に食べるご飯は……家で、卵かけご飯が食べたいな」
かつて、久米宏さんがメインキャスターを務めていらした報道番組『ニュースステーション』の対談企画、“最後の晩餐 ~ 明日あなたが死ぬとわかったら、最後の晩餐は誰と、どこで、何を食べたいですか”を見ていた時のことでした。
「飯があったかいっていうだけでありがたい」
夕食は、ひと品ごと、お膳に出すようにしていました。
「家で食べるときは、急かされたくないし、自分のペースで好きに食べたい。入手困難とか、珍しいとか言われているものを、何が何でも食べたいとかも思わない。これあったかかったらどんなに美味いだろうなあなんて思いながら、ロケ先で弁当を食べていたこと思い出すとね、飯があったかいっていうだけでありがたい」
そんな高倉の思いを汲み、家では温かいものを温かいうちに食べてもらえるよう、下準備をすませておいて、その都度仕上げてお膳に出しました。
温奴から始まり、小鉢の副菜が2品から3品、主菜、そしてしめのご飯もの。主菜を食べ終えるあたりで、通常の白米、パスタ、炒飯など、高倉が食べたいものを訊いてから調理しました。
生ものはあまり口にしなかった
しめのひと品、一番人気は炊き立ての白米。そして、あまり生ものを口にしない高倉が、これだけは生で食べたいというのが、卵かけご飯でしたので、鮮度の良い卵を常備していました。
お茶碗にふんわり盛った白米の中央を、菜箸などで少しくぼませて、ぷりぷりの黄身をそっとおいてお膳に出しました。卵かけご飯専用の醤油を、高倉のそのときの気分でかけてもらいました。
お茶碗でのご飯の基本は、2膳。「これ、1膳目だよね。じゃあ、もう1膳」が、食事の満足度をあげる一言でした。
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