事件ルポから教育問題の最前線まで、独自の視点で社会に切り込んできたノンフィクション作家・石井光太さんが、自身の取材・執筆の方法論を初めて明かした新著『本を書く技術』を上梓した。伝わらない文章を回避するためのコツとは?
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話は面白いのに“書くと面白くない”
――これまで社会性の高いテーマの作品を多数書かれてきましたが、なぜ今「書く力」なのでしょうか。
石井 私は朝日カルチャーセンターで約15年にわたって、「ノンフィクションをどう書くか」をテーマにした講座を開いてきました。この十数年のなかで感じる変化は、「面白い題材や視点を持っているのに、文章をきちんと書けない」生徒が増えたということです。こうした有料講座をわざわざ受講しにくるのは、書きたい意欲が高くて、多くはプロのライターを目指す方々です。セミプロもたくさんいる。みなさん、しゃべるのがうまくて知識もけっこうあるのですが、文章として表現する力が弱い。
話は興味深いのに「書くと伝わらない」「書くと面白くない」というギャップをどう埋めるか? という課題感が今回の執筆の背景にありました。
――それは以前、大変話題になった『ルポ 誰が国語力を殺すのか』で指摘されていたような、国語力の劣化の反映なのでしょうか。
「書く」のもトレーニングが必要
石井 国語力は、情緒力、想像力、論理的な思考力を総合的に含んだものですから、書く力の土台です。いわば、スポーツにおける運動能力のようなものです。文章を書きたいと思っている方は、ある一定以上の国語力を備えていることがほとんどです。でなければ、書きたいとは思いませんからね。
ただ、「運動能力が高い=サッカーがうまい」わけではないのと同様、伝わるように書くにはプラスαのトレーニングが不可欠です。サッカーがうまくなりたければ、もともとの運動能力に加えて、それに特化した練習が必要なのと同じです。楽器の演奏やデザインでも同じですよね? そのジャンルの方法論をスキルとして体得していなければ、ある水準以上のパフォーマンスを継続的に出すのは難しい。
ところがこれが文章となると、あまりにも身近なものであるがゆえに、「書く」にも技術が必要だということを忘れがちです。そして、その技術を習得する場所も乏しいのが現状でしょう。
――確かに、意識的に学ぶものという感覚は薄いですね。
論旨がおかしく、ただ情報が羅列された記事…
石井 それは私たちをとりまく言語環境の問題もあると思います。一般のブログはもちろん、プロが書いているはずのウェブ記事にも、「何が言いたいのかよくわからない」「論旨がおかしい」「ただの情報の羅列」といった水準のものがありふれているからです。メジャーなポータルサイトの掲載記事、大手メディアが配信している記事ですら、そういうものが含まれているので、受け手もこれでいいんだという感覚になってしまう。
各社にしたら、一日に何本も出さないといけないウェブ記事を編集者が丁寧にやりとりしてブラッシュアップしたり、校閲を通すような時間もお金もないのでしょう。ライターのほうだって、単価の安い仕事にそこまで時間をかけられない。もっと言えば、読者のほうも、さらっと斜め読みで、記事を最後まで読み通さない人が非常に多い。
誤解をおそれずに言えば、この悪循環のなかで、雑な記事から苛烈なSNSの書き込みまで、日々低水準な日本語を大量にあびて現代人は生きています。
――言葉がトゲトゲしく、論理が飛躍した文章がウェブには溢れていますね。
石井 近年とくに気になるのが、SNSの反応をひろっただけの紹介記事が氾濫していることです。賛否両論併記しているつもりなのかも知れませんが、何を伝えたいのかわからないし、そもそも書いている人間がこれを伝えたいという意思を持っていない。警察や官邸が発表した情報を、書き手の視点や分析なしに、ただ羅列しているだけのウェブ記事も多く見られます。
本来は、絵だって音楽だって、およそすべての表現はその人自身の「伝えたいもの」があるから行う営みなはずです。その前提がなかったりあまりにも希薄だったりする文章の多さに、危機感を覚えます。
――ニュースでは、まずは事実関係を伝えることや、速報性に主眼をおいているという事情もありそうです。
情報の伝達と「表現」の違い
石井 その通りです。もちろん、そうした「情報」としての記事も必要ですし、否定するつもりはありません。ただし、それは単なる情報の伝達であって、文芸としての「表現」ではない。もし文章を書きたい人がプロを目指すなら、「独自の視点と構成力」というプラスαのスキルがどうしたって必要になってきます。これはノンフィクションという、事実の素材を扱う場合も同様です。むしろ事実を扱うからこそ、より必要とされるスキルと言ってもいい。
――どういうことでしょうか。
石井 現実の素材には必ずしも誰もが理解できる意味があるわけではありません。その素材を、説得力をもって「伝わる」文章にするには、必ず「意味の変化」を起こすことが必要なんです。「ノンフィクションの基本法則」は、突き詰めると〈事実→体験→意味の変化〉だと、私は考えています。
例えば公園の砂場に空き缶が捨てられているとします。これはただの汚いゴミであって特別な意味はありません。でもそこに、明日から長期入院する難病の子がやってきて、その空き缶を見つけて缶蹴りをしたらどうか? ただのゴミが入院前最後の大切な思い出になるわけです。
ひとつの事象があったとしたら、なにかしらの体験か視点によって、「意味の変化」を起こす――このストーリーによる意味の変化を構造的につくり出すのがノンフィクションを書くうえでの必須の技術です。
――たしかにそれは面白い作品に共通する要素ですね。独自の視点をもつ大切さを本書でも繰り返し強調されていますね。
取材で「常識が壊れる」瞬間を受け入れる
石井 目の前の事象のなかで、何にフォーカスして、どんなテーマ設定のもとで書くと、それまでの常識にはなかった新しい意味が立ち上がるか? そこを見極めるのが、AIにはできない人間の書く意味だと思っています。自分の眼で、「テーマの空白地帯」を見つけるのです。
ある事件でマスメディアが報じている一般的に流布したイメージや、特定のテーマに関する世間の常識……でもマスメディアが切り込めていない当事者に取材して本音を引き出すと、必ずそこからこぼれ落ちる様々な光と影が見えてきます。
例えば、足立区に暮らす両親が我が子をうさぎ用ケージに閉じ込めて死なせてしまった事件をルポしたことがあります。両親は堂々と「子どもを愛していた」と語っていました。子どもの虐待死という最悪な結果を招いているわけで、当然ながらひどく矛盾した言葉です。
しかし、彼女にとって愛するとは何だったのか? 愛していたのになぜこの家庭はここまで壊れてしまったのか? そこに踏み込むとき、「極悪非道なモンスターマザー」という世間のイメージを超えて、普通のひとりの母親をなにがそこまで追い詰めてしまったのか、家庭が孤立化するプロセスでなにが起きたのか、といった普遍的なテーマが見えてきます。
取材を通して常識が壊れる瞬間を、書き手自身が受け入れることが新しい視座をもつ出発点になります。
――確かに、すぐれた記事やノンフィクション作品を読むと、それまでの固定観念が壊されますね。
石井 それこそがノンフィクションを読む醍醐味です。とくに長めの文章や、書籍のボリュームでは「意味の変化」を起こす構成力がないと、説得力をもって伝わる作品にはなりません。本書では、リーダビリティ高く書くための構成の実践的スキルから、表現手法まで徹底的に掘り下げて解説しました。
私の朝カルの講座からは何人もプロの書き手が誕生しましたし、中には大きな賞をもらって映像化された方もいますが、そのような長年のノウハウを凝縮した初のスキル本です。自分の書くものを収益化したいという人はもちろん、趣味や業務で書いている文章をもっと説得力あるものにしたい、という方々にも広く役立てて頂けたら本望です。
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