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家賃は月4000円、260円のバス代も払えず…「生活は苦しかった」安室奈美恵が“トップミュージシャンになれた”ワケ

家賃は月4000円、260円のバス代も払えず…「生活は苦しかった」安室奈美恵が“トップミュージシャンになれた”ワケ

石井 光太

『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』より#1

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

 日本では「貧困は自己責任」という考え方が根強い。しかし、本当にそうだろうか。物価が上昇し円安が加速している今、貧困と無縁でいられなくなる人も増えている。そろそろ社会に存在する貧困問題と真っすぐ向き合う必要があるのではないか。

 国内外の貧困を取材し続けてきたノンフィクション作家・石井光太さんは、著書『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』の中で、子どもの貧困に対する支援の重要性を訴えている。ここでは本書から抜粋して、歌手の安室奈美恵さんや「カレーハウスCoCo壱番屋」創業者・宗次德二さんなどの事例を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む

安室奈美恵さん ©getty

◆◆◆

シングルマザーに育てられ、毎日一人で留守番を…

 長谷幸人(仮名)は生まれてすぐに親が離婚してしまい、お母さんに育てられた。お母さんは結婚するまで就職したことがなかったため、昼と夜のアルバイトをかけもちして家計を支えた。

 そのため、幸人は24時間対応の保育園で寝泊まりして育ち、小学校に上がってからは毎晩一人で留守番をした。小学2年になるまで保育園や学校の給食しか食べたことがなく、一人っ子だったため遊び相手もいなかった。

 しかし、小学2年生の終わりに、近所にできた子供食堂に通うようになって生活がガラリと変わった。給食の他に、夜にはちゃんとした手作りのご飯を食べることができたし、そこに集まる子供たちと遊べるようになった。ボランティアの大学生に勉強を教えてもらい、ミニバスケのクラブに入ったら先輩からユニフォームやバスケットシューズをもらうことができた。お古の洋服なんかもたくさんゆずってもらった。

 小学5年生の時には、子供食堂のスタッフの紹介で、幸人のお母さんは近所の会社に正規雇用の事務員として就職することができた。夜もお母さんが家にいられるようになり、社員旅行へも連れていってもらえるようになったんだ。

 幸人は今、中学3年生になり、地元でも有名な高校を受験する予定だ。もし高校に合格したら、ボランティアとして子供食堂で働いて、自分と同じような子供の手助けをしたいと考えているという。

貧困の壁を乗り越えるには…安室奈美恵の場合

 行政もこうした心のレベルアップを実現できる場をいろんなところに用意しようとしている。最近では「居場所」と呼ばれているところがそれだ。子供たちが社会から孤立するのを防ぎ、大勢の大人や同級生がかかわることで、精神面で子供たちを支え、自己否定感を生み出す要素を排除し、健全な心を育てていこうという試みだ。

 僕は心のレベルアップこそが、貧困対策で優先すべき課題だと考えている。

 今の学校には、成績アップこそが優先するべき課題だという認識がある。でも、世の中には中卒、高卒の人は一定数いるものだ。もともと計算や暗記が得意じゃない人もいれば、勉強よりスポーツに力を入れたいと思う人もいる。家庭の問題で進学をあきらめる人だっているだろう。全員が優秀な成績をとって一流大学に入るなんて現実的にはありえないことだ。

 ならば、勉強する機会を与えて一流大学進学を目指すより、もっとその子に寄り添ったところで好きなこと、得意なことをしてもらって、心のレベルアップを目指すべきじゃないだろうか。

 

 心のレベルアップを実現できれば、その人は社会で自信をもって生きていくことができるようになる。目の前にどんな問題が立ちふさがろうとも、予期せぬことが降りかかろうとも、それを乗り越えて前に進んでいくことができるようになるんだ。

 これを体現した中卒の有名人といえば、歌手の安室奈美恵さんがあげられるだろう。

 沖縄で生まれた安室さんは、保育園児の時に両親が離婚して、お母さんに女手一つで育てられた。お母さんは昼間は保育士さん、夜は水商売の店でホステスと二つの仕事をかけもちして働いて、安室さんを含む3人の子供たちを養った(平良恵美子『約束 わが娘・安室奈美恵へ』)。

 生活は非常に苦しかったそうだ。離婚後間もなく、住んでいた家の家賃は月に5000円で、窓さえない六畳一間だったという。次に移った団地も、家賃が月4000円という格安物件だったというから、文字通りギリギリの生活だったのだろう。

 それでも母親はめげなかった。夕方5時に仕事を抜け出して安室さんを保育園に引き取りに行き、今度は自分が働いている保育園へ連れていく。毎日帰りは深夜2時で、3時間くらい寝て6時には起きて1日の準備をはじめなければならなかった。

 小学4年生の時、安室さんはたまたま友達と一緒に、沖縄アクターズスクールというタレント養成所へ行ってレッスンの見学をする。とはいっても、ここで学ぶにはそれなりのレッスン料がかかるため、安室さんにとって入学して歌手を目指すのは夢のまた夢だった。

 しかし、運命の歯車がここで動き出す。沖縄アクターズスクールの社長さんが安室さんの才能に一目ぼれして、特待生として無料でレッスンを受けさせてくれることになった。安室さんはお母さんに相談したが、団地から沖縄アクターズスクールへ行くまでの往復のバス代260円を払うことはできないと言った。それでも安室さんはあきらめず、片道1時間半の距離をバス停を頼りに歩いて通うことにした。

安室奈美恵がトップミュージシャンになれたワケ

 安室さんは、沖縄アクターズスクールで練習をつんでいくうちに、歌やダンスの魅力に取り込まれていった。もともとは物静かな性格だったが、いざ音楽が流れはじめるとダイナミックに手足を動かし、誰よりも心に響く声で歌いあげる。その才能は一目瞭然だった。

 

 やがて安室さんはプロの歌手になる夢を抱き、学校へ行かずに練習に没頭するようになった。同級生の一部は「そんなことをしたって歌手になれるわけがない」とあざ笑った。先生も、歌手を目指すより、勉強して高校へ進学するように言った。彼女はそれらには耳をかさず、目標に向かってひた走った。

 彼女がそうできたのは、沖縄アクターズスクールの社長さんやスタッフの支えがあったからだ。彼らは安室さんが絶対に成功すると思って全力で教え、励ましてくれた。お母さんも努力を認めて応援してくれた。

 お母さんはお金がまったくといっていいほどなかったのに、離婚した夫に頼んでお金を2万円だけ出してもらい、欲しがっていたエレキピアノを買ってあげたこともあった。安室さんは誕生日プレゼントさえほとんどもらった記憶がないので大喜びして毎日ずっとピアノを弾いていた。こうした環境が彼女に自信を抱かせ、どんどん自己肯定感が育っていったのだろう。

©iStock.com

 中学2年生の時、彼女はついに SUPER MONKEY'Sのメンバーとなりプロとしての活動をスタートさせることになる。最初は鳴かず飛ばずで、スーパーマーケットのイベントでほとんどお客さんもいない中で歌ったり、子供番組に着ぐるみを着て出演するなどしていたが、歌手になることをあきらめずに努力を重ねられたのは、周りの人たちの支えと応援があったからに違いない。

 心のレベルアップを果たしていた彼女はあきらめることなく、夢に向かって走りつづけることができた。そして17歳の時、ソロ活動に転じて大ヒットを飛ばしたことで、一躍ミュージックシーンのトップに上りつめることができたんだ。

 彼女はこんなことを言っている。

「怖がらずに、思い切って一歩前に踏み出してみたら、人との出会いや、新しい自分の発見が待っていた。そこで得たものが、今の私をつくっているんです」

 安室さんのエピソードからわかるのは、どれだけ貧しくても、周囲の人たちの支援を受けて心のレベルアップをつみ重ねていけば、目標がはっきりと見えるようになるし、それに向かって努力する力をつけることができるということだ。新たな出会いもある。それが、最終的には貧困の壁を乗り越えることにつながる。

中卒・高卒でも社長になれる

 安室さんほどでないにしても、僕の知人の中でも中卒の人で成功している人はたくさんいる。

 建築会社で10年間トビの仕事をしてたくさんの資格をとって20代で独立した人、スーパーでアルバイトしていたところ勤勉さを買われて正社員になり支店長にまで昇進した人、料理人として修業をつんで30歳で自分の店を出した人……。

 みんな貧困家庭で中学までしか出ていないけど、家庭以外の環境や制度をうまく生かして貧困から脱出した人たちだ。

 これを裏付ける興味深いデータがある。東京商工リサーチが日本にいる130万人以上の社長の学歴を調べたところ、図4のような数字が出た。

図4 社長の最終学歴

 高卒 37.5パーセント

 中卒 6.7パーセント

 つまり、日本の社長さんの44.2パーセントが中卒か高卒なんだ。

 もちろん、この中卒、高卒の人がみんな貧困家庭の出身というわけじゃないし、社長さんの年齢もバラバラだ。でも、中卒、高卒の人たちは大卒の人たちほど就職先に恵まれていないため、自ら起業して可能性を広げていく傾向にあるといえる。

 君たちがよく知っている会社の社長さんにも、そんな人がいる。カレーチェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者である宗次德二さんだ。

 

空腹を雑草でしのいでいた少年が起業するまで

 宗次さんは両親のことさえ知らずに生まれ育った。物心ついた時には児童養護施設に預けられていて、3歳からは血のつながりのない宗次家の養子になった。

 だが、宗次家はとても貧しかった。養父がギャンブルばかりして借金まみれになり、宗次さんを連れて夜逃げしたのだ。新しく移り住んだ土地でも同じような状態で、家の電気や水道が料金未払いで止められたり、引っ越しをくり返したりした。宗次さんは空腹に耐えかね、雑草を食べてしのぐこともあった。

 養父はいつまで経ってもこりず、たびたび宗次さんをギャンブル場へ連れていった。宗次さんは養父に喜んでもらいたい一心で地面に落ちていたタバコの吸い殻を集めていた。

 養父はそんな宗次さんの気持ちを読み取ることなく、棒で殴りつけるなど暴力をふるっていた。

 高校へ進学してから、宗次さんはアルバイトで家計を支えた。だが、家には息子を大学へ進学させるだけの余裕はなかった。宗次さんは、高校卒業後に不動産会社に就職することになった。

 20代の半ばで、彼は不動産会社で知り合った奥さんと独立を決意する。これまで大変な人生を送ってきたので、なんとか自立して生きていきたいと思ったのかもしれない。2人でコツコツと喫茶店を経営し、やがてカレー屋を立ち上げる。そしてそれを全国チェーン店へと成長させたんだ。

 ここで僕が言いたいのは、貧しい家庭で生まれようとも、学歴がなかろうとも、人は心のレベルアップを通して自信と意志をもつことができれば、どんなことでも成し遂げられるようになるということだ。

 人生には困難がつきものだ。特に大変な境遇の中で生きている人は、それだけ多くの壁にぶつかることになるし、自暴自棄におちいりたくなることだってある。でも、そんな時にくじけず、前を向いて進めるかどうかは、その人がどれだけ自己肯定感を育んできたかということにかかっているんだ。

 ここまで講義を聞いてきた君は、クリスティアーノ・ロナウドや安室奈美恵さんらの例からも、自己肯定感の重要さがわかるだろう。彼らが心のレベルアップをつみ重ねたように、君も理解者に囲まれながら同じことをしていけば、かならず社会に羽ばたいていくことができるようになる。

「友達ではなくヒマつぶしの相手」中1男子をカッターで何度も切りつけ…犯人の少年たちが殺害後にとった“驚きの行動”とは へ続く

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