中野といえば、中野ブロードウェイ。賑やかなイメージだが、商店街から一歩離れると、落ち着いた住宅街が続いている。
初めてのお宅をピンポンするのは勇気がいる。「はーい」と明るい声がして、ドアの向こうにはエプロン姿のご婦人が立っていた。
「初めまして、荻野です」
「どうぞどうぞ」
田川夫人は慌ててエプロンを取りながら、私を中へ招じ入れてくれた。
「汚くしています」
言葉に反して廊下はぴかぴかだ。
「お待ちしていました。美希はもうじき参りますので、それまでおくつろぎください」
お父さんが掘り炬燵で迎えてくれた。優しい垂れ目の上目遣いが誰かに似ている。思い出せないまま、私も炬燵に足を入れた。お父さんの座っている周りは、本の柱が林立している。テーブルの上にも何冊か乗っている。本を避けるようにして、手土産を置いた。
「喜久家のラムボールです」
横浜土産としては、かなり渋い。私が子供の頃から変わらない味だ。
「コーヒーにしましょうか、それとも紅茶?」
「黒ごまラテがいいです」
作中で美希が母と飲んでいるのが、妙に気に掛かったのだ。
「この作品に出てくる食べ物は、みんな美味しそうなんです」
父と娘のランチで、父はむすび膳、娘はにぎり野菜寿司膳を頼む。娘の前に来た野菜寿司が、色とりどりの宝石細工のようで、父は「口元が物欲しそうになる」。娘はさんざん焦らせてから皿を取り替えてあげる。あるいは晩秋の実家で、父は家庭菜園で収穫した採れたての白菜に味噌をつけて食べるよう娘に勧める。これは「想像するだけでも、おいしそうだ」。
「食べる場面は、そんなにないんだけどな」
お父さんは小首を傾げている。
「かなりの細部まで光っている、と言いたいわけです。というか、次から次へと面白い細部が繰り出されて、本筋は実は細部に誘い込むための呼び水なんじゃないかと」
冒頭の「大岡昇平の真相告白」もそうだ。彼の『武蔵野夫人』は、当初『武蔵野』という題が付けられていたが、国木田独歩に同名の作があることもあり、『武蔵野夫人』に変えられた。「夫人」を付けたのは担当編集者、ということになっているのだが……。
「お父さんは『浜辺で、落とした硬貨を探すような』手間をかけ、大岡本人の証言を探し出してくるんですよね」
「いやあ、余計な手間をかけましたよ」
「いつもながらの名探偵ぶりです。それはそれで面白いのですが、肝心の大岡昇平に至るまでの流れが絶妙なんです」
美希が出身大学の女子バスケ部を応援する話に始まり、「ライバル校との定期戦」が昭和三十二年にさかのぼることから、同年に話題となった三島由紀夫の『美徳のよろめき』が登場する。当時「よろめき夫人」が流行語となったことの確認が、同時代の『武蔵野夫人』のタイトルを呼んでくる。
「脱線また脱線ですな」とお父さん。
「それって小説の本質じゃないでしょうか。うんちくエッセイだと直線的にしか語れないことが、小説だと螺旋を描いて緩やかに上昇していく。この第一話で私が一番印象に残ったのは、作家の原島先生が語る一エピソード」
「ああ、太宰治と松本清張が同じ明治四十二年の生まれだという」
「はい、人生いろいろ。味のある逸話なんですが、実は大岡昇平も明治四十二年生まれ、という点で本題と繋がっていきます」
「作者の手綱捌きが見事、ということですな」
「たとえば同じ原島先生が、『夫人』という言葉のニュアンスを説明するんですけれど、その部分は先生の対談からの引用という形をとっています。芸が細かいんです。おまけに」
「ほ?」
「その『ほ?』という合いの手、本文中にたくさん出てきますが、癒し系で好きですね」
「何の話でしたっけ?」
「おまけにお父さん、親父ギャグまでかますんですよね。年の瀬で忙しいと『三択問題を出すひまもなくなり落ち込む』、これがほんとの『三択ロス』、サンタクロース」
「お目に止まりましたか。お恥ずかしい」
「地の文にも一個ダジャレが入っていましたから、作者の好みなんでしょうね。どうりで作中に古今亭志ん生と志ん朝が出てくるはずです」
「荻野さんは落語好きなんでしょう?」
「自分でも習っています。志ん朝師匠と対談したことがあるのが自慢です。志ん生は私にとってのザ・落語家です」
売れない時代の志ん生は、なめくじ長屋に住んでいた。その名の通り、なめくじが大量発生する。裸足でいたおかみさんは、踵をかじられたという。その手の逸話は数え切れないほどあるが、すべてをそのまま信じていた私はナイーブだったと、今回の読書で思い知らされた。偽物の蚊帳を売る男に、おもちゃの札を渡しておあいこになる、という話。志ん生は実話として語っていたが、実は昭和八年の新聞記事にその元ネタがあった。
「半分失望しそうになりましたが、お父さんの言葉で思い直しました。『思えば、ひとかどの人物には、《自分》になろうとしてなるところがある』って。『事実なんか、真実に比べたら、はるかに下にある』んだって」
早逝した評論家で出版人の瀬戸川猛資が問題になっている一篇でも、同様の考察が見られる。瀬戸川の学生時代の評論、それもガリ版刷りの雑誌に掲載されたものを、美希は原島先生から借りる。ハードボイルド映画評なのだが、いい意味での若書きだ。読後に実際に映画を観てみると、重要なシーンに瀬戸川の思い違いが見受けられる。
「お父さんはこの時も瀬戸川の味方ですよね。『優れた鑑賞者は、自分の中に価値ある物語を作りあげる』とおっしゃっています。今と違ってビデオがない時代に、作品との出会いの一回性に鑑賞者は賭けねばならなかった」
「そこには美希の言うように、『伝言ゲームの創作性』があったわけです」
「伝言ゲームを解きほぐしていくのは、お父さんの得意技ですよね。『菊池寛の将棋小説』でも作家のネタを学者の緻密さで追っていきます。実際に学者の論文にも依拠しているわけですが、お父さんと学者の違いは、事実よりも真実に重きを置くところかもしれませんね。真実から滲み出してくるのは、人情でしょうか」
その名も「小津安二郎の義理人情」という一篇では、小津が映画の「原作」に里見弴を起用した経緯が推理されるのだが、浮き彫りになるのは小津の里見弴への心配りだ。
「古今亭志ん朝の一期一会」には、志ん朝の『三軒長屋』の録音を聞きたがる未亡人が登場する。同時に録音された聴衆の拍手の中には、亡くなった夫のそれも混じっている。演者と聴衆で作り上げた二度とない一瞬を共有したいという切ない思いが読者に届く。
「未亡人の思いをそれと察してCDを用意するお父さんは、人情の機微をわきまえていらっしゃる」
「面と向かって言われると、照れますな」
垂れ目のお父さんが、少し上目遣いになった。その時気がついた。作家の北村薫氏とそっくりだ。
玄関でピンポンが鳴った。
「美希が来たようです」
挨拶をしようと、慌てて掘り炬燵から出て、立ち上がりかけてずっこけた。とたんに目が覚めた。
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