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この春、32年間続けた放送作家業を引退した鈴木おさむさん。同時に上梓した『もう明日が待っている』は、『SMAP×SMAP』を通してSMAPと深い信頼関係を築いてきた鈴木さんにしか書けない、知られざる国民的グループの物語が描かれていると話題を呼んだ。
ここでは、プライベートでも鈴木さんと交流のある岡村靖幸さんの『幸福への道』から二人の対談の一部を抜粋して紹介。岡村さんがSMAPとの出会いや「スマスマ」での仕事について訊いた。(全4回の3回目/続きを読む)
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SMAPという巨大な船に乗り続ける
岡村 そもそもなんでそんなにいろんなことをやるんですか?
鈴木 僕の中ではそれが全部放送作家の仕事だからです。放送作家が作る映画、放送作家が書く小説。だから僕の肩書きは何をやっても「放送作家」だった。もちろん、専業の人の作品のほうがいいに決まってるんです。ただ僕は、放送作家にしかできないことがあると思っていたので。
岡村 もちろん、それぞれの仕事に対して放送作家としてのスタンスやプライドは感じます。ただ、何をするにしても強烈なトピックを持ってくる。だから『電波少年』的だと言ったんです。人の心をザワザワさせるから。
鈴木 たぶんそれはSMAPに対する反骨心もあるんですよ。
岡村 どういうことですか?
鈴木 SMAPって巨大な船なんです。ときには暴れたりもする。その船に乗り続けるには、彼らにとって必要な存在じゃないといけないんです。だから、SMAP以外でも成果を出したいという思いが、いろんなことをやることにつながっていたりするんです。
岡村 おさむさんが書かれた本(『最後のテレビ論』)にもありましたが、SMAPとはマネージャーだった飯島三智さんと出会ったのが始まりだったと。
鈴木 22、23歳ぐらいだったかな。当時僕は、KinKi Kidsのラジオ番組をやっていて、(堂本)光一くんがドラマ『家なき子』に出ていて、安達祐実ちゃんとのキスシーンがあったから、「彼女の唇はどんな感触だったか」という企画をやったんです。いろいろな食べ物を用意して「キスの感触がどれにいちばん近いかを検証する」っていう(笑)。すると飯島さんが、「あの作家の子、面白いね」と。その後、木村拓哉くんのラジオ番組が始まるときに声が掛かったんです。
岡村 フックアップされたんだ。
鈴木 他の放送作家とは違って、アイドルをアイドルとして扱わないからでしょうね。あとは、SMAPのメンバーと年齢が近いというのもあったと思います。
岡村 そうなんですね。
同い年だからジャストのものを作れる
鈴木 木村くんと中居(正広)くんと俺、同い年なんですよ。『SMAP×SMAP』に僕がいて良かったところって、実はそこなんです。岡村さんって何年生まれですか?
岡村 65年です。
鈴木 65年生まれの人と僕が会議をすると、『3年B組金八先生』の観てたシリーズが違うから、センスも全然違うし、どうしてもズレが出てくる。でも『スマスマ』の場合、僕はメンバーと同い年だから、好きなものや好きな音楽、観てたテレビが一緒。ジャストのものを作れるんです。
鈴木 例えば、香取慎吾くんがM.C.ハマーのパロディをやって人気になりましたが、ハマーがブレイクしたのは80年代末から90年代初頭で、90年代後半になると完全に過去の人だった。そんな彼をいま掘り返したら面白いと思うのは、当時25とか26とかその辺の年齢層の人たちで、30歳以上の人は興味がない。そのリアルな興味をジャストなタイム感でテレビから放つことができた、それが番組にとって僕がいることのメリットだったし、SMAPにとっても良かったと思う。そういう作り方って意外と新しかったんです。
岡村 90年代から2000年代のテレビは完全にSMAPやダウンタウンが中心だった気がするんです。中でもSMAPは、歌だけじゃなく、演技もできる、コントもできる、バラエティのMCもできる、アイドルの形をガラッと変えた。ブレーンとして関わっていたおさむさんの力もあるけれど、おさむさんを引き入れた飯島さんの直感力がすごかったんだろうと本を読んですごく思ったんです。飯島さんはどんな方ですか?
鈴木 簡単に言うと、「東映まんがまつり」みたいな人(笑)。みんなが見たいものを見せて喜ばせる、楽しませるという意味で。そして、岡村さんも言うように、それまでのアイドルがやらなかったことを積極的にやらせた。
光GENJI以降、90年代になるとアイドルがダサいと言われる時代になったんです。そこから、バラエティでコントをやったり、音楽面ではクラブミュージックに傾倒したり、『an・an』の「抱かれたい男」特集に出てみたり。アイドルとは離れたところにあるものをどんどん取り入れ、それを巧みに掛け算することで世の中をわくわくさせていった。その手腕がすごかったんです。
「SMAPだけの鈴木おさむじゃないぞ」
岡村 そんなSMAPとともに『スマスマ』という番組自体もバケモノになっていって。高倉健さんが出るとか、マイケル・ジャクソンが出るとか、番組の格がぐんぐん上がっていった。目の当たりにしてどう感じてました?
鈴木 でも番組が始まる前は、いろんな人に「当たらないよ」ってすごく言われたんですよ。『スマスマ』って96年4月から始まったんですが、その前の時間帯は「月9」で、木村くんと山口智子さんの『ロングバケーション』。視聴率30%越えのドラマだったけれど、ドラマが終了したら数字は下がると言われたんです。でも下がらなかった。
森且行くんがSMAPを脱退することになったときも、彼がいなくなったら絶対ヤバいと言われたんです。でも逆にどんどん上がっていった。そして、高倉健さんが出たのが97年の秋なんですが、そうなってくると、たかがアイドルの番組とバカにしてた人たちが無視できなくなってくる。中でも男の人たちが観てくれるようになったのはデカかった。これまでのアイドルとはまったく違うと、世間の評価もガラッと変わりましたから。
岡村 エキサイティングだったでしょう、そのど真ん中にいて。
鈴木 それはもう。ただ、僕は彼らの番組にほぼ全部関わらせてもらいましたが、ドラマだけはやってなかったんです。だから、僕の中でいちばん嫉妬して焦ったのが、ドラマスペシャル『古畑任三郎vs SMAP』。三谷幸喜さんはなんて面白いことを考えるんだろうと。そして、飯島さんが三谷さんのことを褒めれば褒めるほど、内心「なんだよ!」と(笑)。
アートディレクターの佐藤可士和さんもそう。SMAPのアルバムジャケットを手がけ一気にブレイクするんですが、彼の名前が有名になればなるほど、「なんだよ!」と(笑)。ただ、三谷さんはもちろんですが、可士和さんもそれ以外の仕事もすごい。僕はSMAPだけをやっていたらそのうち彼らからも世の中からも必要のない存在になっちゃうなと。だから当時、『めちゃイケ』も並行してやっていたことが本当に身になったんです。お笑いのすべてを飛鳥さんに教わりましたから。
岡村 俺はSMAPだけの鈴木おさむじゃないぞ、と知らしめたかった。
鈴木 実際、『いきなり!黄金伝説。』という『電波少年』っぽい番組を始めたり、『¥マネーの虎』という番組を始めたり。『¥マネーの虎』は起業を目指す人が投資家に事業計画をプレゼンして出資を募る番組ですが、すごく褒められたんです、SMAPのメンバーに。タレントに頼る番組ではないものが当たったのはうれしかったですね。
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