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「今度から、Tバック穿いてくれる?」
ココア味のプロテインパウダーと常温の水をシェイカーで混ぜながら、英治が言った。
「じゃないと、葉ちゃんのお尻の形がチェック出来ないから」
(以降、灰色の囲み部分は『マイ・ディア・キッチン』より抜粋)
夫の英治から体型やファッション、財布、交友関係など、あらゆるものを管理されている34歳の葉(よう)。小説『マイ・ディア・キッチン』は、そんな彼女がモラハラ夫から逃れ、料理の腕で自立の道を切り拓こうと奮闘する物語だ。
著者の大木亜希子さんは15歳で芸能界入りし、20歳の時に国民的アイドルグループに加入。その後、25歳で会社員、30歳で小説家となった波乱万丈の異色のキャリアの持ち主でもある。「地獄のデスロードを歩んできた」大木さんに、『マイ・ディア・キッチン』を紐解きながら、女性の自立を阻むものの正体について聞いた。
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◆◆◆
男性スタッフに毎日体重を報告
――今日はよろしくお願いします。お洋服、素敵ですね!
大木亜希子さん(以降、大木) ありがとうございます。お気に入りのお洋服です。ちょっと「ペンパイナッポー」感もありますかね(笑)。よろしくお願いします。
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――ネイルにまで注文をつけてくる夫・英治と、従順な妻・葉の関係性が苦しかったですが、支配から逃れて自立を目指す女性を描こうと思ったきっかけは?
大木 まず、主人公の葉ちゃんと似たような経験をしてきた過去の自分を救済したい思いがありました。私は15歳で女優デビューしてから、アイドル、地下アイドル、会社員記者など様々な職業を歩む中で、女性特有の悔しさを感じたり、報われない経験をしたりしたことが何度かありまして。
――大木さんご自身も、ハラスメント被害に遭ったことがある?
大木 女優やタレントとして活動をしていたある時期、当時の番組でお世話になっていた男性スタッフに体重の報告を毎日課されていました。彼いわく、私の体型維持のためです。その日にやったことを日報に書いて報告するようにも言われていて、日報に「渋谷に行った」と書いただけなのに、「渋谷で遊んでいる暇なんてあるんですか?」と、返事が来たこともあります。
同じスタッフから、休日に「仕事だから」と公園に呼び出され、何かと思ったら、自分が買った一眼レフを試すために、ポートレートのモデルに使われて終わったこともありました。
――ひどいです。芸能界を離れた後も、ハラスメントがあった?
大木 会社員を辞めてフリーランスライターとして働いていた頃は、「若い女の子ライターが地方の工事現場に置かれたショベルカーに水着で乗る、取材兼グラビア」という謎の仕事がきたことがありました。直前まで私はあくまでも一人のライターとして臨む、真面目な仕事だと聞かされていました。
取材を実施する直前に編プロの人がクライアント側の思惑に気づき「これは絶対にやってはいけない」とキャンセルしてくれたんですけど、出張のために体を空けておいた分の補填はなかったです。
“女”として消費されるのが嫌でライターになったのに、結局、クライアントとの会食ではAKBさんの歌を歌わされ、「元アイドルって請求書も書けないんだ」と吐き捨てるように言われる。まさにデスロードを突っ走る日々でした。
キョロちゃんのぬいぐるみに入って……
その瞬間、ふと、怖くなった。体型を管理する夫にではなく、管理されていることに、いつの間にか順応している自分に対して。
――小説では、夫の管理に順応している葉の様子も描かれていましたが、大木さんの場合、声を上げると業界にいづらくなる、自分のキャリアが塞がってしまう思いもあった?
大木 芸能活動していた頃は“かわいくて物分かりの良い女の子”として周囲の大人達に気に入られなければオーディションに受からないと思っていました。だから、心がザワつくような目に遭っても、心は死んだまま笑って流してしまうこともあったかもしれません。
その思いは、アイドルを卒業した後もしばらく続きました。みじめとか嫌というより、お金を稼いで生きていくことに精一杯だった、というのもあります。とにかく当時は生活のために働かなくてはいけなかったので汐留のビジネスホテルでベッドメイキングのバイトをしたり、地方のスーパーまで行って、キョロちゃんの着ぐるみの中に入ってチョコボールを子供達に配る派遣バイトもやったり。
本当に当時はお金との闘いの人生だったので、その意味でも、“女性の自立”をふわっとしたファンタジーとして描くのではなく、どこまでもリアルに書きたかったんです。
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「なんでも人がお膳立てしてくれると思ったら、大間違いだよ。最初の一歩は自分で来い」
――ある出来事をきっかけに夫の元を飛び出した葉は、偶然出会った2人の男性、天堂と那津の営むレストラン「メゾン・ド・パラダイス」で、住み込みで働き出します。しかし、天堂と那津を“優しい保護者”に終わらせず、葉のダメなところをビシビシ指摘させていますよね。
大木 王子様が現れてマンションをあてがってもらうのではなく、葉ちゃんにも、「住む家はどうする?」「間借りさせてあげるけど、その分、働かなきゃね」と、現実を突きつける人が必要だと思いました。
夫から何もかも搾取されてゼロから始めなきゃいけない現実は、本当につらい。だけど、魔法が起きない限り、自分で食い扶持を稼いで自立するしか道はないよね、と。
会社員になったら20kg太った
――これまで食事制限を受けていた葉が、テイクアウトの牛丼をアレンジしたものやステークアッシェなど、料理で自分を取り戻していく様子も印象的です。大木さんも、キャリアの中で食事には苦労されてきた?
大木 女優時代はダンスレッスン、演技レッスンといろんなレッスンをこなしつつ、通っていた高校の近くの区民プールで何時間も泳いで、食べるのはブロッコリー1個みたいな生活を続けたことで、生理が止まったこともあります。
そうして芸能界を辞めて会社員になってからは反動で――痩せていたし、私は何を食べても大丈夫だろうと思っていたら、今度は慣れない記者業に対する不安で20キロ太ってしまったんです。
もう長いあいだ日常生活を豊かに感じたことなど無かったことに気がついた。
豊かさよりも日々、英治に傷つけられないように出来るだけぼんやり生きることで自分の身を守ることに必死だったのだ。
――会社員時代はどんなものを食べていた?
大木 冷蔵庫に常備してあったのは、ホールのカマンベールチーズですね。洗い物をする余力すらなかったので、切らずに丸ごとかぶりついて、柿の種と一緒に食べていて。
その時の食事は味わうものでなく、お腹いっぱいに詰め込む“行為”でした。今思えば、食べるものも食べ方も、自分のことをネグレクトしていたと思います。
こうした時期を乗り超えて、30代で作家になって。本作の執筆を始めた際、料理の監修をしてくださった料理家の今井真実先生が、打ち合わせの途中に何気なく「6月になるとこの魚がおいしいですよ」と穏やかに微笑みながら仰ったんです。その時、ハッとしました。「そうか。本来、人というのは旬のものを味わうことが人生を楽しむひとつの手段だったのか」と気づいたというか。そんなことを感じ取る精神的余裕もないまま、今まで自分は生きていたんだと気付かされました。
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自分を性的に見ない男性と出会った
――大木さんは28歳から3年間、お姉さんの紹介で当時56歳の赤の他人「ササポン」と同居をはじめ、生活が安定していったそうですね。
大木 ササポンというシェルターは、本作の主人公である葉にとっての天堂と那津にリンクすると思います。この方々の何が素晴らしいって、自分を性的な存在として見てこない、マンスプレイニングしてこない、説教をしてこないこと(笑)。
私が求めていたのは、困った時に自分のできる範囲で手を差し伸べてくれる人だったと思うんです。でも、頼る相手を間違えると、誘われて執着されたり、性愛を生じさせられたりして。
――弱みにつけ込んでくるような人がいた?
大木 会社員を辞めた時、仕事がなさすぎてライターとして一人で営業活動に回っていたのですが、その時に知り合ったグルメ系メディアの人とLINE交換をさせられて、「一緒に食事行きましょう」と誘われたことがありました。わらにもすがる気持ちで行ったら、仕事の打ち合わせもなく、ただ飲んだだけ。
ササポンにその日の出来事を愚痴ったら、彼が一言、「それ、おかしいよ」と言ったんです。普段は感情を表に出さない人でしたが、その時は静かに怒っているような感じで、「これ、僕の仕事先のメールアドレスだから、『次回からはこの人もメールのCCに入れます』って相手に言ってくれていい」と言ってくれて。
ササポンから保護者的ケアを受けたのは、その時が最初で最後です。弱っている私や葉ちゃんに必要だったのは、社会的な常識や法的知識に基づいてアドバイスをくれる人だったんです。
この人は絶対に私を傷つけない。おそらく私も彼を傷つけることはしない。そこには他人として境界線が明確に引かれ、干渉しすぎないように、常に一定の距離感が保たれている。こんな感情を人に抱いたのは初めてで、この名前の付けられない関係に私は救われてきた。
本作の主人公の葉ちゃんも30を過ぎた大人ですけど、心が弱っている時って、大人でも分別がつかなくなる。そういう時、人の痛みを知っている他人が、自分のできる範囲で、「うちに泊まってけば」と、手を差し伸べる。でも、タダで居させるわけにいかないから、その分、料理人として働いてもらう。ただし、ちゃんとお休みはつくるし、お金を払う――そんな対等な関係を結んでくれる人が現実世界では宝くじレベルでまれだとしても、でも、私にはササポンがいたから、あり得るんじゃないかなって。
読者の皆さんにとっても、実際にそんな人と出会う・出会わないは別として、この作品が救いになってくれたらいいなと思うんです。
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