
- 2025.03.04
- 読書オンライン
「わかりました。もう、いますから」緒方孝市に、巨人10億円のオファーを蹴って、広島残留を決めさせたコトバ『サラリーマン球団社長』(清武英利)
清武 英利
『サラリーマン球団社長』(清武 英利)
〈メーカーの経理から広島カープの球団幹部へ…異次元の転職をしたサラリーマンの言葉〉から続く
『サラリーマン球団社長』は、サラリーマンをめぐる波乱の転職顛末記でもある。彼らは球界で不思議な光景を見、実力社会で生き抜く言葉に出会い、自身も言葉の力に目覚めていく。
彼らが出会った言葉や苦闘の途上で思わず漏らした言葉を紹介しながら、転職が自身と組織に何をもたらしたか、改めて考えてみたい。(文中敬称略)(前後編の後編/前編から読む)

獲られたら、また作る
「大木がなくなれば、そこに陽が差し、また新しい芽が出るじゃろ」
カープの歴史は育てた選手を他球団に獲られ、また育成をするという繰り返しだった。それを同情する記者に、鈴木は「獲られたら、また作るからええんじゃ」と答えてきた。
「大木がなくなれば、そこに陽が差し、また新しい芽が出るじゃろ。ハゲ山に見えるが、眠った才能はたくさんある。手にある財産を大切に育て、花を咲かせて見せるわ。勝つことは必要じゃが、どうやって勝つかも大事じゃないか」。
終いに、負けてたまるかの精神じゃ、と胸を張ってみせた。
緒方孝市の残留を決めさせた焼肉丼
「わかりました。もう、いますから」
1999年秋のことだ。FA権を獲得した主軸の緒方孝市が巨人監督の長嶋茂雄から3年10億円という破格の条件で誘いを受けた。カープの三倍以上で流出する寸前だった。そのとき、残留交渉を始めた鈴木は、緒方にこんな約束をさせた。
「決めるのはいいけど、決めた、と電話してくれるなよ。決めようという段階で言ってくれ」。そうやって押し返し、最後に緒方が、私はもう決めようと思います、と言い出すと、鈴木は自宅に招いて、妻が作った焼肉丼を緒方と二人で食べた。条件提示もないままだ。緒方はしばらくして電話してきた。
「わかりました。もう、(カープに)いますから」
それから8年が過ぎ、けが続きの緒方は「今年でやめます」と電話してきた。鈴木は緒方の突然の言葉に、胸を貫かれて立ち尽くした。
引退なんか、だめだ、待ってくれ! 「FAのときも、俺には決める前に言ってくれと頼んだじゃないか」
自分で勝手に引退を決めて、いきなり言い出すなんてひどいぞ、どうして俺に相談してくれないんだ、というのである。「いや、絶対にやめてはだめだ」とも言った。
「新球場もできるんじゃ。そこでプレーするのを楽しみにしていたじゃないか。それまで頑張ってくれ」
鈴木はもう緒方に掛ける言葉がなくなって、 「いまトレーナーと一緒にリハビリに取り組んでいるんだろ。引退のことを話したか?」と尋ねた。すると、緒方が言った。
「彼は涙を流していました」「そうだろう。トレーナーはどれほどお前の復帰を夢みてるか、なぜ懸命にリハビリに付き合っているのか、その気持ちも考えてみろよ」
ーー俺は緒方の復帰を強く願うファンの一人なんだな。 鈴木はそう感じていた。
「失敗したら、俺が責任を取るよ」
マツダスタジアムの監督室に入った球団本部長の鈴木が声をかけた。緒方がカープの監督に就いて2年目、2016年の開幕直前のことだった。鈴木の心の昂ぶりのようなものを緒方は感じ取ったのだろう。はっきりした言葉で返してきた。
「何を言っとるんですか! 一蓮托生ですから」
鈴木は常務取締役の立場にあり、監督やコーチは一年契約の個人事業主として雇われている。どんな球団でも、フロントとチームとの間には川が流れている。だが、その年は向こう岸との隔たりが手の届くところにまで近づいたように思えた。自分も全員のひとりだと信じられるような出来事が続いた。
チームがうまく回り始めたころに、緒方とのやり取りが鈴木の胸に戻ってきた。俺が、お前が、というのではなく、「全員で優勝を」と、誰ともなしに言い出していた。

雪耐梅花麗
「寺を造って人々に喜んでもらうために働いている」
カープはオーナー企業だから、一人では何もできない。 矜持があるとすれば、ずっと人の心が休まる寺を造ろうと考えながら石を運んでいることだ。東洋工業にいたころ、鈴木は先輩からこう教えられたのである。
「ある旅人が石を運んでいる人々に、『何をしているんですか』と尋ねた。一人が『私は石を運んでいます』と言い、二人目は『塀を作っています』と答えた。ところが、三人目の男は、『私は寺を造っています。みんなの心が休まるような』と答えたというんだ。 同じ仕事でも、三人目の男は、目的をはっきり持って石を運んでいる。単調な仕事でも、いつも何のためにやっているのか、ということを考えなくてはいけない。寺を造って人々に喜んでもらうために働いている、というような意識だよ」
球団本部長という仕事は褒められることがない。トラブルの処理や煩雑な契約、選手の獲得、整理といった地味な積み重ねの毎日だ。それでも先輩の言葉がどこかに残っているから、何でもやってきたし、屈辱や衝撃的なことがあってもぐっと我慢できている。ずっと先の目指すものを見失ってしまったら耐えられない。心が休まる寺─野球の世界で言えば、ただ勝つというだけでなく、ファンを心の底から突き動かすような育成球団を生み出すために、今を生きているのだ。
「雪に耐えて梅花麗し」
カープのエースだった黒田博樹は入団したときに、1イニングに10失点した屈辱を味わっている。そこから這い上がった彼は「耐雪梅花麗」を座右の銘とした。
2007年に彼を大リーグに送り出すとき、鈴木は黒田にこんな言葉を掛けた。
「お前がバリバリでは、広島に帰ってこさせることができない、でもボロボロでは帰ってくるなよ」
最後の力を広島で見せてくれ、というのだ。
鈴木は大リーグで活躍していた黒田がカープに戻ってくることを夢見て、ドジャー・スタジアムのバックネット裏に出かけ、力投する黒田を見守った。黒田がヤンキースに移籍すると、1勝するたびに投球の印象や応援の言葉を記したメールを黒田投手に送信し続けた。その一方で、黒田投手がカープで付けていた背番号「15」を空けて待ち続けていた。
それから7年。ヤンキースにいた黒田がいきなり、「(カープに)帰ります」と電話してきた。契約書をファックスで送ってきたとき、鈴木はそれを手にオーナーの元のところに駆けつけた。両手で大きくマルを作って、戻ってきますよ、と無言の笑顔で告げる。元は驚きのあまり、飲んでいた野菜ジュースのパックをボトリと取り落とした。
25年ぶりの優勝にこぎつけ、平和大通りの3キロをゆっくりパレードしたのはそれから2年後のことである。
「サラかん」ならぬ、「サラほん(本部長)」の鈴木がその喜びをかみしめた一瞬だった。もしマツダに残っていれば、彼は幹部の要職を占めたであろうが、ファンの人々は親たちの遺影を家々から持ち出し、パレードの沿道高く掲げて、「ありがとう!」と呼び掛けた。あんなに喜んでもらえる転職はあるのだろうか。
その黒田はいま球団アドバイザー、緒方は野球評論家だ。かつて二人がチーム作りを話し合うと、黒田は精神論を、緒方はいつもチーム作りの具体論を語った。緒方はこうだ。
「野球はピッチャーですよ。いいピッチャーを獲って下さい。野手は作れますから。球団にカネがないなら、素材のいい選手を獲って育てましょうよ。他球団とおなじことをしたら、カープの価値がなくなりますからね」
一方の黒田は「みんなの気持ちが一つにならないとだめですよ」と言った。
優勝は一人の監督だけでは容易に成し遂げられないプロジェクトである。セ・リーグ三連覇を果たした後、カープは6年間、優勝から遠ざかっている。カネのない球団にとって道は遠い。鈴木が言う。
「カープというチームは、選手がコーチへと育ち、監督にもなる球団で、次に繋げてやろうっていう気持ちをみんなが持っている集団なんですね。辛抱が必要なことをみんな知っている」
さて、今年はどうだろう。鈴木にとっても、ファンにとっても辛抱が必要なのか、それとも「ありがとう」の声が波のように寄せる年になるのか。
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