ベストセラー作家・林真理子さんが、待望の新作単行本『皇后は闘うことにした』を刊行、同時に文庫『李王家の縁談』が発売された。
後者は、大正時代の梨本宮伊都子(なしもとのみやいつこ)妃という皇族女性の視点で、激動の時代に朝鮮王室に娘を嫁がせる母の苦悩を描く、華麗なる宮廷絵巻物語。林さんが本作に込めた想いを、フリーアナウンサー・中村優子さんが聞いた(本記事はYouTube「マリコ書房 - 林真理子YouTubeチャンネル」配信動画の再構成です)。
中村 『李王家の縁談』の文庫本がついに発売されましたね。
林 これは月刊文藝春秋に連載されていた時からけっこう話題になりまして。(単行本発売当時は)眞子さんの結婚に合わせて書いたんだろう、といろんな人に言われたんですが、そんなことはまったく考えていなくて、3年ぐらい前から準備を始めて連載したんです。
大正時代に、梨本宮伊都子妃という美しい皇族の方が、娘の方子(まさこ)女王をどこに嫁がせようかと悩んで、当時朝鮮の王室の王世子・李垠(イ・ウン)に嫁がせたという話があります。また方子女王の妹の規子(のりこ)女王や、李垠の身内の方の縁談も、伊都子妃が次々と進めていく、という物語です。
歴史家の磯田道史先生にも「皇族の内面をこれほど正確に描ききった小説は読んだことがない、傑作である」と絶賛していただいて、歴史の教科書に使いたいぐらいだっておっしゃってくださいました。
中村 それはすごいですね。ご執筆のきっかけは何だったんですか?
林 私はわりと、皇族・華族フェチで…。
中村 わりとどころか、相当ですよね(笑)。
林 もともと、本や資料はたくさん持っていたんですよ。そんな中、三十数年前に小田部雄次先生(静岡福祉大学名誉教授)が、梨本宮伊都子妃の日記を発掘して翻刻されたんです。それを参考にさせていただいて。
この日記を読むと、皇族の方々の日常が手に取るように分かるんです。梨本宮伊都子妃は少女の頃から94歳で亡くなるまでずっと日記を書いていて。関東大震災の夜のことや、戦争中も(日記を書くための)紙がなくなる、と細かい記述が満載で。
中村 そんなに克明なんですね。
林 木村屋のあんぱんを宮中に差し入れしたとか、そういった日常の記述が実に面白いんです。
この日記の中に、娘の縁談がなかなか決まらなくて困る、といったことも事細かに書かれていて、それを元に書きましたので、史実にはきちんと基づいています。けれども、私のフィクションの部分もすいぶん入れて書きました。
中村 資料となった日記はかなり読み込まれたんですか。
林 出版された時にすぐに買いました。実はこの日記は、現存してないんですよ。
中村 ええ、そうなんですか!?
林 なぜかと言うと、宮内庁がいったん(小田部先生から)預かるといって紛失してしまったそうなんです。しかし小田部先生がすべてコピーしておられて、散逸は免れたそうです。
伊都子の日記は、戦前から戦後にかけての皇室を知るのに、とてもいい資料だと思うんです。たとえば明治維新の時、宮家は4つしかなくて、五摂家の下に位置付けられていました。宮家の皆さまはお金がないから多くは出家していたんですけども、維新を機に還俗させたりしたのが戦前の11家ある宮家の始まりです。そういうことを知ってからいろんな議論を始めた方がいいんじゃないかな、と私は思うんです。この作品には、そういうこともきちんと書いているつもりです。
中村 女性天皇、女系天皇論が、盛んに議論されていますね。
林 私自身もいろいろと意見は持っていますけれども、ここでは申し上げません。ただ、かつての宮家とはそういうものだった、本当に短い期間だけ存在して敗戦とともに滅びていった人たちなんだということは、知っておいていいんじゃないかと思います。
赤坂プリンスホテル(現・東京ガーデンテラス紀尾井町)の旧館ですが、あれは、方子女王が嫁いだ李王家の持ち物だったんですよ。
中村 そうなんですね。
林 李王家は年間150万円という歳費をもらっていたんです。これは皇室に次ぐ大変な額で、あの立派な建物に一家で住んでいたというのは、すごい話ですよね。
方子女王は皇太子(のちの昭和天皇)のお妃候補ではあったんですが、最終的に久邇宮良子(くにのみやながこ)女王が選ばれました。自分の娘の嫁ぎ先をどうしよう、と伊都子さんは非常に困り切っていたんです。ただ、伊都子さんは非常に合理的な人ですから、ふとお相手が朝鮮の王太子でもいいじゃないかと思って縁談を進めていく、というのが、メインストーリーになります。
中村 縁談を前向きに進めて行ったんですね。
林 当時、朝鮮の方って日本に3000人ほどしか住んでない。しかも大抵が留学生やビジネスで来ている方たちですから、偏見なんてなかったんです。
戦後、いろんな価値観が崩れてくると、日韓併合という国策の犠牲となって泣く泣く嫁いだかのように親子ともどもおっしゃるんだけども、日記を読めば実はぜんぜん違う。伊都子さんが非常に積極的に進めた縁談であるということがよくわかります。
中村 林さんが得意とする、きらびやかな描写も多い作品ですね。
林 日本にもこんな華やかな王朝文化があったんだということも知っていただきたいです。磯田先生もおっしゃっていたけど、戦前は、女優さんなんかは卑しい身分の人の職業であって、地位が低いんですよ。だからアイドルは皇族や、華族の奥さま、お嬢さま方なんです。雑誌のグラビアはみんな、そういうやんごとなき方たちで埋められていて、ファッションリーダー、アイドル的な側面もあったということを、併せてご認識いただくといいと思います。
中村 そもそも、どうしてこの作品を書こうと思われたんですか。
林 昔、1枚の写真を見たことがきっかけです。それは、背が高くてものすごいイケメンのフロックコートを着た若い男性の隣に、不気味な笑いを浮かべている女の子が写っている写真なんです。
中村 アンバランスなんですね。
林 男性の方は、対馬藩主の末裔の伯爵で、宗武志(そう・たけゆき)さんという方です。東京帝大英文科出身、北原白秋の門下生という、ロマンチストで素敵な男性なんですが…。
女性の方は、李垠の腹違いの妹・李徳恵(イ・トケ)さん。彼女は12歳で日本に連れて来られて、今で言う統合失調症になってしまったんです。
そこで、義理の叔母である伊都子妃が、いい縁談があればきっと元気になると…貞明皇后(大正皇后)のご意向も強く働いて、2人を無理やりくっつけたんですが、対馬に里帰りして皆を招いて披露宴をした時に、徳恵さんが異常な高笑いをして皆がぎょっとした、という記録が残ってるんです。
中村 そのエピソードから伊都子さんの日記に辿り着いたんですね。
林 はい、面白いなあと思って。いろんな思惑が働いて、身分のある方たちの結婚っていうのは、本当に大変なんだなということを感じましたね。
中村 確かにそうですよね。眞子さまの件でも、やはり身分のある方のご結婚に対しては、いろいろな人がいろいろなことを言いたいんだな、と思いました。
林 そうですね、本当にそう思います。
中村 書くにあたってこれは大変だった、ということはありますか?
林 私みたいな山梨出身の庶民の娘が、皇族妃になりきってセリフを書かなきゃいけない、というのが本当に難しいところでした。これができるかできないかというのが、作家の分かれ道だと思います。
中村 確かにそれは難易度が高いですね。
林 今の人の考えで書いてはいけないんですよ。例えば、ものすごく上から目線で物事を見るのは当たり前だし、とても高慢だし…。
それから、日韓併合を今の価値観で語ることはできません。当時の皇族妃に「日本は何てひどいことをするんですか」などと言わせたら、これは間違いなんです。当時のやんごとなき方々は、日本がアジアの長兄として、遅れている国を欧米の脅威から守ってやろう、と本気で思っているわけですよ。なのに何でこの国の人たちは反抗して言うことを聞かないのか…そんな風に思っている。
当時の皇族妃という人の目となり頭となって小説を書くのが、大変なところでもあり、楽しみだったと、今では思いますね。
中村 それがリアリティにも結びついてきましたね。
林 そうですね。今回はとても楽しんでうまく書けたかな、と思っています。
中村 連載中、大変だったという話は折に触れて伺っていました。皆さん、ぜひ手に取って読んでください。
林 よろしくお願いします。
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