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将来を約束されたエリートたちは、なぜ転落したのか?

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

高学歴発達障害

岩波明

高学歴発達障害

岩波明

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東大の“封印された調査”

 本書は、高学歴・高機能の発達障害の人たちの転落と再生の物語である。

 現在でも学歴は、個人の価値を示す有力なアイテムであり、労働市場においても、一般社会においても、学歴重視の傾向は根強い。これについては批判的な意見もあるだろうが、総論的に言えば「学歴信仰」は誤りではない。高学歴の人に知的レベルが高く優秀な人が多いことは事実であるし、知的瞬発力、集中力、記憶力などで優れた特性を示すことも多いからである。

 けれども高学歴の人の人生が安泰で、波風立たないものかというと、そうとも言えない。受験や就職に成功しても、それがゴールとなり、燃え尽きすりきれてメンタルダウンしてしまうケースは、以前からたびたびみられた。ただし最近の10年あまり、これまでとは違うタイプの「コースアウト」をする例を、少なからずみかけるようになった。

 彼らは中高生や大学生のこともあれば、社会人のこともある。有名校や一流企業に所属している彼らは、ある時、約束された「人生経路」からドロップアウトしてしまう。能力がないわけでもないし、勉強や仕事がこなせないわけでもない。燃え尽きたということもない。個々に状況は異なっているが、彼らは学校や会社の「しばり」や「ルール」からはみ出して「離脱」してしまう。実はこのような人たちの背景に発達障害が存在していることが少なからずあると考えられている。

 以前から発達障害を持つ個人は現在と同様に存在し、一般人として暮らしていた。けれども、彼らの「ドロップアウト」が目立つことはなかった。社会的な「規制」は細やかではなく、ダブルスタンダードも数多く存在していたからである。

 しかし、20世紀の末から社会の「管理化」「デジタル化」が強力に進行することによって、規格からはずれた個人が簡単にあぶりだされるようになった。社会や組織の「きまり」に従うことが強く求められたことによって、それができない人たちが表面に浮かび出るようになったのである。SNSの浸透がこういった事態をさらに助長している。

 高学歴、高機能の人には、難易度の高い「課題」や「業務」が割り振られやすい。これも、「脱落」の原因になる。高い能力を持っていても、発達障害の特性を持つ個人は、興味を持つ事柄と持てない事柄に対するモチベーションがまったく異なるためである。

 さらに、彼らは人々を「管理」する立場になることが多い。学校ではリーダーとなることが期待され、会社では、管理職となって昇進していくことが要求される。けれども発達障害の特性を持つ人たちは、こういった調整が不得手である。「相手の気持ちを考えながら」とか「他の人たちはどう反応するだろうか」などと予想を立てながら、状況に応じて対応を修正していくことは、もっとも苦手にしているのである。

 勉強や業務の能力は十分であったとしても、ここで「挫折」が始まりやすい。

 正確なデータは存在していないが、高学歴の人の発達障害の比率は明らかに高いものがある。以前、東京大学の保健管理センターが東大生を対象に発達障害の比率を調査したことがあったが、結果が高率過ぎたため、公表されなかった。また、高学歴、高機能の人に対する要求は過大になりやすく、不適応が生じやすい。

ある高学歴医師の挫折

 挫折と再生ということで、思い浮かぶ人がいる。全国的に有名な中高一貫の進学校に在学していたJさん(男性)である。彼の成績は常に学年でトップ3を譲らなかった。特に数学の成績は、際立っていた。さらに、大学入試の全国模試においても、何度もトップの成績をとっていた。彼は希望どおりに国立大学の医学部に合格し、順調に人生を歩んでいくように見えた。

 異変が起きたのは医学部を卒業して大学院の基礎系に入学したときのことである。

 大学院の指導教官は、彼に何も教えてくれなかった。細かい点をいろいろ聞いても、自分で考えろと突き放された。周囲の大学院生は研究室に溶け込み、研究の計画も順調な様子だった。それなのに自分だけが何をしていいかわからないまま、時間だけが過ぎ、大学院に行けない日が続いた。Jさんは、自分で目標を設定することができなかったのである。人生の中で、初めての「失敗」だった。

 やがて大学院を休学したJさんは研究者になることをあきらめ、臨床の道に進むことにし、私の勤務していた大学病院の精神科に入局した。Jさんは飾り気のない朴訥な人柄だったし、知識の量は豊富だったが、対人関係に大きな難があった。たとえば、受け持ち患者と面接しているとき、Jさんは微に入り細に入り情報を得ようとして、質問魔になってしまうのである。患者を問い詰めて、泣かせてしまったこともあった。

 もちろん、治療の際にそういった詳細な情報収集が必要な場合もあるが、たいていは相手の様子を気遣いながら、面接をすすめていくものである。相手の表情や言葉のニュアンス、あるいは沈黙などにも注意しながら、どの程度まで聞いてもいいものか推し量りながら会話を続けていくのが通常である。これは日常のコミュニケーションでも同様である。だが、Jさんにはそういった「さじ加減」ができなかった。

 それでも何年か研鑽を重ねる中で、彼にも普通のコミュニケーションがどういうものか次第に理解できてきたようで、最近は苦労しながらも地方の公立病院の医師として仕事を継続している。

発達障害の人たちの驚異的な「底力」

 ただし本書で描きたかったのは、こういった高学歴、高機能の人たちの挫折のプロセスだけではない。彼らの「復活」と「再生」の物語である。この点には個人的にもたびたび驚かされることがあった。多くの精神疾患において、症状が回復したとしても、病前のレベルにまでもどらないことが多い。うつ病を例にあげると、会社や公的機関のトップエリートだった人でも、いったんうつ病を発症すると、かなり回復した場合でも、病前の80~90%程度の力しか発揮できないことが多い。

 彼らは瞬間的に100%かそれ以上の能力を見せるかもしれないが、それは短時間しか持続できない。比喩的な表現になるが、蓄えていたエネルギーがすぐに枯渇してしまうからだ。そこで無理を重ねると、再発を繰り返すことになる。

 ところが驚いたことに、発達障害の人たちにおいてはまったく状況が異なる。彼らはメンタルダウンし不登校や引きこもりを続けていた場合でも、治療の手助けを受けながら、自らの特性を自覚して対応策をとれるようになると、見違えるように回復し、以前のレベルよりもさらに良い状態に達することが可能なのだ。本書ではそういった人々の「リボーン」の物語を述べていきたい。

 もちろんすべての発達障害の人がすんなり回復に至るわけではない。高学歴であるために自分なりに勉強をして思い込みが強くなりすぎ、結果として回復が困難となる人も存在している。そうした場合、治療者など周囲の人の声に耳を貸さなくなりやすい。あるいは本人や家族が体裁を気にして、病院への受診や治療に拒否的な態度を示すこともある。本書では、そのような治療が困難なケースについても述べていきたい。

 なお本書のタイトルに、「高学歴」という用語を用いたが、これは比較的広い意味にとっていただけると幸いである。一般的な「高学歴」ではないものの、十分な「能力」を持つケースについて、本書に含めた例もあることをお断りしておく。

 また症例の記載においては、個人のプライバシーの保護のため、文脈に影響がない範囲において、固有名詞などを変更している。

 本書の執筆においては、文春新書編集長の西本幸恒氏にたいへんお世話になりました。深く感謝するとともにお礼を申し上げます。さらに貴重な示唆を与えてくれた昭和大学医学部精神医学講座の先生方および昭和大学附属烏山病院のスタッフの方々に本書を捧げたいと思います。


「はじめに 弾き出されてしまう高学歴発達障害の人々」より

文春新書
高学歴発達障害
エリートたちの転落と再生
岩波明

定価:990円(税込)発売日:2025年03月19日

電子書籍
高学歴発達障害
エリートたちの転落と再生
岩波明

発売日:2025年03月19日

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