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複雑で捉えにくい「私の身体」を小説はいかに語るか

複雑で捉えにくい「私の身体」を小説はいかに語るか

文:水上 文 (文筆家)

『ギフテッド/グレイスレス』(鈴木 涼美)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『ギフテッド/グレイスレス』(鈴木 涼美)

 私の身体は私のもの――しかし、本当にそうだろうか?

 私の身体が私のものだ、ということは、ごく一般的な事実のようである。身体は他者と自らを隔てる境界線にほかならず、他者が感じている痛みを、共感こそ可能であれ、文字通り自らの痛みとして感じ、真に理解することはできないのだから。

 この文言はまた、社会制度に対する批判を含意したスローガンでもある。女性や障害者、性的マイノリティなど、自らの身体に関する自己決定権――中絶の権利や子どもを産み育てる権利、異性愛や性別二元論といった規範から逸脱した性を生きる権利――を奪われている/いた人は、現に多く存在している。だから「私の身体は私のもの」という文言は、人々の選択肢を奪う社会に抗するものでもある。

 けれども、事実や社会批判といった枠組みからこぼれ落ちるものもあるのではないか。客観的事実や政治的主張のみでは捉えがたいもの、個人の抱える明瞭な言葉では表現しがたい苦悩が、「私の身体」には存在するのではないか。たとえば「私の身体」を生み出した当の存在、すなわち母との関係において生じる出来事は、より複雑であり得るのではないか。かくも複雑で語り難い「私の身体」を、どのように語ればいいだろう?

 鈴木涼美による小説作品「ギフテッド」「グレイスレス」が試みるのはそれである。芥川賞候補作になったこれらの作品は、まさに捉えがたいものを捉えようとしていたのだ。

 

ギフテッド/母娘の分け難さ

 

「ギフテッド」は、母と娘の物語であり、同時に「私の身体」をめぐる困難の物語である。歓楽街で働き暮らす女性と、死期の迫ったその母親を描き出す本作において、主人公である娘は言っていた。かつて娘は自らの身体を母のものであるかのように感じていた、「私の身体は全て彼女ひとりのものだった」(19ページ)のだと。

 母娘の分け難い境界を物語るのは、火傷やけどをめぐる出来事である。かつて母は、主人公の肌を焼いたのだ。それが、主人公が母に禁じられていた父に連絡を取ったためか、別の理由か、もしくは何の理由もないのか、定かではない。母自身も、自分が何をしたのか理解できていないようであった。だが母は確かに、主人公にタバコを押し付け、さらにライターの火で肌を焼いた。主人公の叫ぶ声に驚いた顔をしていた母は、主人公の痛みが自分のものではないこと、異なる身体を持っていることに驚いたのかもしれなかった。

 肌を焼く行為に象徴されるのは、それほどまでに癒着した母娘関係、そしてその癒着から身を引きがすことの困難と暴力性であり、容易には語り得ない複雑さを孕んだ母娘における「私の身体」のありようである。私の身体は母のもの。小説は、そのような実感を抱いて生きていた主人公が作り上げた自身の人生、母との隔たりを描き出す。

 火傷の跡に刺青を入れた主人公の、現在に至るまでの軌跡は、母の価値観においておとしめられる「女性」になることだったとも言える。というのも、現在は歓楽街で働く主人公と、母はずいぶん違っていたのだ。母が性を売る女性を、買う男を軽蔑していた一方で、主人公は金銭を介してセックスすることもあった。彼女は自分が、同じ行為をしている人々と特段変わるところはなく、まとめて「世の中的には低い価値」(27ページ)しかないとみなされることを認識し、さらにその事実に不満を持たない人々と意気投合すらしていた。

 母への論評は言葉少なだが、理想と現実のかいを直視せず、特権意識をぬぐい去れない母の姿を、小説は明らかになっていく事実を積み重ねることで、淡々と描き出していた。美しい姿形を持っていた母は、いくつかの詩集を出版したものの、彼女が望んでいたような成功を収めることはなかった。小さな語学教室で教え、詩を書き、それで経済的に自立できているのだと主人公には言っていたが、実は過去に働いていた店の客の裕福な男から、援助を受けていた。それも母自身が語ったのではなく、病室を訪れた男が主人公に明かした事実だった。男の話によれば、母を「白くて、しなやかで、いかにも男が好きな身体の形」(58ページ)と娘に向かって形容する男の前で、母は「身体に具体的な値段をつけられる」(68ページ)ことを恐れて泣いたこともあったのだという。病んだ母はかつての美しい姿を失い、また母の矛盾と虚偽も明らかになった。すなわち母を特徴づけていたあらゆるもの――美貌とプライド――は剥がれた。それはある意味で、母の価値観から距離を取り、彼女が最も望まない類いの女性の生き方を選んだ娘が、母との隔たりを再考する機会でもあったかもしれない。

 肌を焼いた動機は明らかにならず、母から謝罪を引き出せたわけでもないが、死にゆく母とのやり取りのなかで、確かに変わっていくものがある。そして母の死は、火傷の跡を、母のものであったような自らの身体を思い起こさせる何よりの証を、象徴的に消し去るものだった。ついに身体は分離された、のかもしれない。小説は明確な解答や解説を避け、むしろ与えないことによって、母娘の他ならない複雑さをすくい取っていたのだった。

 

グレイスレス/沈黙とじようぜつ

 

 そして「グレイスレス」もまた、単純化し得ない複雑さをそのままに差し出す小説だ。

 ポルノ業界で働く女性たちに化粧を施す仕事をしている女性を主人公とする本作において際立つのは、建築物の描写である。主人公の母が玄関扉の真上の壁に飾られた十字架を取り外した、幼い日の思い出を想起するところから幕を開けるこの物語では、父から貰い受けたという家のたたずまい、父の叔母が建てたというその家の来歴が、まず語られていた。かつては主人公とその母がふたりで暮らし、母が海外へ移住した後には祖母と共に暮らすようになったこの家について、小説は執拗に語っている。最も身近ながら現実味のある他者として祖母と母を捉えることのできない主人公の、彼女たちとの間にある隔たりを指し示すかのように、小説は「家」という建物の輪郭をなぞっていた。あたかも、建物の輪郭の方が自らの身体の輪郭よりも容易になぞれるかのように。

 というのも、祖母も母も、奇妙に浮世離れしているのである。彼女と共に暮らす祖母は、何をしても意見するより、ただ祝福するばかりの人である。オペラ歌手を名乗り、ひとり庭で歌いながら踊る彼女は、まるで現実社会と切り離された夢のような場所で生きているかのようである。また海外にいるため共に暮らしていない母は、時に主人公に長文メールを送ってくるのだが、娘に既存の価値観を疑うよう説く彼女は自由奔放で、とても典型的な「母親」像とは一致しない。主人公はまた、彼女達について思うところをさほど語ろうともしない。だが、職場で出会うポルノ女優たちについては、ひどく饒舌に語るのだ。

 たとえば彼女は、仕事でその顔に触れるうちに「彼女たちの愚かしく美しい顔を、より美しく整えて、より愚かに壊してみたいという執着」(135ページ)が手先に育まれていったという。「彼女たちにもっと触れたいという欲望」と「彼女たちを立ち直ることが困難なほど否定してみたいという欲望」のどちらもが込み上げたのだと(135ページ)。

 それは母や祖母への沈黙とは対照的な、あまりに強い執着であり、雄弁すぎる屈託だ。主人公は、彼女達の職業について、明白な否定ではなくさりげなく遠ざけるかのような言動をする男たちに失望し、いっそかんなきまでに否定すればいいのにと考えていた。それは社会の外側にいるかのように振る舞い、ただ「祝福」ばかりを与える祖母や母への失望でもあったかもしれない。あるいは、本当に壊してみたかった相手は誰だろう?

 その答えは明確には与えられない。小説は主人公の屈託を取り除かない。語り得ない祖母と母への言葉を、越えがたいその隔たりを埋めるように、主人公はただ女優達の顔に触れ、化粧を施し、秘めた屈託と欲望を語る。そして彼女は、女優の後ろから覗き込むのではなく、鏡に映る自らを正面から見据えて、再び母も暮らすこととなった「家」に帰っていく。祖母と母、そして主人公の身体を分け隔てるというよりは、すべて収容せしめる「家」に。それは容易く語り得ない「私の身体」の輪郭を、まさに象徴するかのようだったのだ。

文春文庫
ギフテッド/グレイスレス
鈴木涼美

定価:836円(税込)発売日:2025年04月08日

電子書籍
ギフテッド/グレイスレス
鈴木涼美

発売日:2025年04月08日

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