今年デビュー10周年を迎えた上田岳弘さん。2月9日に発売された最新作『K+ICO(ケー プラス イコ)』は、ウーバーイーツ配達員のKと、TikTokerの女子大生・ICOが主人公だ。きわめて現代的なモチーフを取り入れたこの作品に、上田氏が込めたものは何か。上田氏に聞いた。
ネットスラングの「いやな感じ」
最近知って衝撃を受けたネットスラングに、「負け組ランドセル」というものがあります。
ウーバーイーツの配達員たちが背中に黒い巨大なバッグを背負っている姿が、低学年の小学生が体に似合わないほど大きなランドセルを背負っている姿に似ているところから来たようです。
その言葉には、正規雇用に就けずギグワークをしている人たちへの明らかな揶揄が含まれています。
はじめて聞いた時、とてもいやな感じがしたのと同時に、この世界の残酷さをはからずも言い当てているような気がしました。僕が新作『K+ICO』を書いた理由は、その感覚と共通しているのかもしれません。
炎上したコピーライターのツイート
僕は、長時間街を散歩するのが好きなのですが、ウーバーイーツ配達員が自動車にひっかけられて倒れている姿を、立て続けに二度ほど見たことがありました。まだコロナが明ける前、外食できない人たちが盛んにウーバーイーツを頼んでいた頃です。
その倒れている姿が、早朝の街でたまたま見かけた路上で果てているネズミの姿となぜか重なって見えたのです。どちらも東京という大都市を縦横に走り回っていながら、ふだんは道行く人々の目にとまらない存在です。「犠牲」になってはじめて可視化される。
ウーバーイーツを頼む客たちは、届けられた料理にだけ目が行き、配達員に感謝の言葉をかけることはあまりないのかもしれません。
もうひとつ、象徴的な出来事がありました。
あるコピーライターの方が、ウーバーイーツ配達員の服装は清潔感に欠けるのではないか、という趣旨をTwitter(現X)に書き込み、「上級国民の上から目線だ」と炎上したのです。
件のコピーライターの方は、わざわざ「ウーバーイーツを頼んだことはない」と断っているので、どういう文脈から上記の書き込みをしたのかわからないのですが、前述の「負け組ランドセル」と同じような揶揄のトーンを感じる人もいたということでしょうか。
ラベリング社会の弊害
ネットスラングには、他にもえげつないものがいっぱいあります。
どの言葉にも、相手のことをよく知らないのに、先入観だけでレッテル貼りをしてしまう、「ラベリング社会」の弊害を感じます。
こうした風潮は、SNSの普及と表裏一体のように思えます。
デジタル化による情報量の爆発で、ものごとの内実を細かく見ている余裕がなくなった。だから、とりあえず短くキャッチーなラベルを貼りつけて、「わかった気」になっている。
しかし、その乱暴なラベリングをされた側は、深い絶望感に陥るしかありません。
現代に通じるカフカの不条理
僕が今回、『K+ICO』の主人公にウーバーイーツ配達員のKを選んだのは、安易なラベリングを排し、彼の人間像にしっかり向きあってみたいと考えたからです。
Kという名前には、カフカの長編小説『城』の主人公Kも重ね合わせています。
今年はカフカの没後100年にあたりますが、100年後のわれわれが囚われている不条理は、カフカが芸術家として敏感に感じ取ったものの極北であるような気がします。
ウーバーイーツ配達員のKは、この社会を動かしている「巨大なシステム」の末端の存在であることは確かでしょう。そして「巨大なシステム」は、カフカの描く「城」のように得体がしれない。
タワーマンションに住み、ウーバーイーツを頼む人たちは、いっけん「勝ち組」に見えます。しかし彼らもまた、「システム」の一部でしかないのではないか。
人間ではなくAIが社会を動かしていく未来像が見えてきた今、ますますそう感じてしまいます。
だが、そうした「システム」の外に出る一筋の細い道はどこかにあるのではないか。
そういう希望も、『K+ICO』には込めたつもりです。
上田岳弘(うえだ・たかひろ)
1979年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。2013年「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。15年「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞、18年『塔と重力』で第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞、19年「ニムロッド」で第160回芥川龍之介賞、22年「旅のない」で第46回川端康成文学賞を受賞。他の著作に『異郷の友人』『キュー』『引力の欠落』『最愛の』など。
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