
- 2025.07.02
- 読書オンライン
「こんな会社辞めてやる!」『高宮麻綾の引継書』が、働く人の心を鷲掴みにするワケ
文藝出版局
城戸川りょう×書店員座談会(前編)
出典 : #文春オンライン
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
〈こんな会社辞めてやる!〉
鮮烈な帯文がひときわ目を引くお仕事小説『高宮麻綾の引継書』が働く人達を中心に話題を呼んでいる。書店員の間で口コミが広まり、3月6日の刊行を前に、デビュー作としては異例の発売前重版が決定。都内有数の大型書店・丸善丸の内本店では文芸書の週間売上ランキング1位(4月3日~9日)を獲得した。
無名の新人作家のデビュー作がなぜここまで読まれるのか。著者の城戸川りょうさんに加え、ジュンク堂書店池袋本店の市川淳一さん、紀伊國屋書店新宿本店の反中啓子さん、ブックコンパスニュウマン新宿店の成生隆倫さんをお招きして、その魅力を存分に語ってもらった。
◆◆◆

自己投影できる主人公
――『高宮麻綾の引継書』のどんなところが読者に刺さるのでしょうか。
反中:何より主人公の麻綾の人間臭さがいいですよね。会社では優秀な存在として一目置かれている半面、実は仕事にしがみついているところとか。読み進めていくとだんだん麻綾の弱さが見えてきて、「あ、私に似てるかもしれない」って思いました。「みんなこういう気持ちで仕事してんのかもなぁ」とか。

市川:やっぱり読んでいる人が自己投影できるキャラクターですよね。「ああなんかこういうところ似ているな」って。
反中:麻綾は感情的になり過ぎて、売らなくて良いところで喧嘩を売ったりする時もあれば、意外と冷静に処理して、上手くやることもあるじゃないですか。
ちょうどこの作品を読んでいた時に仕事で凄くムカつくことがあったんです。そこで感情的になりかけたんですけど、「あ、麻綾もこんな気持ちだったのかな」って思って。
ムカつきながらも反省して、気持ちを整理するきっかけになりました。なんかこの本が味方になってくれたような気がするんですよね。

成生:まさに麻綾の強さって唯一無二なんですよ。自分のたまらない瞬間を追い求めて突き進む姿が、魅力的だと思います。でもちゃんと、周りで幸せをつかんだ人間を妬んだりもしていて。それをさらにエネルギーに変えて仕事にぶつける。そういうところも好きです。

市川:反発心をエネルギーにするところが良いですよね。
城戸川:彼女の人間臭さについては凄く意識して書きました。私自身が仕事でムカついた経験などいろいろな気持ちを込めています。担当編集も「麻綾は私だと思いました」って言ってくれて。物語を読んで「自分もやってやるぞ」と思ってもらえるのは凄く嬉しいですね。
食品原料の専門商社〈TSフードサービス〉に勤務する3年目の社員高宮麻綾。
親会社主催のビジネスコンペで発表した新規事業案が評価され、晴れて事業化の権利を獲得する。
しかし急転直下、麻綾の考えた新規事業案は白紙撤回に。理由は“リスク回避”。「なんであんたたちの意味わかんない論理で、あたしのアイデアが潰されなきゃなんないのよ!」
怒りを爆発させた麻綾は社内外を駆けずり回りリスクの調査に乗り出すも、過去に起こったある事件の存在を知ってしまう。
ミステリー要素のあるお仕事小説
成生:読後感も最高ですよね。「読者の想像にお任せします」と、あやふやに終わらせる作品もあると思うんですけど、この作品は凄く心地よく着地してくれます。
反中:お仕事小説としての読み応えはもちろんですが、ミステリーやサスペンス要素も入っているおかげでグイグイ読めました。キャラに自己投影もできるし、エンタメ的な面白さがこれでもかと凝縮された作品ですね。
城戸川:この作品はミステリー小説というよりは、ミステリー要素のあるお仕事小説にしようと思って書いたので、そういう風に読んでもらえたのは凄く嬉しいですね。

現役サラリーマンだからこそ表現できるディテール
市川:僕はこの作品の、ディテールが本当に素晴らしいと思っています。麻綾が意地悪な上司から命令されて、山のような資料をPDF化して自分宛てに送信するっていうシーンがあるんですよ。
これがJPEGだったらどこかで使われるかもしれないですけど、PDFってもうそれで終わりじゃないですか。もう使われない資料だけど一応保管されている。いわば墓場行きなわけですよね。何も生み出さない作業を押し付けられる絶望感すごくわかるなって思いました。
“PDF化して自分宛てに送信”って一編の詩のようですよね。

城戸川:PDF化して自分に送ってファイルの名前を変えてクラウドに格納するってところまでがワンセットですよね。要はバリバリ働き盛りの麻綾が単純作業をひたすらやらされるわけですが、会社で働いているからこそ書けたポイントだと思います。
ホチキスの針を外し、まとめてコピー機に読み取らせ、「PDF化して自分宛に送信」のボタンを押し、戻ってきた紙の束を再びホチキスで綴じる。それを五セットくらい繰り返して座席に戻り、自分宛に届いているメールに添付されているPDFファイルを開き、書類のタイトルを入力して、クラウドにアップロードする。誰とも何も話さず、これをただひたすらに繰り返す。(p.181)
市川:あと、同期の桑守が出張に行かないことに対して、麻綾が怒るシーンがあるんですよ。「国内出張ひとつもできないわけ?」って。それに対して桑守は、「社内システムで出張申請しても上長承認がないから行けないんだ」って言い返す。稟議が通らないと身動きが取れなくなるっていう会社員あるあるを噛ませてくるところが、お仕事小説としての妙味だと思いました。
「あんた、主管部局の担当者なのに一度も出資先に出張してこないなんて頭おかしいんじゃないの?(中略)新幹線のチケットの買い方、手取り足取り教えてあげましょうか?」「(前略)出張申請用の社内システムがあって、それには直属の上司の事前承認が必要で」(p.242)
個性豊かなキャラ造形
成生:食事のシーンも特徴的ですよね。僕は麻綾の雑な食べ方が凄く好きです。パエリアのおこげを乱暴にザクザクこそげ落とすシーンとか。苛立ちが表れていますよね。
麻綾らしいなって思いました。
城戸川:注目していただいて嬉しいです。元々食べるシーンを描くのはあまり得意ではないんですが、麻綾なら「この場面ではナイフとフォーク使わないだろうな」とか「優雅にナプキンで口は拭かないだろうな」とか、手探りで書いている部分もあったので、安心しました。
市川:後輩の天恵(あまえ)と作戦会議するときにはチキン南蛮を頬張るシーンもありましたね。それ以外にも作中に何度もチキン南蛮が出て来るのが印象的でした。
城戸川:僕、チキン南蛮が大好物なんですよ。好き過ぎるあまり麻綾の出身地を宮崎にしてしまいました。地元の人には「なんで自分の出身県の山形じゃなくて、宮崎なの?」って言われることもあるんですけど、どうしても大好きなチキン南蛮と麻綾を絡めたくて。ただ、実は宮崎には一度も行ったことがないので、今後麻綾の帰省シーンを書く時にリアルに描写できるか心配ですね(笑)。
市川:そんな面白い裏話があったとは驚きです。次回作以降、麻綾の地元の宮崎がどんな風に描かれるのか要注目ですね。
反中:天恵が麻綾の周りをちょろちょろしているのもいいですよね。一緒に遅くまで残業したり。麻綾が落ち込んでいる時はごはんに誘ったり、「なんか可愛いやつだな」と思いながら読んでいました。
城戸川:実は天恵はもっとダークなキャラ設定にするつもりだったんですよ。実はそれっぽい伏線もいくつかあって、天恵の役割についてはとても悩みました。でも、さすがの麻綾でも相棒の天恵に裏切られたら挫けてしまうと思ったんですよね。結果的に天恵と麻綾の関係性が良かったという声をいただくことも多いのでこれで良かったと思います。
市川:僕も天恵のことは凄く好きなので悪いやつにならなくてよかったです。本当に個性豊かなキャラクターが多いですよね。

成生:僕は出目(でめ)社長も好きですね。普段のノリは軽いですが、ここぞというところで踏ん張ってくれそうなところが頼もしいですよね。きっと出目社長は部下にはなんでも好きなことをやらせるタイプですよね。
城戸川:出目社長は2代目でまだ何もできていない中で、専門的な業務は部下に丸投げするんですが、その代わり社長の役割として外からお金は引っ張ってくるんですよ。このキャラ造形には僕自身が営業時代にいろんな会社の社長さんにお会いしてきたことが影響しています。
麻綾と桑守の関係性は大きく加筆した
反中:同期の桑守もすごく人間臭いキャラですよね。これがリアルなビジネスマンだと思います。自分の仕事に対する評価とか結果って誰しもが求めるものじゃないですか。桑守も社内での評価を得ようとして、麻綾に嫌がらせをしてしまうんです。でもそれは、彼も仕事への野心が強いから。
こういう人達がそれぞれ足を引っ張り合ったり、協力しあったりして会社は回っているんだなと思うと桑守が愛おしくなります。
城戸川:桑守は「自分は人生を上手く生きている」というように思いたいが、同期の麻綾が社内であまりにも輝いている。そんな麻綾の姿を見たら桑守はどう思うのか凄く考えました。
反中:麻綾と桑守は仲間じゃなくて、あくまで同期なんですよね。その関係性が素敵だなと思いました。
城戸川:実は麻綾と桑守の関係性は大きく加筆したんですよ。最初は麻綾と桑守の決着がつかないまま終わっていました。でもこのままだと物語として締まりがないと感じて、ある章を丸々書き足しました。同期ならではの関係性を描き切ったことでお仕事小説としての骨が一本通った気がします。
市川:桑守の活躍があるからこそ麻綾の魅力がより鮮明になりますよね。だから読者がより麻綾を好きになるし桑守も好きになるっていう作品の構造になってますよね。
城戸川:ありがとうございます。実は秋には続編も刊行予定です。ヒイヒイ言いながら書いてますが今作よりももっと面白くなるので楽しみにしていてください。
〈「書店員の仕事にはたまらない瞬間がある!!」本屋が減り続ける時代に働く書店員のホンネ〉へ続く

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