
- 2025.07.23
- コラム・エッセイ
前半の謎解き、後半の怒濤――一気読み航空サスペンス!
吉野 弘人
『螺旋墜落』(キャメロン・ウォード)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
キャメロン・ウォードの本邦デビュー作『螺旋墜落』をお届けする。
ロンドンの数学教師チャーリーはヒースロー空港でロサンゼルス行きの飛行機に搭乗しようとしていた。眼の前を息子のセオが通っていく。セオはこれからチャーリーが乗る便の副操縦士だ。だが彼は自分の操縦する機に母親が乗ることを知らない。彼女とセオは仲違いをしており、一年近く疎遠な関係が続いていた。彼女は息子との関係を修復するため、息子の住むロサンゼルスへ向かおうとしていた。
ヒースロー空港を離陸して十時間後の深夜十二時、機体が揺れて急降下し、機内がパニックに陥るなか、機は墜落する。が、チャーリーが目覚めると時計は午後十一時一分を示していた。墜落は夢だと思うチャーリー。だが時刻が深夜十二時を示すと、飛行機は急降下を始め、また眼の前が真っ暗になる。そして眼が覚めると……。その後も墜落と目覚めが繰り返されるなか、そのループはしだいに短くなる。ループが尽きるまでにチャーリーはなぜ、この機が墜落するのか、どうすれば墜落を阻止できるのかを突き止めようとする。
タイムループという設定はスリラーにおいてはさほど目新しいものではない。だがこのふたつはとても相性がいいと言っていいだろう。自らに降りかかる死を避けるために時間をさかのぼって人生をやりなおす。タイムループの特徴は失敗が許されるところだ。失敗(=死)を繰り返しながら、少しずつ生き延びる方法を探っていく。その墜落の原因が、死を免れるために解き明かすべき最大の謎となってチャーリーの前に立ちはだかる。かぎられた空間、かぎられた時間、そしてかぎられた手がかりのなかでチャーリーは失敗を繰り返しながらも一歩ずつその謎を解き明かしていく。
本書のもうひとつの特徴は、タイムリミット・スリラーとしての側面だ。著者はタイムループの根拠として、フィボナッチ数列を用いて説明している。フィボナッチ数列は自然界にもその現象が多く見られるなど、宇宙の真理にもつながる理論で、やや荒唐無稽な物語に一定の説得力を与えている。一方でこの理論を根拠とすることが、ストーリーの展開にも、大きな効果を与えている。しだいにループが短くなるという状況によって、より緊迫感が高まっていくのだ。もともと飛行機が墜落するのが十二時〇〇分という形でタイムリミットが設定されており、これによりすでに緊迫感が生まれているなか、さらにループが始まる時間がしだいに遅くなるという条件を加えることで、ループが繰り返されるにつれ、どんどんスピード感が増していくのだ。最後のループで与えられる時間はわずか五分。この短い時間で、主人公がどういう選択をして、どう対処するのか、読者はまさに息をするのも忘れて物語の展開を見守ることになる。後半は特にそのスピード感が圧巻だ。前半の謎解きと、謎がわかってからの後半の怒濤の展開。ミステリーとスリラーの要素をコンパクトに詰めこんでいて、まさにページをめくる手が止まらない。
物語はチャーリーが機内で墜落を阻止しようとする現在のパートと、息子セオがロサンゼルスで父親を探そうとする過去のパートが交互に配置されている。過去のパートではセオが家を出て、父親を探す姿が描かれる。父親は死んだと聞かされていたセオは、父の生存を知って母親に裏切られたと感じる。だが、さらに見つけた父親から拒絶され、セオは自分の存在意義を見失って自暴自棄になっていく。セオの出生の秘密――父親の存在――は、母子の断絶の原因であると同時に飛行機の墜落の原因とも密接に関わっている。過去パートが進むにつれ、その謎が少しずつ解明され、読者にも墜落の原因が明かされていく。チャーリーとセオの関係は言ってみれば、やや過保護な母親と、ファザコンをこじらせた息子という、多少デフォルメされた親子関係といえる。特にセオの自暴自棄な行動には共感できないところもある。だがエキセントリックな親子関係が最後にチャーリーとセオの取った“選択”をより際立たせているのもたしかだ。つまりこの小説は家族小説でもある。著者はスリラーの形を借りて、ひとつの家族の崩壊と再生を鮮やかに描いてみせている。
また本書は“人生における選択”をテーマにした小説とも言える。人生は決して前もって運命づけられてはいない。たったひとつの選択――決断や過ち――によって人生は変わるのだ。チャーリーとセオが下した決断はふたりを窮地に陥れる。だが、過ちを赦し、新たな決断をすることで、これからの人生を変えて、前に進んでいくことができるのだ。あなたはこれからどんな選択をするのか? そんな問いかけがこの小説のラストには込められている。
著者キャメロン・ウォードは、英国出身の作家で、教師と編集者を両親に持ち、幼い頃から本に囲まれて育ったという。アダム・サウスワード名義で発表したアレックス・マディソン・シリーズがあるほか、キャメロン・ウォード名義でA Stranger on Board、The Safe Houseといったスリラーの著書がある。前者は豪華クルーズ船の船上、後者は山火事によって社会から隔絶された奥地の邸宅といった、閉ざされた環境で起きる事件を題材に、そこで繰り広げられる人間ドラマをアクションもたっぷりに描くことを得意としている。本作はそういった作風を踏襲しながらも、タイムループというSF的な味付けを加えた野心的な作品となっている。今後の作品が愉しみな作家がまたひとり現れたようだ。
「訳者あとがき」より
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