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物語の土台を揺るがす大どんでん返し

物語の土台を揺るがす大どんでん返し

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『奇術師の幻影』(カミラ・レックバリ ヘンリック・フェキセウス)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『奇術師の幻影』(カミラ・レックバリ ヘンリック・フェキセウス)

 まさかこんな結末が待っているとは思ってもみなかった。

 おいおいやりすぎだろう! とか、無茶苦茶だよ! とか怒る人もいるかもしれない。ちょうど昨年の秋に、文春文庫から出たジェローム・ルブリの『魔女のおり』(さらにその前の『魔王の島』)などを思い出して、これだからヨーロッパのミステリは油断できないよなと苦笑いしながらわくわくして喜ぶ人もいるかもしれない。

 実は読む前に、海外の読書サイトにとんでスウェーデンの読者の感想を眺めていたら、「『シックス・センス』を見たときを思い出した」というのがあり、なんだそれは? と読む前は思ったのだが、終盤のどんでん返しを読まされると、まんざら『シックス・センス』を引き合いに出すのも悪くない気がしてくる。

 ただ、ジェローム・ルブリのサイコ・サスペンスのように、全く行先の見えない展開ならいくらでも身構えて推理して読んでいくけれど、ミーナ&ヴィンセントものは、リアリズムで押す警察小説&サスペンスなので、謎解きの面白さはあっても、物語の土台を揺るがすような大胆などんでん返しはないだろうと思っていたのである。まあ、第一作『魔術師のはこ』も、第二作『つみびとたちの暗号』も、主要登場人物の過去や親族に大いなる謎があり、犯人もまた実に意外、ということを考えれば、読者の予想を超えるどんでん返しのひとつではあるのだが、しかしまさか本書のような掟破りに近い真相を語られると、やはりびっくりしてしまう。

 本書を読み終えたあと、あわてて第一作『魔術師の匣』を手にとった。本書の最終盤でレストランのウェイターが、二年半前に店で起きた出来事を語る場面があるので読み返したのだが、たしかに下巻の一二九頁に当該の場面が出てくる。しかし、誰がこの場面の真実に気づくだろう。そうか、作者たちはそういう意味でこの場面を作っていたのかと思う。すでに一作目から作者たちは、大どんでん返しの伏線をはっていたことになる。数頁先の女性の言葉なども、本書のあとに読み返せば、ちゃんとネタを割っていたことに気付く。そのときは妄想、ありもしない言いがかりと思ったものだが違っていたのである。さらにもうひとつ、これはさすがに具体的に言及できないが、本書ではどんでん返しの伏線として、ある有名な文学作品や心理学者への言及もあり、なるほどそれなりにきちんと情報は提示されていたことがわかる。

 

 という紹介では、訳がわからないかもしれないので、まずは作品を紹介しよう。

 本書『奇術師の幻影』は、スウェーデンを舞台にした『魔術師の匣』『罪人たちの暗号』に続くミーナ&ヴィンセントもの第三作で、完結編にあたる。

 ミーナの元夫であるニクラス・ストッケンベリは、スウェーデンの法務大臣だが、何者かに脅迫されていた。その日ミーナと娘のナタリーと三人で食卓を囲んでいると、宅配会社の男が黒い封筒を届けにくる。裏には何も書かれていない。開けると白い紙に電話番号が書いてあり、それにかけると、録音した女性の声が聞こえてきて、「お客様の命は、あと十四日一時間十二分です」というメッセージが流れる。ニクラスは気分が悪くなるが、ミーナにはその話をしなかった。

 一方、ストックホルムの地下鉄のトンネルで、人骨の山が発見される。大腿骨の骨折と歯型から四カ月前に失踪した実業家ヨン・ラングセットであることがわかる。メンタリストのヴィンセントの力をかりながら、ミーナたちがヨン周辺を探っていくと、隠された人間関係と人脈が見えてくる。

 ニクラスは当初甘くみていたが、思っていた以上に自分の行動が脅迫者に把握されていた。刻々と時間が経過して残り少なくなっていく。実は、ヴィンセントもまた自身と家族に対する何者かの脅威に苦しんでいた。そしてミーナたちが追う事件も新たな展開をとげる。地下鉄のトンネルでまた別の骨が発見されたのだ。いったい誰の骨なのか? 誰が大臣を狙っているのか? ヴィンセントに迫る脅威とは何なのか?

 ひとつひとつの事件の展開も緊張感があって面白いが、それがだんだんと交錯していき、謎を深め、ドラマを強めていく。この事件のれんけいが滑らかかつ劇的でいいし、相変わらずミーナとヴィンセントの事件への没入ぶりが読ませる。第一作『魔術師の匣』ではヴィンセントの過去が、第二作『罪人たちの暗号』では第一作で語られていたミーナ自身の娘と母親の問題が大きく事件に作用していたけれど、第三作の本書では、事件を通してミーナの元夫と娘との関係が緊迫感を増し、ヴィンセントは自身にとりつく謎の存在の探求がいちだんと深まっていく。それらがみなこんぜんとなって結末へとなだれ込んでいく後半のダイナミズムも実に読ませる。

 しかし、事件と同じくらいに読ませるのは、刑事たちの私生活だろう。今回どんでん返しの精度を確認するために『魔術師の匣』を再読した話を書いたけれど、冒頭に、ルーベンとユーリアが“猛獣のごとく性交に及んだ”(上巻七四頁)という話が出てきて驚いた。ミステリの場合、どうしても事件中心に読んでしまうことになるのだが、レックバリの小説(とくに『氷姫』『説教師』などのエリカ&パトリック事件簿)は、基本的に、連続テレビ・ドラマ的であり、事件と同じ比重で刑事たちの私生活が紡がれていく。メンタリストのヘンリック・フェキセウスと共著したミーナ&ヴィンセント三部作も例外ではない。ミーナのみならず刑事たちの私生活が詳しく描かれているのだ。

 文芸評論家の北上次郎さんも同じ見方で、「刑事たちの私生活が必要以上の分量で描かれる」と第一作『魔術師の匣』について書いている。構成に難があると思うかもしれないが、「小説は断じてストーリーではないと思うのはこんなときだ。(略)小説は無駄と寄り道があるから面白いのだ。そのことを久々に教えてくれる小説であった」と「小説推理」二〇二二年十一月号に書いてあるのだが、思い返せば北上さんが亡くなったのは、二〇二三年一月十九日。十二月上旬に緊急入院していたので、最晩年の書評となる。いったい第二作と第三作を読まれたなら、どんな書評を書かれただろう? 間違いなく、寄り道にみちた小説の面白さを称賛しただろうし、読者の意表をつく本書については「ぶっとぶぞ」と文庫解説に書かれていたかもしれない。なぜなら「ようするに、特捜班の連中が愛しいのだ。これに尽きる」(同)からである。登場人物たちの一人一人に思い入れを抱いてしまう。本当にキャラクターひとりひとりが愛しいのである。キャラクターが際立っている。

 

 さきほどのルーベンとユーリアの話に戻すと、ルーベンとユーリアの性関係は一度だけで、ユーリアがトルケルと結婚する前の、ユーリアが泥酔した時の出来事であるけれど、本書を読んだ後にそれを知ると(僕だけでなくシリーズの読者も細かいことは忘れているだろう)、そうか、この二人にはそういう過去があったのかと、第二作から本書にかけて描かれる二人の私生活の変遷に、ある種の感慨を覚えることになる。

 ルーベンは『魔術師の匣』と『罪人たちの暗号』では、かわいそうなことに“好色漢”と人物紹介欄にあり、たしかに若い女性を拾っては性的関係に耽ることを趣味にしている男だから間違いではないのだが、『罪人たちの暗号』では自分に娘・アストリッドがいることを知ってどぎまぎする姿が捉えられて、読む方も顔があからんでしまうほど初々しい。そこから子供を育てる同僚の女性たちの姿に自然と目がいくようになり、本書では、幸福とは何であるか考えて、ある女性とつきあうようになる。“好色漢”という文字が人物紹介から消えているのはそのためである。

 ユーリアも『罪人たちの暗号』で息子ハリーを授かり、ややぎくしゃくしていた夫トルケルとの関係も、養育を助け合うことで距離が縮まっていく過程が微笑ましかったが、本書でもその関係は続いている。

 刑事クリステルは、『魔術師の匣』で、事件関係者の犬(名前はボッセ。犬種はゴールデン・レトリバー)をミーナに代わって預かるようになり、『罪人たちの暗号』では愛犬をつれて、数十年ぶりに同性の友人のラッセと再会し、本書ではパートナーとなり、刑事仲間たちを手料理でもてなす場面もでてくる。

 本書にはもう登場しないが、前作で凶弾に倒れたペーデル刑事の存在も依然としてある。三つ子の父親として特捜班の中で最も愛嬌のある刑事として慕われていたペーデルの死の衝撃はいまだ尾をひいていて、それぞれの人生を見つめなおす契機にもなっている。

 その死の体験は、別の意味で、ミーナとヴィンセントの関係にも影を落としている。『魔術師の匣』のクライマックスの生きるか死ぬかの瀬戸際での体験が二人を精神的に結びつけ、恋愛感情を抱くようになりながらも、それを表には出さないように逆に距離を置くようになっている。『罪人たちの暗号』でも本書でも、ミーナとヴィンセントはおそろしいくらいに距離をおいていて、相手に踏み込まないようにしている。ヴィンセントには三人の子供がいて、妻のマリアが異常なまでの嫉妬心をもって夫を監視していることもある。ミーナはミーナで、毎日のように思い続けながらも十年間連絡をとっていなかった娘ナタリーとようやく『罪人たちの暗号』で再会し、母親と娘という関係の構築に腐心していることもある。というのもナタリーは母親は亡くなっているとばかり思っていたからで、娘は突然の母親の出現に納得いっていないのだ。

 

 病的なまでの潔癖症であるミーナと、数学的規則の奴隷ともいうべきヴィンセントが、どんな経験をくぐり抜け、何を見いだすのか、二人の関係は一体どうなるのかが、本書の最大の見どころでもある。冒頭から何度も言及しているが、そこに大きなどんでん返しも用意されているのだが、それについてはもう触れない。各自で確認されたい。

 なお、大胆なことをいうようだが、本書から先に読んで、『魔術師の匣』に戻り、『罪人たちの暗号』を読むのも一興だろう。今回、本書の解説を書くために、その順序で再読したら、ミーナやヴィンセントの私生活のみならず特捜班の刑事たちの人間模様なども実にクリアになって、そうか、転機はここか、それでああなったのかと家族・特捜班のアルバムをひもとくような楽しさを覚えた。それほどメイン・ストーリーの事件のみならずサイド・ストーリーも豊かで、本筋に織り込まれているからだし、本書の結末の伏線を確認すれば、ある人物が抱えている哀しみの深さと絶望感がいっそう胸に響くだろう。ラストシーンには心が痛くなる。

 

 なお、これも北上氏のいう寄り道のひとつだが、同時代のミステリの魅力を作家名をあげて具体的に述べたり(『魔術師の匣』下巻六三頁)、『ダ・ヴィンチ・コード』の小説と映画についてうんちくを述べたり(本書一四一~一四六頁)といった脱線もいたるところにあるのでなかなか愉しい。愉しいというより嬉しいのは、日本の話が時々出てくることだ。これは北欧ミステリを読んでいると気付くことで、とくにジョー・ネスボは日本びいみたいで、彼の小説にはカローラがしょっちゅう出てくるし、『ヘッドハンターズ』には水子地蔵が出てくるし(!)、最新作『失墜の王国』にはニイガタ一〇〇〇という高級理容師鋏が出てきた。本書のミーナ&ヴィンセント三部作もそうで、『魔術師の匣』にはハチ公の映画の話(下巻二二五頁)、本書ではいきなり最初の頁に“神戸ビーフ”が出てきて、三島由紀夫(二一二頁)、日本人のお辞儀(三三九頁)と続いて、極め付きは“特別な機会のためにとっておいた、日本の〈厚岸シングルモルトピーテッド〉”(五三六頁)である。詳しくは本文を読まれたい。

 ともかく、さまざまな愉しみと嬉しさと驚きのつまった三部作である。ぜひ読まれることをお薦めする。

文春文庫
奇術師の幻影
カミラ・レックバリ ヘンリック・フェキセウス 富山クラーソン陽子

定価:1,650円(税込)発売日:2025年04月08日

電子書籍
奇術師の幻影
カミラ・レックバリ ヘンリック・フェキセウス 富山クラーソン陽子

発売日:2025年04月08日

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