『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)

「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。

 そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。

 今回はその中から、15歳の少女と「X JAPAN」hideとの奇跡的な交流エピソードを一部抜粋する。

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泣いていても1日、笑っていても1日

 貴志真由子は1981年3月4日、父政人、母和子の次女として生まれた。姉の仁美とは二歳半、離れている。母の和子は言う。

「子どものころからよく転ぶ子で、かけっこも遅い。変だなと思って、お医者さんに相談していました」

 しかし、異常は見つからず、「早生まれだから、成長が遅く感じるのかも知れません」と言われていた。

 小学校に入って、姉と一緒に登校する。その後ろ姿を見て、和子は違和感を覚えた。

「理由は説明できないんですが、姉と同じスカートを穿いているのに、真由子の方は揺れ方が普通じゃないような気がしたんです」

 合唱で真由子が歌えば、他の子より少し遅れる。先生から「輪唱になってるね」と言われた。

 小学校5年生になると、座っていてもすぐに体を横たえた。和子が座るように言っても、真由子はまたすぐ横になりたがる。和子はより詳しく検査してもらおうと、日本赤十字社和歌山医療センターなどいくつかの病院を訪ねた。

貴志真由子さん(遺族提供)

 口内を診ると、舌が少し曲がっている。歩くと右に折れていく。医師は真由子の体に異常を認めながらも原因が突き止められない。若年性パーキンソン病を疑われたが、違った。最終的にたどり着いたのが「GM1ガングリオシドーシス(III型)」という難病だった。

 医師によると、当時世界で23例目、真由子が最年少の患者だった。そのため日本でこの病気を診察した医師はほとんどいなかった。

 脳をはじめとして全身の臓器に糖脂質などが蓄積し、話しづらくなったり、運動機能が低下したりする。20歳までに亡くなる可能性の高い病気である。和子が言う。

「最初は思いました。いろんな子がいるのに、何でうちの子がと。ただ、泣いていても1日、笑っていても1日。同じです。泣いて病気が治るのなら、いくらでも泣く。でもそうでないなら笑って生きようって。だから、真由子の前では一度も涙を見せていません。それは自信があります」

「hideさんに目の前で歌ってほしい」

 最初の1年は本人に病名を伝えていない。それでも何度も検査を受ける真由子は、病名を知りたがった。

「自分の体なのに、教えてもらえないのはおかしい」

 最後は医師が説明した。

 和子がMAWJを知ったのは95年秋である。骨髄移植関係の会報に、「難病の子の夢をかなえる団体」として連絡先が載っていた。真由子は中学3年だった。 

「読んだ瞬間、これだって思いました。真由子がhideさんと会いたがっているのはわかっていました。部屋中にポスターを貼っていましたから」

 長女が音楽好きで、いろんなアーティストのCDを聴いていた。真由子は中でも「X JAPAN」が気に入ったらしい。

 和子はMAWJについて真由子に説明し、事務局に連絡した。

「来春に骨髄移植を控えています。その前に思い出を作ってやりたいんです」

 寿子はすぐに関西支部のボランティアと一緒に和歌山の自宅を訪ね、真由子にどんな「夢」があるのかと聞く。

「X JAPANのメンバーとディズニーランドに行きたい」

「hideさんに会いたい」

「hideさんに目の前で歌ってほしい」

hide ©時事通信

 9番目までhideに関する願いで、10番目にようやくプロ野球選手の名を挙げ、「会いたい」と言った。本心がhideにあるのは疑いようがなかった。

 44歳の寿子は「X JAPAN」やhideについて詳しく知らなかった。

「実はおばさん、ちょっと良さがわかんないんだよね」

 こう打ち明けると、真由子は「そっか、そっか」と聞いていた。寿子は当時を思いだす。

「正直、夢の実現は難しいと思いました。芸能人やスポーツ選手に会いたいという子は多い。でも多くの場合、所属事務所に拒否されます」

 特定の子に会うと、必ず他の子や団体から、「自分も同じように交流させてほしい」との希望が寄せられ、収拾が付かなくなる。それを危惧した事務所が、一律に拒否を決めているケースがほとんどだ。

hideの事務所から想像とは違う反応が……

 寿子によると、会うのを了承する場合でも、「絶対に口外してくれるな」と口止めされるという。

「アメリカではMAWの知名度が高いためか、有名人が比較的会ってくれます。さらに、文化の違いもあるのか、アメリカでは『あの子に会ったのなら、私にも』という要求は日本ほどないようです」

大野寿子さん ©文藝春秋

 断られても仕方ない。寿子はそう思いながら、hideの事務所を訪ねた。真由子の思いを和子が綴った手紙を手渡すと、想像していたのとは違う反応が返ってきた。マネジャーはこう言った。

「hideはやると思いますよ」

 そのとき、本人は米ロサンゼルスにいた。驚く寿子にマネジャーが続ける。

「話せば間違いなく会うと思います」「hideはそういう男です」

 和子は寿子から「会えそうだ」と連絡を受ける。

「夢を語って2週間ほどしたときだったと思います。電話を受けながら、すぐ横にいた真由子と2人で、『うそ? うそ?』って。信じられなかったです」

 真由子がマフラーを編み始めたのはその直後だった。すでに手が動きにくくなっていた。疲れると、和子が手をもんでやった。

 家族は、大みそかに予定されていた東京ドーム公演のチケットを購入済みだった。「どうせ上京するなら、それに合わせて」と、夢の実現はコンサート終了後と決まる。

 公演中、真由子は声を張り上げた。和子は驚いた。

「体が悪いからかもしれませんが、大きな声を出すような子じゃないんです。その真由子が叫んでいるんですから」

小倉孝保(おぐら・たかやす)

1964年滋賀県生まれ。ノンフィクション作家。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長などを経て論説委員兼専門編集委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『がんになる前に乳房を切除する 遺伝性乳がん治療の最前線』(文藝春秋)、『中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』(角川ソフィア文庫)、『35年目のラブレター』(講談社文庫)などがある。

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