〈「会いたい」「目の前で歌ってほしい」世界で23例しかない難病を発症した少女が、「X JAPAN」のhideに抱いた熱烈な想い〉から続く
「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。
そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。
今回はその中から、がんが進行し憔悴する大野さんと4歳の少年との交流の思い出を一部抜粋する。
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トイレまでの数歩がふらつき、息がハァハァ
病状が進んでいると実感させられたのは2024年7月19日夜である。
小便のためトイレに行こうとベッドから起き上がるとき、便がもれてしまった。大きい方をもよおしてはいなかったのに、辺りを汚してしまう。寿子は愕然とし、一人涙を拭った。
周りには明るく振る舞いながら、日記には不安で苦しい胸の内を記す。
〈仕方ないと思いつつも悲しい。まだ、自分で片付け、処理ができるけど、いつの日かできなくなると思うとつらい。肉体的にもつらい。トイレまでの数歩がふらつき、息がハァハァ。シャワーを浴びながらも介護イスを置く力がなく立ったまま。苦しくつらかった。紙オムツをはくのもハァハァ。誰かのhelp(助け)なしにはやれない日が近い〉
21日、牧師の笠田弘樹が聖餐式のために訪ねてきた。
イエス・キリストの福音を身体で受けとめる儀式で、浦安教会では毎月一度、パンとブドウ酒をイエスの肉、血として口にする。教会に足を運ぶ力のない寿子のため、牧師自らやってきた。
笠田が聖書を読みあげる間、寿子はベッドで目を閉じ、胸の上で両手を組む。横では、夫の朝男と娘の幸子が頭を垂れている。笠田がパンと杯を手渡すと、寿子は無言で受け取り、口に運ぶ。式が終わると念を押した。
「ありがとうございました。先生、告別式では楽しい説教をお願いします」
葬儀社との打ち合わせは済んでいる。土曜と日曜の2日に分けて開く予定だ。
ベッドの向こうのベランダでは、アサガオの葉が風に揺れている。笠田は手帳のカレンダーに目をやり、寿子の耳元でささやいた。
「あのー、もしものときが……、ですね……、金曜日だったら……。翌日(土曜)に(葬儀が)できますかね」
「遺体がないから慌てる必要はありません」
話しにくそうな笠田とは対照的に、寿子はあっけらかんとしたものだ。
「金曜の早くだったら大丈夫でしょう。そうじゃなかったら、翌週になります。遺体がないから慌てる必要はありません」
花料は辞退し、賛美歌に加え、孫たちが合唱を予定している。葬儀の後には茶会を開き、できればビールを飲みながら語り合ってもらいたい。
「悲しんでほしくない。喜びにあふれた会にしてほしいわ」
幸子が聞いた。
「先生、(参列者は)やっぱり喪服ですかね」
「こだわりません。ただ短パン、Tシャツというわけにはいかないでしょう」
目の前の朝男がまさにその格好だった。寿子は笑いながら言った。
「あっちゃん、ホチキスでとめたサンダルを履かないでよ。私はまだそのころ(葬儀の最中)、教会周辺から見ているわよ」
朝男はこの夏、足に馴染んだサンダルをステープラで修繕しながら履いている。それを指摘された本人は頭をかいた。幸子からも「ちゃんとあいさつの言葉考えてる?」と冷やかされ、朝男は「大丈夫」と短く答えた。最愛の妻と別れる寂しさは、秘めたままである。
この夜、寿子宅に突然の訪問客があった。MAWJで夢を実現した山﨑健汰の父勲と母雅世である。ネットの報道で寿子が重い病気になったと知り、埼玉県吉川市で花屋を営む二人はその日のうちにヒマワリを抱えてやってきた。雅世の話である。
「世話になった大野さんです。とにかく行こうということになり、店を閉めるとすぐ車で行きました」
その日は日曜日だった。午後七時ごろ大野宅に着くと、大勢で食事をしていた。
「10人くらいで食事されていました。ベッドでお茶を飲む大野さんはまだ元気で、とても楽しそうにしていました。『食事していってよ』って誘ってもらいました」
寿子はこのとき、自分の葬儀にヒマワリを用意してほしいと依頼している。健汰の通夜・告別式もヒマワリでいっぱいだった。
4歳で体調が悪化して危篤に……
1995年に生まれた健汰は、肺動脈狭窄や肝外門脈閉塞などの難病を抱え、何度も入退院をくり返した。
体調がいいときは勲が自転車に乗せて街を回る。すると幼い健汰は工事現場に特別な関心を示した。飽きもせずに、何時間も工事の様子をながめている。
4歳で体調が悪化して埼玉県内で入院したとき、雅世はMAWJに連絡した。危篤になって3日後だった。夢の実現は間に合わない可能性も高かった。
寿子が聞き取ると、健汰の夢は工事現場の見学だった。しかし、健汰は病院を出られない。寿子たちは「工事現場を病院に作りましょう」と提案する。雅世は最初、首をかしげた。
「提案されたときは、何のことか理解できなくて。病院に作るって、何?」
寿子たちが思いついたのは、工事現場のジオラマ作りだった。おもちゃのショベルカーやダンプカーを集めた。作成に際しては、『ウルトラマン』シリーズなどで知られる円谷プロダクションからアドバイスも受けた。とにかく早急に病院に運ぶ必要があるため、ジオラマ作りに関わったボランティアは約10人にもなった。
MAWJの事務所でボランティアが手を動かしている様子を見ながら、寿子は胸が熱くなり、トイレに駆けこむと、隠れて涙を拭いた。
「ボランティアのみんなは健ちゃんのことをまったく知らないんです。アメリカでクリス君の夢を実現しようと、大人たちが一生懸命になったのと同じです。見たことも、話したこともない。それでも、夢をかなえてあげたい一心で協力している。見ているうちにぐっときちゃった」
仕上がったジオラマは一畳ほどの大きさになった。病院に持って行くと、健汰は危篤状態から持ち直していた。雅世は喜びながらも、「大野さんたちに急いでもらったのに、悪かったな」と思った。健汰は無邪気にジオラマで遊んでいた。
小倉孝保(おぐら・たかやす)
1964年滋賀県生まれ。ノンフィクション作家。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長などを経て論説委員兼専門編集委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『がんになる前に乳房を切除する 遺伝性乳がん治療の最前線』(文藝春秋)、『中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』(角川ソフィア文庫)、『35年目のラブレター』(講談社文庫)などがある。









