- 2024.05.02
- 文春オンライン
「アフリカに行かなんだら、借金返済まで75年」心臓病の幼い娘のために…借金を抱えた父親が見つけた“まさかの儲け話”
清武 英利
『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」23年間の記録』より #1
医学的な知識を持たない「ど素人」の夫婦が、人工心臓開発という無謀な挑戦に踏み切った。それは、心臓に疾患を持つ娘の命を救うためだった――。
『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」23年間の記録』は、そんな実話をもとにしたノンフィクションだ。ここでは本書より一部を抜粋して紹介する。
父から町工場の経営を任され、莫大な借金を返すために奮闘していた筒井宣政と、その家族の目の前に突き付けられた、残酷な事実とは――。(全2回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
二女・佳美の誕生
それでも宣政は運を持っていた。日本は高度成長の途上にあったし、3人の女児に恵まれたからである。
結婚した翌年の1967年8月に生まれたのが、ゴムまりのようにふっくらとした奈美。佐良直美の『世界は二人のために』がヒットした年だ。人好きのする笑顔を振りまき、みんなに「なっちゃん」と呼ばれた。
10カ月後に二女の佳美が誕生する。愛称は「よんちゃん」。街にはザ・タイガースの『花の首飾り』や、ピンキーとキラーズの『恋の季節』のレコード曲が流れていた。
そして、佳美が生を受けてから6年後、三女の寿美が家族の一員に加わる。ふだんは「すみちゃん」と呼ばれているが、お茶目なので、奈美には時々、「スミー!」とられている。
いずれも母親譲りのぱっちりとした眼を持ち、整った顔立ちである。長女は宣政が、二女は陽子が、三女の寿美は二郎が名付けた。何でも二郎が好きだった女性の名前らしい。
3人共に祝福された生だったが、中でも佳美の人生は、羅針盤のように筒井一家の行く先を示し、照らし続けた。
そのときのことを宣政はいつまでも忘れなかった。
「この子は命のろうそくが短いのか」
佳美を早産した陽子を名古屋の病院のベッドに休ませた直後だった。産婦人科医は宣政を新生児室に呼んで、
「赤ちゃんの心臓がひどく悪いですよ」
と聴診器を手渡した。宣政は26歳になっている。
「雑音がしますから。これを心臓のところに当てて聞いてみてください」
聴診器を当てて耳を澄ます。すると、「カックンコ、カックンコ」と波打つ心音の合間に、「ザザザ、ザザザザッ」という音がはっきりと聞こえた。
――なんだろう。空気が抜けているような音だ。
心臓の音に異常があることは素人にも分かった。
「佳美ちゃんは長く持たないかもしれません」
医師の声を、彼は茫然と聞いた。
この子は命のろうそくが短いのか。
しかも、新生児なので精密検査に体が耐えられないという。心臓外科医によると、おおむね9歳、体重が20キロを超えるころまでは機器やメスを入れて調べるのは難しいと告げられた。
心臓に難病を抱え、明日をも約束されない赤子なのに、成長を待つしかないのだ。
少し大きくなると、走ることもできない佳美は陽子に「なんでこんな風に生まれちゃったんだろう」と言うようになった。
「お母さん、ごめんね」
という小さな声が震えている。そばで聞いていた姉の奈美の胸に哀しさが押し寄せて、涙が止まらなくなった。すると、佳美が、
「なっちゃん、泣かないで」
と手にしていたハンカチで奈美の目を拭った。
そのとき陽子は、私が治してあげる、と強く思った。
きっと何とかなる。佳美の心臓の中がどうなっているのか分からないことが、かえって救いになった。自分は不安におびえない人間だし、手元には聖書がある。
何事もなければ、陽子は名古屋の中小企業経営者の令夫人として、ありふれた人生を過ごしていたことだろう。だが、医者に宣告された24歳のそのときに、陽子は静かでおっとりとした人生に別れを告げたのだ。
心の奥底に阿修羅のようなものを住まわせて生きなければならなくなったからである。阿修羅とは仏教でいう戦闘神のことである。
「稼いでおかんと」目をつけた意外なビジネス
宣政は借金と佳美の難病という2つの痛みを抱え、名古屋や大阪の大手商社を歩いていた。
――とりあえず、借金だけでも打開策はないものか。佳美の治療費も稼いでおかんとなあ。
じりじりと下半身に這い上がって来る焦りを感じながら、宣政はその日、繊維や化学品に強い中堅商社の名古屋担当者に相談した。
「うちの会社は詐欺に引っかかって、いま大変なんです。なんかいい仕事、バーッとこう売れる仕事ありませんか」
まるで雲をつかむような話である。三井物産や三菱商事などにも持ちかけ、軽くあしらわれていた。ところがその担当者だけは話をきちんと聞いてくれて、こう言った。
「筒井さん、アフリカの人々の頭の毛を縛るひもを作ったら、ものすごい売れるよ」
「ひもって何ですか」
「ほら、アフリカの人は髪が縮れているでしょう。その縮れ髪を何十本か、小さくまとめて結わえるひもだよ。これが一人の頭髪に何十本も必要になるんだわ。それを作ったら売れるよ」
「いま、向こうの人たちはどうしとるの?」
「木綿糸で縛っているんだ」
それを聞いて、ちょっと膨らんだ期待がたちまちしぼんだ。
「木綿糸でやっとったら、僕が作ることないがね」
すると彼が、いやいや、という風に首を振り、自分の髪をつまんで言葉を続けた。
「違うんだよ。木綿糸だと、こう縛って結わえるのはええんだけど、10分とか15分とか、時間が経たんうちに汗をかいたり、脂が出てきたりする。そしたら、ツルリと髪からずれちゃうんだって。ゴムみたいに引っ張りがきかんからね。かといって、輪ゴムでは髪がゴテゴテになっちゃってだめなんだわ」
ゴテゴテとは名古屋弁で、髪がぼってりと丸まってしまうことを意味する。だからそれに代わる良いものを作ってくれたら、ものすごく売れるよ、というのだ。
しかし、貧しい人相手に売るんだろうから、髪結いひも1本当たり1銭か2銭、1人100本買ってくれたとしても1円の世界だ、という話になり、
「儲からんし、そんなものは作れへんわ」
と言って、宣政は帰って来た。
そして、ベッドに横になって、つらつらと考えてみる。
――ビニールひもを作ってきたうちの会社だったら、ビニールに可塑剤と液体安定剤なんかを混ぜれば、髪専用の結いひもができるんじゃないか。それにあれとあれを加えれば、木綿糸に代わる良いものができるかもしれん。
中小企業は、社長が一人何役もこなさなければならない。商談や金策だけでなく、機械を回すのを手伝ったり、材料を仕入れたりしているうちに、経済学部出の彼もビニール製品の作り方や材料の特性が分かるようになっていた。
「あんたが行くっていうんだったら」「えーっ」
翌日から工場の隅であれこれ調合してみた。社員の助言も聞き、試行錯誤しているうちに、特殊なビニール製の結いひもが出来上がった。
長さ50センチほどで、ぐいぐい伸ばすと1メートルぐらいになる。髪の毛を数十本まとめ、そこにこのひもをぐるぐると巻きつけると、痛みも緩みもなく、小さな花が立ち上がったようにまとまる。風通しも良い。
そのうえ、汗や脂が出てくるとだんだんと縮まっていくので、使い勝手がいい。1本当たり1銭か2銭ぐらいだから、子供から女性にいたるまで誰でも使える。これを高いという人は誰もいないだろう。
――アフリカには何十億人という女性がいるんだから、1人当たり100本、1円相当ずつ買ってもらえば何十億円の儲けじゃないか。
そう考え直して、ヒントをくれた中堅商社の担当者のもとに走った。
「ものすごくいいもんだで、アフリカに行って売ってきてくれませんか」
「いやいや、うちが直接、売りに行くことはできませんよ」
そんな会話を交わし、がっかりして別の商社を回って売り込んだが、答えは同じだった。最後に学校の先輩がいる大手商社でこんな説明を受けた。
「言いにくいことですが、大商社はそんなものは扱いません。ものすごく売れているというなら別ですが、これから売れるか売れないか分からないようなものはやりません。どの商社に行こうと無駄な話ですよ」
宣政はあくまで粘り腰だ。
「いや、これはすごいんですよ。何とか扱っていただけませんか」
やり取りをしているうちに、根負けした相手が「それほど熱心に言われるなら」と、大阪の丼池筋、神戸の三宮、元町界隈のインド商社やアフリカへの商品を扱う小さな商社を紹介してくれた。
「カネのないときに、またまた出て行かないかんのか」。そう思いながら歩いた。そして最後に、ダイコクヤという3人ほどで営んでいる貿易商社に立ち寄った。50がらみの実直そうな人が出てきて、
「あんたが行くっていうんだったら、協力するわ」
「えーっ」と声が出た。
「僕はモノは作れるけど、商社みたいなことはできん。売り方もしらんし、だいたい英語ができんわ」
初対面の人ともすぐに打ち解け、友達のように言葉を交わすことができるのが宣政の取り柄である。しばらく、「できん」「行け」と言い合っているうちに、彼は熱意を測るかのように、宣政の眼を見つめた。
「あんたが行かなあかん。こんだけ熱心なら、うまくいくかもしれんわ。あんたが行けば応援をするよ」
「そうか、自分で売り込むということか、英語もできんのに」とつぶやきながら、名古屋に帰った。夜、ベッドに寝転んで再び考えに落ちた。
――アフリカに行かなんだら、借金返済まで75年、孫子の代までかかる。佳美の治療費も出せん。しかし、行ってひょっとして売れたら、逆転ホームランだ。成功の確率は低いが、やってみるしかない。
初対面の外国人に会話を挑んで実践
けれども、英語が話せない現実に変わりはなかった。学校に行く時間もない。こんなときに尾張人特有の気質が出る。独立心が強く、しぶとくてガメつい。目的のためなら恰好を気にせず、ひたすら直進する。
よし、基本的な実践英語だけ覚えていこう、と思い立って、宣政は土、日になると、ホテルナゴヤキャッスルに通った。そこは名古屋城を一望する豪華ホテルで、トヨタ自動車やデンソーを始め、愛知の大企業を訪れる外国人が泊まっていた。商談の合間にロビーやティーラウンジでくつろぐ外国人に会話を挑むのである。
初めのころは、いきなり「What's your name?」と尋ねてひどく叱られたりした。自分の名前も名乗らずに人の名前を聞くのは無礼だ、というのである。それで、
「How are you?(ご機嫌いかがですか)」
「It's nice weather(いい天気ですね)」
「Where are you from?(どこから来たんですか)」
ぐらいを覚えて、あとは身振り手振り、度胸任せで会話を続けた。少し慣れてくると、率直に、
「実はビジネスでアフリカに行かなければならないのだが、英語が全然だめなので、話をしてくれないか」
と打ち明け、初対面のビジネスマンたちに即席の英語教師になってもらった。
それから半年後の1971年6月、宣政は大阪国際空港からアフリカに向けて一人で飛び立った。日程は2カ月半である。
まずは、西アフリカ最大の商業都市ラゴスへ。英領植民地から第二次世界大戦後に独立を果たしたナイジェリア連邦共和国の首都(その後、アブジャへ遷都)だ。
石油埋蔵量の豊富なこの国では、東部の独立派と政府軍の独立戦争が1年半前にようやく終結していた。「ビアフラ戦争」と呼ばれたこの内戦では、200万人以上の国民が飢餓、病気、戦争で死亡したと報じられた。飢えて骨と皮にせ細った子供たちの写真は世界中に流され、「ビアフラ」の名は飢餓の代名詞となっていた。
戦火の余燼と傷がまだ消えやらぬその国へ、宣政は己の度胸を頼みにして、髪結いひもを売り込むのだ。
「この旅行は父親の借金を返すため、佳美の治療費のため、家族のためだ」
何度も何度も自分にそう言い聞かせた。
両親と妻、子供たちが、空港まで見送りに来た。3つになる佳美が陽子に抱かれている。その姿に、「長くは生きられない」という医師の言葉が蘇り、手ぶらでは戻れないと改めて思った。
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本書を原作とする映画『ディア・ファミリー』が6月14日(金)に公開されます。
主演:大泉洋/監督:月川 翔/配給:東宝
映画公式サイト:https://dear-family.toho.co.jp/
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