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超高齢社会における生と死

超高齢社会における生と死

文:渡辺 利夫

『神経症の時代 わが内なる森田正馬』 (渡辺利夫 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 現代人の平均寿命が短期間に急上昇したのは医学・医療の進歩の結果だと多くの人々は信じているのかもしれないが、これは実は多分の誤認らしい。著名なものに、イギリス(イングランド、ウェールズ)における肺結核死亡率を一八四八年から一九七一年までの百二十年余にわたり観察したトーマス・マッケオンの研究がある。ドイツの細菌学者ロベルト・コッホによって結核菌が発見されたのは一八八二年だが、BCGワクチンが開発され、その接種が可能となってイギリス社会に一般化するようになったのは一九五〇年代に入ってからのことだ、とマッケオンはいう。肺結核死亡率が劇的に減少したのは一九五〇年代以降のことではなく、実はすでにその百年も前の二千九百人(人口百万人当たり)から急速な減少を開始しており、一九五〇年代初期には下限近くの数人にまで低下していたというのである。

 肺結核死亡率の減少は、要するに国民所得水準の上昇にともなう、食餌内容の向上や都市上下水道の整備といった人間の生活環境の質的改善がもたらしたものであり、医学・医療の役割は私どもが想像するほど大きいものではない。マッケオンがその著作『医薬の役割』のサブタイトルに「夢、幻か、憤りの神か」と付したのはそのためである。同研究に促されて、アメリカでも肺炎、インフルエンザ、百日咳、ジフテリア、麻疹(はしか)、猩紅(しょうこう)熱、腸チフスなどについても研究が重ねられた。結果は、それらのいずれにおいても治療薬の開発と一般化は、死亡率が下限にいたる頃であったことが証されている。すぐに気がついてもらえるだろうが、上記の病のすべては感染症である。これらの感染症による死亡率の減少には、人間の生活環境の改善がまずあり、その後に開発された治療薬が一般化してついに感染症そのものが絶滅にいたるという経緯をたどったのである。長い伝統をもつ医学・医療の主たる対象分野は、諸種の感染症であり、これを制圧することに医学・医療界はほぼ成功したのである。しかし、それがゆえに、医学・医療界が新たに対象分野とせざるをえなくなったものが、癌、心疾患、脳血管疾患のいわゆる三大老人病だと私はみている。

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神経症の時代 わが内なる森田正馬
渡辺利夫・著

定価:本体1,140円+税 発売日:2016年10月07日

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