2026年2月に発売となった河﨑秋子さんの最新長編小説『夜明けのハントレス』は、狩猟に世界に身を投じる女子大学生・マチを主人公に、一人の女性ハンターの誕生と葛藤、そして一頭の熊との対峙までを瑞々しく描き出す令和の狩猟小説です。
この記事では『夜明けのハントレス』の書評をお届けします。評者は、札幌在住のライターで、熊被害の取材などを精力的に手掛けている伊藤秀倫さんです。
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河﨑秋子さんに会ったのは、『ともぐい』で直木賞を受賞された直後の2024年3月のことだった。
〈河崎先生が女性ハンターを主人公にした次回作の取材のため、札幌在住のハンターを探しています。伊藤さんのお知り合いでどなたか、お心あたりはありませんか〉
知り合いの編集者がそう声をかけてきたのは、私がしばしば“羆撃ち”のハンターに取材した記事を書いているからだろう。そう言われて思い浮かんだのが「Sさん」だった。猟友会の会長も務めていたベテランだが、とにかく底抜けに明るい人で、こういう取材には最適だった。そして取材当日。札幌市郊外のファミレスで、河崎さんを前にしたSさんは開口一番、こう言った。
「いやぁ、アキちゃん! 『ともぐい』面白かった! けど、最後あれ、なして(どうして)ああなった?」
いきなりの「アキちゃん」にも驚いたが、「なして?」には焦った。『ともぐい』の主人公である猟師「熊爪」は巨羆との激闘の末、読者の予想を裏切る運命を辿る。その結末への疑問を無邪気に著者本人にぶつけたわけだ。だが河崎さんは、まったく動じることなく、その意図を説明した。何とか1時間半ほどの取材が終わり、店を出たところで、河崎さんは可笑しそうに一言「アキちゃん……」と呟いた。
あれから2年、あのとき取材していた“次回作”がこの『夜明けのハントレス』ということになる。
主人公の岸谷万智は札幌の大学に通う21歳の大学生である。理解のある両親のもと、裕福な家庭で育ち、美容部員から「整ったお顔立ち」と褒められるほどの美人で、身長170cmちょっとのアスリート体形。周囲の同性が「岸谷さんてさあ、すごいよねえ」と感嘆と嫌味の入り混じった声を漏らすたび、マチは「え、だからなに?」という本音を押し殺し、「そんなことないよ」とあいまいに笑ってやり過ごす。誰もがうらやむ存在であるはずのマチから、ひたすら伝わってくるのは、人間社会での“居心地の悪さ”だ。
そんなマチがたまたま手にとった狩猟の専門誌をきっかけに、狩猟の世界へと足を踏み入れていく。師匠となるのは、銃砲店で紹介されたベテランハンターの「新田」である。猟友会会長も務める新田に対して、マチは狩猟に惹かれた理由をこう語る。
「今までできなかったことができるようになりたい。それによって新たな場所に行きたい」。「欲張りだねえ」と苦笑する新田。その新田は後日、マチを連れての初出猟で仕留めたエゾシカを解体しながら、ふとこんな言葉を口にする。
「撃たれる側の動物にしてみりゃ、手前を殺した人間が男か女か、年寄りか若いか、賢いかバカかなんて関係ないよな」。そしてこう続ける。
「その分、撃つ側の存在が試されちまうんだよなあ」
この言葉で自身の衝動に確信を得たマチは狩猟免許を取得し、“相棒”となる中古のボルトアクションショットガン(散弾銃)を手に入れる。
新田の仲間たちと臨んだデビュー戦では、いきなりエゾシカを仕留めるが、マチに喜びはない。自分の手で生き物を殺した重みがそれを凌駕したからだ。
初めての単独猟では、偶然鉢合わせたクマを仕留めた。だが、そのクマが痩せていたことにショックを受けたマチは、「なんで撃たれちゃったの、お前」とクマの亡骸に呼びかける。そのクマの肉を持ち帰って口にしたときの場面はさらに印象的だ。
〈口の中に入れると、途端に強い獣臭が鼻にぬける。そして、噛むたびにその臭いは強くなっていく。(中略)これは、撃たれるべきではなかったけれど、私が撃ってしまったクマの味だ。この不味さを、私はちゃんと覚えておくんだ〉
吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』をはじめ、羆撃ちを扱った小説はいくつかあるが、本作がそれらと決定的に異なるのが、ここだ。『羆嵐』の銀四郎や『ともぐい』の熊爪であれば、クマを撃った後でこういう反応にはなるまい。彼らは小説の初めから“羆撃ち”として完成しているからだ。だが本作は、狩猟のことなど何も知らなかった人間が“羆撃ち”になっていく過程を丹念に描いていく。
過去の羆撃ち小説と異なる点がもうひとつ。本作で描かれるクマはどこにでもいる普通のクマだ。『羆嵐』や『ともぐい』におけるクマのように、特別大きいわけでも凶暴なわけでもない。そこに物語としての誇張は一切なく、その行動は野生動物としての合理性に貫かれている。怒りや恐怖という人間の感情でクマの行動を“翻訳”することはしない。例えば、ある場面でのクマの描写はこんな具合だ。
〈クマは一度上体を元に戻すと、体を反転させた。のし、のし、というゆっくりした動きが重量を感じさせる。痛みを忘れて怒り狂っているという雰囲気ではないことが、却って恐ろしい〉
そうなのだ。野生動物は人間とは全く異なる原理で動くからこそ怖いのだ。
クライマックスでマチは人を襲ったクマを追いかけることになる。そのクマが人を襲う原因を作ったのは「ゆるハンター」を名乗る動画配信者だ。彼らに対するマチの態度を、先輩ハンターである「勇吾」はこう評する。
「こいつには存在する価値がないって、『決めていた』。正直、傍で見ててぞっとした」
ここで読者は“親ガチャSSRの女子大生ハントレス”が、何か異形のものに変貌しつつあることを、ようやく察するのである。
物語のクライマックスにおけるマチの行動には、正直言うと最初は“ドン引き”した。Sさんではないが、「なして?」と言いたくなる瞬間もあった。手負いのクマの危険性は、取材で何度となく聞いていたからだ。マチ自身も〈かつての自分からは考えられないほど、無謀で野蛮なことをしている〉と自覚している。
だが同時にこうも思うのだ。
〈そう、自分は野蛮になった。野蛮さを得たのだ〉
そして野蛮になるほどに、彼女の視野は今、そこで見るべきものを拾っていく。派手に草が倒れている、シカが作った獣道。円形に踏みつけられたのはシカが寝床を作った“休息地”。そこには、無数のシカの糞――。
〈マチはその小さな休息地にしゃがみこんだ。雨で濡れているので分かり辛いが、鹿の糞の一部が踏み潰されたようにひしゃげている〉
クマの足跡はない。だが自分以外の人間がいないはずの場所で、それほど時間の経っていないシカの糞を踏みつぶしたものがいるとしたら――マチは決断する。
物語を読み終えた後も、マチの決断をどう受け止めるべきか、私にはわからない。わかっていることは、彼女はこれからも「なして?」を踏み越えていくだろうということだ。
私は、単独猟で120頭以上のヒグマを仕留めた“史上最強の羆撃ち”赤石正男のことを思い出した。以前、彼に「赤石さんにとって羆を撃つことにどういう意味があるんですか」と聞いたことがある。彼はちょっと困った顔をしてからこう言った。
「いやぁ、『(クマが)いるから撃つ』だなぁ」
この言葉を聞いた当時は、ちょっと物足りなさを覚えた。だが今なら、少しわかる気がする。“野蛮さ”とは、山の中でクマと向き合う資格のことだ。同じ獣として。
赤石が120頭のクマを獲れた理由と、マチの前にクマが引き寄せられるように現れる理由はおそらく同じなのだろう。
理屈を超えた“野蛮さ”は、出会ってしまうのだ。
伊藤秀倫(いとう・ひでのり)
1975年生まれ。東京大学文学部卒。1998年文藝春秋入社。「Sports Graphic Number」「文藝春秋」「週刊文春」編集部などを経て、2019年フリーに。さらに勢いあまって札幌に移住。著書に『ペットロス いつか来る「その日」のために』(文春新書)がある。









