小池 真理子『日暮れのあと』(文春文庫)

 なだらかな山の美しい稜線が目に飛び込んでくる軽井沢。この自然豊かな地に居を構えるのは、作家の小池真理子さん。静かな環境で暮らしていると、感覚的に研ぎ澄まされてくるという。この度、単行本発売から3年の時を経て文庫化された話題の小説集『日暮れのあと』について、軽井沢の自宅で話を伺いました。

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――本書には7作品の短編小説が収録されています。本当に、どの一篇を読んでも、必ずドキリとさせられる。全編通して、死の気配や孤独が匂い立ってくるようですし、誰しもが抱える秘密、それも人には決して言えないような繊細な心の内を丁寧な筆致で見事に表現されている。読者は、小池さんの文章にぐいぐい引きずりこまれると思います。まさに短編の名手である小池さんが、2015年から2022年にかけての7年間に雑誌に書いた小説を集めた本ですが、この7年間はどんな時期でしたか。

小池 2015年というと、夫(作家の藤田宜永さん)の病気が発覚する3年前のことになります。作家同士だったので、成り行き上、文学賞を争うようなことも多々ありまして。1996年に私が『恋』という作品で直木賞を受賞した後、彼も私の後を追うようなかたちで、5年後に受賞。そして吉川英治文学賞を私が『沈黙のひと』で受賞した後に、彼もまた、『大雪物語』で受賞を果たしました。それが2017年のことでした。

 病気が発覚したのが、翌2018年の春。この短編集の中の「白い月」は、2015年に執筆したもので、唯一、「嵐の前の静けさ、穏やかさ」の中で書かれた作品、ということになりますね。夫はまだふつうに元気でいましたし。まさか、病に倒れるとは私も彼も想像もしていなかったし。「喪中の客」「アネモネ」「夜の庭」の3篇は彼の闘病中、それ以外はすべて、死別後に書いた作品、ということになります。

小池邸をぐるりと囲む、頭上高くそびえたつ軽井沢の木々。撮影:文春文庫部

「アネモネ」と「夜の庭」は、ふと手にとった吉田修一さんの『犯罪小説集』(2016年)を面白いなと思ったのがきっかけで、私は彼とはまた全然違うアプローチで、大きな意味での犯罪を物語の中心にすえて書こうと思った2篇です。いわば「犯罪」がテーマですね。

 藤田が息をひきとったのが2020年の1月末。その後、1年以上たってから、当時の「オール讀物」の編集長がおそるおそる、「そろそろいいですか?」と私に短編の依頼をしてきて。それで書いたのが「ミソサザイ」。そのあと、「微笑み」「日暮れのあと」と続くんだけれども、「微笑み」を執筆していた頃は、ちょうど世界中がコロナ禍の真っただ中でした。

 恐ろしいスペイン風邪が流行し、大勢の人が死んでいった100年前も、作家たちがそれぞれの作品の中で、そのころを生きる人々の姿を大なり小なり、書き残しています。だから、というわけでもないんですが、何か私も新型コロナをめぐる不安な時代について、小説に書いておきたいと考えて生まれたのが「微笑み」。そして最後の一篇が、まさしくタイトル通りの心象風景、「日暮れのあと」。そういう流れでしたので、私にとってこの7年は怒濤の日々でした。

写真:Man/イメージマート

小池 『日暮れのあと』が単行本で刊行された2023年より前に、『神よ憐れみたまえ』という、10年越しで書いてきた書き下ろしの大長編小説をやっと完成させました。『神よ憐れみたまえ』もまた、怒濤の日々の中で書いた部分が多く、これもまたすごく思い出深い作品。この『日暮れのあと』は、一冊の短編集にまとまることすら想像つかなかったくらいの時期を中心に書いたことになるわけですが、時が流れて、こうやって一冊に結実させてみると、『神よ憐れみたまえ』に続く、私の人生の一部の7年間がここに凝縮されている本になったな、と改めて思います。

――お書きになった小説は、著者である小池さんの人生をそのまま凝縮して投影した部分もあるという意味ですね?

小池 そういうことになりますね。書店さんへのポップにもこう書きました。

「七つの物語、七人の主人公、

 それぞれに作者の分身が隠れているようです。 

 小池真理子」

POP写真:文春文庫部

「隠れている」じゃなくて「隠れているようです(・・・・)」っていうのがミソでして(笑)。

 通して読み返してみると、あ、やっぱり自分自身が深く投影されているなって分かるんです。本になる前の校正刷りのゲラでもそう感じてました。別に意図していなかったのですが、不思議なものです。

――単行本が刊行されてから3年の月日が流れたわけですが、今と3年前ではこの本についての感じ方に違いがありましたか?

小池 自分で言うのもおこがましいんですけれども、私自身が成熟したからなのでしょうか、自分の作品を客観的に読み返す、その読み方がさらに成熟したなっていう感じがしています……ふふふ(笑)。

――(笑)たとえば、どういうところでしょうか?

小池 あのね、短編が7本も集まると、どうもこの1本は失敗作だなって、自分としてはあんまり好きじゃないなというのが1本か2本は必ずあるはずなんですね。ところが、この本にはそれが本当に1本もない。

――一篇一篇の物語がそれぞれに個性的で際立っていて、本当に面白いですものね。そして全編通して言えるのが、死の匂い、はかないものに対する不条理な想いが横溢している感じがします。

小池 それこそが、成熟していく人間の人生の過程にある、一部分なんだろうと思います。それを7篇に共通させることに成功したみたいですね。普通、短編小説集というのは、言い方は適切ではないかもしれないけど、いろいろな媒体で書いた作品を集めただけの、いわば「寄せ集め」みたいなものになりがち。共通したテーマがあって、それが太い芯のようになって全編を貫いている、という短編集はめったにない。それでいいんだと思います。一人の作家が別々の時期に書いた作品を集めたものである以上、すべてに共通する何かがなくて当然ですから。でも『日暮れのあと』は少し違う感じがする短編集になりました。最初から意図的に作り上げたひとつのテーマに沿って書いたものではないのに、つまり、偶然、その時期に書いたに過ぎないのに、一冊にまとめてみると、全部がつながっている。すごく抽象的な大きな宇宙感覚の中にうまくはまりこんでくれている。奇跡みたいだったな、と実はひそかに自画自賛しています。

 そして、作家として進歩したのか、ただ退行しただけなのかはわかりませんが、自分自身の表現の仕方が昔に比べて、凄味、というのかな。そういうものを計算抜きで、単純に表現できるようになった感じがします。私はあまり、凄味のある文章、作品を書けない作家だと自分で思っていたのだけど、やっとここにきて、その味を少し引き出せるようになったかな、と。

 

――この7篇はすべて素晴らしいのでそれぞれ甲乙つけがたいのですが、読者に特に読んでほしい一篇はありますか?

小池 「オール讀物」2023年7月号で桐野夏生さんと対談したとき、桐野さんは「夜の庭」が一番好きだと。今回、文庫の解説を書いてくださった小川洋子さんも私に〈「夜の庭」が好き〉、と伝えてくれまして。そして、実は、作者である私が好きな一篇も「夜の庭」なんです(笑)。

――「夜の庭」、大人気ですね!

小池 でも、読者には「白い月」と表題作「日暮れのあと」が、ダントツ人気のようですね。「夜の庭」と挙げている人がいない。そんな傾向が面白いですね。やっぱり実作者ならではの、いわゆる「通」じゃないと分からないような部分が書けていたのかもしれないな、っていうのは自画自賛ですけれど。「夜の庭」は、こっそりでいいので、熟読していただきたいです。

(2回目に続く)