2020年に亡くなった夫で作家の藤田宜永さんと過ごした日々や、喪失の痛みをつづったエッセイ『月夜の森の梟』で大きな反響を呼んだ小池真理子さん。小説では恋愛もの、ミステリー・サスペンスふうの作品、あるいは幻想怪奇小説など幅広い作風で読者を魅了するが、“短編の名手”としても知られる。その実力をいかんなく発揮した最新刊『日暮れのあと』について、本人が語る。
『日暮れのあと』に収録された短編は7作。2015年から2022年まで、足掛け8年にわたって紡いできた。
「そんなに時間が経ったんだ、という感慨があります。ちょうど藤田の闘病生活を支えている時期と、亡くなった後に書いたものが6作あって、そのせいか、死の匂いもふくめた、儚いものに対する不条理な想いが横溢しているように感じます。
書いているときは死そのものを書こうとは思っていなくて、従来どおりのわたしの短編としか意識していなかったのだけど、作品とは面白いもので、その時々の作者の心模様みたいなものが、隠しても隠しても行間から滲み出てしまうんですね。読み返してみて、ああ、このとき自分はああだった、こんなことを感じていた、などということが思い出されました。人生のある一時期を作品として書き留めた、記録みたいなところもある短編集になりました」
収録作のなかでは、「夜の庭」が自信作だという。骨董商を営む還暦前の男性が自宅で急死した。遺体を発見したのは、28歳になる通いの家政婦。彼女はなぜひとり暮らしの男のもとで働くようになったのか、そして男はどうして亡くなったのか――。
「短編は技術的なことを要求されるけれど、そういうのを一切抜きに、計算もなく、テーマや大きな企みもなく、書きたい情景を書いて、それが成功したのではないかと思っています。官能的、性的なシーンが多いけれど、それが小さな犯罪につながっていく。もともと犯罪小説のようなものを短編として書いていきたい、と思っていた時期なんですが、彼女のその“行為”はけして警察沙汰にはならないし、法的に責任を問われるようなことではない。でも、ひとりの女性が、人生の一場面で、ある重大な選択をしたというお話になりました。
書き出した時に頭の中にあったのは、最後の強烈なシーンだけでした。そのシーンを書きたくて、そこに至る物語を紡いだという感じです。男性が、誰も想像しないまさかという形で終焉を迎える、そこに若い女性の半生が大きくかかわってくる――具体的なことはここではお話しできないので(笑)、ぜひお読みいただきたいです」
表題作「日暮れのあと」では、20代の青年が64歳の現役風俗嬢への純粋な恋情を、70代の女性主人公相手に語る。青年のその率直な心情の吐露は、読み手の胸を熱くする。
「未婚のまま娘を産んで70代になった主人公は、やきもちを焼いています。ただそのやきもちは、悔しいとか、自分はどんどん年老いていくのにこんな恋愛話を聞かされて、というネガティブな感情ではありません。青年の話に、彼女自身、心動かされる。それを書いてみたかったんです。
この先は、老いというテーマで、なんとかわたしらしい作品が書けないかと考えています。老いそのものをテーマとして、自らの老いと向き合いながら書いている女性作家は意外と少ないんじゃないでしょうか。それはなぜなんだろうと考えると、自分も含めて、老いと正面切って向き合い、作品化していくことに抵抗感があるのではないか、と思う。やはり、自分の老いさらばえていく姿や内面をさらしながら、小説化していくことは、ある意味、恐ろしい作業でもあります。羞恥心や嫌悪感が少しでもあると、表現する上で自らブレーキをかけることになりかねない。嘘や気取りで塗りかためてしまうかもしれない。そうなったら、老いの本質からは遠ざかってしまう。
でも、老いに向かっている途上の不安感というものは年代関係なくみんな持っているものだと思います。それをまさに老いの道に入ったわたしのような人間が、どのように見つめて、どのように考え、物語化していくのか。老いそのものよりも、私はそうした不安感、それ自体に興味があります。うまくいくかどうか分からないけど、挑戦してみたいですね」
直木賞受賞作の『恋』をはじめとして、長編作品で多くの文学賞を受賞してきた。だが小説の単行本デビューは短編集で、初めての文学賞受賞となった日本推理作家協会賞は短編部門での受賞だった。
「長編も短編も、両方好きです。ただ、長編はどうしても構想を練って、書きあげるまで数年単位になってしまうから、短期間で書き上げることができる短編のほうがすぐにカタルシスを得られますね。出来上がった時の満足感、カタルシスの味わい方は長編と短編ではまったく違います。長編で書くべきものを、縮めるようにして短編にしてしまうようなことはないですね。
幸いにして、わたしは小説家としてはミステリーから出発したのが、短編の勉強になりました。短編ミステリーの構造は、定型とまでは言わないけれど、基本はオチがないと面白くない。短編小説をミステリー的に成功させるために、いやというほど勉強したんです。当時は翻訳作品を手本にすることが多かったけれど、あれがすごくいい糧になっていますね。
ミステリー以外の短編も、オチがつかないだけで同じです。わたしは作者の心の風景を抽象的に描いていくだけの短編があまり好きではなくて、やっぱり物語がきちんとあって、読者がそれを追いかけて行き、ああこの作品はよかったな、と長く心に残されるようなものを書きたいと思っています」
小説家デビューから38年、数多の作品を生み出してきた。物語の「タネ」は尽きないのだろうか。
「じつは創作ノートがあるんです。思いついたことを全部、書き留めていて。日本推理作家協会賞をいただいた1980年代後半くらいから始めて、もう何冊にもなりますね。短編用、長編用と分けているわけではなく、外を歩いていて見かけたシーンとか、わたし自身の心の中をふっと通り過ぎていった想いとか、なんてことないもの、本当に些細なことをメモしています。映画を見ていて登場人物がしゃべった台詞とか、情景とか、人の本を読んでいて気に入ったフレーズとか……なんでもあり。最近では、自分が見た夢の話をよく書いています。枕もとにメモ帳を置いてあって、夢を見てパッと起きて、忘れないうちにその場でメモしてまた寝る、なんてこともあります。
その創作ノートは、長編、短編にかかわらず、うまく書けなくて詰まったときにパラパラめくっています。あ、このネタはいま書けるな、というのを見つけて、そこから物語を膨らませることが多いかな。とはいっても、使えるのはせいぜい1割か、よくて2割」
作家の創作ノート。ぜひ、拝見したいものだが……。
「あんな恥ずかしいものないですよ! 絶対見せない。あれは死ぬ前に処分しなくちゃ(笑)」
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