女子高校生4人組バンド・さなぎいぬの成長と10年後の現在を、さなぎいぬの“元メンバー”瑞葉の視点で描く金子玲介さんの話題作『私たちはたしかに光ってたんだ』(略称は『わたひか』)。本作が描き出す青春の輝きと痛みに共感、感動が広がっています。
応援書店限定で配布していた書き下ろしスピンオフ「信号」を「本の話」でもお届けします。主人公はさなぎいぬが10代限定のコンテスト・群青モーメントで出会ったスリーピースバンド・シグナルズのボーカル・七海。さなぎいぬの紅白初出場の夜のお話……。(本作は本編を読む前でもお楽しみいただけます)
信号
最初から眩しかった。それに遠かった。あたしらが勝って、あの子らが負けた、八年前のあの日から。
「これがあるべき形やろ」
だからそう言った。歩道橋に設置された信号が青から黄色に変わる。ブレーキを踏む。助手席を向く。何かを考えている顔であたしを見返した良太の眼鏡に、前のワゴン車の赤いテールランプが反射している。
「あの子らはずっと眩しいし遠いねん。べつに今さら遠くへ行ってしまったわけやないねん。今さら眩しいわけちゃうねん。遅すぎんねん。紅白呼ばれんのも。世間に見つかんのも。アホしかおらんわ、この世界ほんまに。八年遅いねん」
「八年て」良太の唇が緩み「高校生」
「せやで。そんときからや。お前は曲も詞も書かんから分からんやろうけど、高3の群青モーメントのときから三浦朝顔は完全に天才で、さなぎいぬはえげつないバンドやった。なんであれ、うちら勝ってん。誤審やろあんなもん。もう根本的にちゃうねん、才能の光り方が。絶対シグナルズやなくてさなぎいぬがグランプリやったわ」
信号が青に変わり、ワゴン車が前へ進む。ブレーキから足を離し、アクセルへ踏み替える。
「卑下しすぎでは?」良太が暖房に負けそうな低い声で「七海さんの才能も充分、光ってると思うけど」
「テキトー言うなや。そら卑下もするわ。なんで同じ顔やのに七果が結婚出来て子どもも出来てあたしには彼氏の一人もおらんねん。おかしいやろ」
「それ別の話」
「なぁおかしいやろ。なんで大晦日にこんな遠出してわけわからん配信参加せなあかんねん。うちらタレントちゃうやん。ミュージシャンやん。七果の産休中はあたしと良太も休みでええやろ。なんやねんまじで。あいつらほんまに人気YouTuberなんか? うちらのファンか知らんけど。ノリがずっとしんどかったわ。なんやねんあいつら。あんなん出てほんまに宣伝効果あるんか? あれ観てうちらの曲聴こう思うやつおるんか? あークソ。久しぶりにだらだら大晦日過ごせるはずやったのに」
「まぁまぁ」
良太があってもなくてもいいような合いの手を入れてくる。無視して運転に集中する。車線変更しようとしたらなぜかスピード上げてきた右車線のプリウスに苛つく。なんやねんまじで。大晦日くらい家におれや。蕎麦食って紅白でも観とけや。
「どうせ仕事入るなら、」蚊よりはちょい大きめの虫が鳴くような声で良太が言う。「ベースのサポート入れて、フェス出とけばよかったかな」
「だから何べん言わせんねん。うちらの音楽なんてビジュが九割やねんから七果おらんとライブする意味ないねん。双子の天パ眼鏡女がクソ速いクソやかましい曲鳴らすからおもろいんやろ。七果がベース弾かんと興行として成立せん」
「僕がいる意味」
「良太はおらんでもよさそうなのがええねん。あたしと七果だけやと味が濃すぎるから、ドラムはおってもおらんくても変わらん良太が叩くのがちょうどええねん。高校んときからずっとそう言ってるやろ」
「悪口では?」
「絶賛や」
川沿いの住宅街を走る。カーナビが現在地周辺のおすすめレストランを案内してくるがすぐ消す。前はバンドメンバー三人で暮らしてたけど、今はあたしと良太だけが住んでる郊外の家まで、あと二十三分。
「ちなみに何時ごろやっけ? さなぎいぬの出番」
返事がない。左を一瞬だけ見る。良太がスマホを凝視している。
「《紅白 タイムテーブル》とかで検索すればすぐ出てくるやろ何モタモタしとんねん。それかAIに訊けや」
「やってる。今」
青信号を二つ通過し、やっと答えが返ってくる。
「二十時十五分ごろ」
「間に合わんやん」
「うん。間に合わない」
カーナビの時計は八時二分を示している。とりあえず追い越し車線に入り、二台抜かす。けど多少飛ばしたところであと十三分では着けない。
「どこか停めて、さなぎいぬだけ観る?」
「いやいやそこまでせんでええ」首を振る。「ただの腐れ縁バンドやし」
「いちばん仲良いバンドなのに」
「仲はええけど、べつに停めてまで観んでええわ。『ボトルシップ』とかもう何十回聴いとんねんって話やし。こっちはもう八年も間近であの子らの音楽浴びとんねん。わざわざ停めてまで観るもんちゃうわ」
「とか言いながらスピード上げてる。危ないよ」
「こんくらいや、いつも」
赤信号で止まる。大晦日の道路は思ったよりも空いてる。とはいえさすがに間に合わんか。もう切符切られたないし。
「てか仮にどっか停めたとて観れんのかスマホで紅白」
良太が調べる。スマホをいじるときの癖で、また猫背がひどくなってる。
「課金しないとだめかも」
「ほな観んでええわ」
「いや。ラジオなら聴けるかも。無料で」
信号が青に変わる。発進する。斜め前のトラックが花柄だ。花屋やろか。
良太があたしのスマホからケーブルを抜き、自分のスマホに挿し替えている。
「何しとんねん。ずっとがちゃがちゃ。充電ないんか?」「充電はある。ラジオを流したい」「ほな別にあたしの抜かんでええわ」「あれ? 流れない」「ちゃうねん。Bluetoothで繫いどんねんからケーブルは関係ないねん。てかべつに聴かんでええわラジオ」「どうやってこっちのスマホに繫ぐの」「あたしのスマホとの接続を先に解除せなあかんわ」「ひらかない」仕方ないのでパスコードを教える。「ひらいた」「てか別に聴かんでええねんラジオも」「聴きたいくせに」「聴きたないねんべつにわざわざ。たまたま流れてくるんならまだしも」「どうやって解除」「設定からBluetoothいってオフにせぇや。ほんで自分のスマホはBluetoothオンにしてCARなんちゃらと接続や。前にこの車乗ったとき繫いどったしデバイス登録済やろ。前やったのになんで分からんねん。てかリアタイでラジオ流すだけやったらべつにスマホ介さずこっちの画面で操作して聴けるけどもうそっちのスマホ操作して繫ぎ始めてるっぽいしそれでええわ」「聴きたいよね」「聴きたないねんべつに」
もはやレギュラー番組ちゃうかってくらい毎年毎年出とる演歌歌手の曲が流れてくる。またこの曲や。新曲歌いたないんかな。あたしやったら新曲歌わせろ言うてNHKかち込むけどな。昔の曲いつまでも歌っとって飽きひんかな。新曲作って歌ってなんぼやけどな。
「あ。さなぎいぬ。七海さん。さなぎいぬ」
「分かるわ言わんでも。耳で聴いとんねんからお前もあたしも」
司会の女優が〈動画・ストリーミング再生累計1億回超え〉とさなぎいぬの『ボトルシップ』を紹介する。そらそうや。むしろ少ないねん。八十億回くらい再生されなあかん曲やろ。全人類聴くべきや。
〈それでは、さなぎいぬの皆さんで、『ボトルシップ』〉
「始まる。七海さん」
「だから分かんねん言わんでも口閉じて聴いとけや」
光を撒くみたいな、朝顔のカッティングリフ。タイトで心地いい、緋由のドラム。艶やかに流れる、夢乃のベース。瑞葉やったらどうやったかな、って、いまだにちょっと思ってまう。いつかシグナルズと一緒に紅白出たいとか、言うてくれてたな、あの子は。会計士やっけ今は。元気してるんやろか。
――諦めた夢が降り積もる
寝つけない午前三時
太陽ちゃうねんからって感じの、葵の歌声。
――あのときああしていればなんて
寄せては返す波みたいに
「良い曲だなぁ。本当に」
「分かっとんねん。いちばん分かっとんねんあたしが。黙って聴けや」
あたしは小学生から曲を作ってた。
――明日はなんでもない日だけど
花を何本か買って帰ろう
クソど田舎に生まれて、周りにアホしかおらんくて、どこにも行けんくて、あたしと唯一遊んでくれたのが音楽やった。
――生きてるだけでえらいから
私は私をお祝いするんだ
中学で吹奏楽やめた七果も交ざってきて、なんで双子で音楽やらなあかんねんって最初は嫌やったけど渋々受け入れて、高校で良太も加わって、シグナルズを組んだ。
――作りかけの舟で漕ぎだして
バンド名は中学のときから決めてた。
――完成なんてしなくていいよ
授業中ヒマやから大抵電子辞書いじってて、教科書にたまたま出てきた『信号』引いたらびびっときた。
――瓶のまま夜に浮かんで
『色・音・光・形などの符号を用いて、隔たった二地点間で意思を通じさせる方法。』って。バンドやん。バンドそのものやん。音楽そのものやん。ライブそのものやん。隔たった誰かと通じ合うために、クソど田舎から外へ繫がるために、あたしは音楽の信号を送り続けなあかんやん、って。
――朝はもっと遠くに行こうよ
だから七果と良太にはシグナルズ以外のバンド名は考えられんって伝えた。
――聴きたい曲を聴いて
見た目が派手なほうが届きそうやから、あたしが赤眼鏡で、七果が青眼鏡で、良太が黄眼鏡で、ってすぐ決めた。七果も良太も反対せんかった。
――食べたいものを食べてよ
そもそもはあたしと音楽の、たったふたりで始めた遊びやった。だから、七果も良太も、あたしの遊びに付き合ってくれてる、って感覚が今もずっとある。あたしと音楽でそもそも遊んでたとこに、七果と良太が交ざって、四人で遊んでる感覚。
――愛も弱音も 星空に変えて
未来へ運ぶね
あいつは高校で作曲始めたとか言ってた。
あーあ。って。群青モーメントで、さなぎいぬの曲聴いたとき思った。
結局こういうことやねんな、って。やっぱ本物の天才には勝たれへんねんな、って。
あたしやって天才やったのにな。
ガキの頃からいろいろ模索して、洒落た路線は諦めて結局メロコアやっとるけど、あいつに会うまでは、あたし、それでも天才や思っとったのにな。
ずっと御守りにしてる言葉がある。
誰にも言ってへんけど。
あいつに言われた言葉。
あの日、さなぎいぬの演奏褒めちぎった後、相部屋の楽屋で。『才能、いろいろな種類があるんで』って。『シグナルズさんの音楽、アタシは好きです』って。言われたんや。あのとき。あの天才に。
あいつはきっと覚えてへんような、なんでもない言葉やけど。
ずっと握りしめとんねん。あの言葉を。才能、いろんな種類があるんやな、って。あいつにへし折られた自信を、あいつの言葉が修復したってのも、変な話やけど。
遠くの信号が黄色に変わる。さすがに間に合わんか。慌ててブレーキを踏む。
――行きたい場所へ行って
最後のサビがもうすぐ終わる。葵が祈るように歌い上げる。
――歌いたい歌を歌ってよ
なんで二番削んねん。あそこがええんやろ。フルでやらせたれや。せっかく初出場やねんから。
――愛も弱音も 退屈も痛みも
あなたも私も 全部
信号の赤が滲む。見づらいわ。事故るやろこんなん。
――星空に変えて 未来へ運ぶね
眩しいねん。遠いねん。ずっと。なぁ朝顔。夢やったんやろ? 紅白。良かったやん。さすがやわ。そらそうなるわな。最初から分かっとったわ。ずっとぴかぴか光っとってたまらんわ。でもな。朝顔。あたしもな、才能があんねん。色物とか飛び道具とかコミックバンドとかクソ馬鹿にされるけど、そんなんべつに知らんねん、って。これはあたしの才能やねん、って。天才やないけど、あたしの才能やねん、って。そういう種類やねん、って。そんなん言ってくる奴らより、絶対あたしのほうが音楽と仲良い自信あるわ、って。あたしは真面目に、全力で、命がけで、遊んどんねん、って。音楽はあたしの、いちばん古い親友やから。親友と遊ぶんなら、常にそうせんと失礼やろ、って。そう思ってん。あんたに勝ってから。そうやって走り続けんと、あんたにも失礼やろって。思い続けてん。ずっと。あれから。あたしだけかも知らんけど。
「青。見て。前」
良太に肩を叩かれる。
「見とんねん。分かっとんねん」
信号の光が、粒々の青い光が、絵の具をぶちまけたみたいに混ざり、夜に浮かぶ。
「来年は出よか。うちらも」
「え」
「こんなもんやないねん。あたしは。あたしらは」
眼鏡を外し、目から出た液体を手の甲で拭う。後続車が短いクラクションを遠慮がちに鳴らしてくる。鳴らすならもっと爆音で鳴らせや。
「あたしにはあたしの、才能があんねん」
アクセルを踏み込んだ。
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