『暗殺の冬』(クリストフェル・カールソン)

 ゆっくりたっぷり時間をかけて読み終えた。おそらく小説好きならそうなるのではないか。最初に結論をいうなら、本書『暗殺の冬』は、しみじみと読ませる傑作である。

 スティーグ・ラーソンの「ミレニアム三部作」(『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』『ミレニアム2 火と戯れる女』『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』)の大成功以来、世界中が北欧ミステリに注目するようになり、海外ミステリは北欧ミステリが牽引するような形で、次々に北欧ミステリの重要な作家たちが翻訳されてきた。怒濤のような翻訳紹介が数年続き、ここ二、三年はやや紹介のペースが落ちてきたので、もう底を打ったのかと思っていたが、いやいや、まだまだ驚くほど凄い作家がいたのである。それが本書のクリストフェル・カールソンだ。

 一読されればわかるが、カールソンは将来の巨匠クラスの文体とプロットとキャラクターをもつ。一行一行、文章を味わう喜びがある。主人公の行動と思索に思いを重ね、自分の人生を振り返らせる深々とした人生観照がある。文学性のみならずミステリとしても面白く、読み始めたらやめられなくなる。事件の進展に興奮しながらも、決して速読を許さない。細部が濃密で読み応えがあり、注意深くゆっくりと読むことになるからだ。

 たとえば(本の紹介もせずにいきなり場面を語ることを許してほしいのだが)、準主役の警察官のヴィダルが六歳の時に父親スヴェンとともに湖に行ったときの記憶が語られる(33章)。ヴィダルのなかで、ある種の“変化”が起きたとき、彼は六歳のときに父親とトフタ湖に行った記憶を蘇らせるのである。湖の中に沈み込んだ父親が潜ったまま浮かび上がらなくて恐怖にかられた体験ではあるけれど、同時に、自分には父親についてまだ知らないことがあるのかもしれないと思い、「ほかの誰よりよく知る人物、誰よりも愛している人にも、秘密があるのだ」と考えるに至るのである。日本のミステリ作家なら、ストレートに隠していた事実を明らかにして父親にも秘密があると簡単に説明するだけだが、海外の優れた作家はそんなことはしない。いかに具体的な挿話を駆使するか。そこに腐心するのである。記憶もまたその人物を光らせる物語であり、その人物の固有を形作るものであることを知っているから、カールソンは綿密に湖の場面を書き込み、幼い少年の恐怖を味わわせ、人間の誰もがもつ秘密の重さを具体的に感じさせるのである。秘密の具体的な内容よりも(でももちろんスヴェンの秘密はあとで語られ驚くことになる)、その人の人生をはかる秘密の重さに焦点をあてる。つまり普遍性をもち、読者ひとりひとりが、これは自分の物語であると引きつけて読むことになる。

 

 では、本書『暗殺の冬』について語ろう。物語の舞台は、スウェーデンの南西に位置するハッランド県である。小説家の「私」は離婚を経験し、キャリアも停滞して、四十を過ぎてから故郷に帰ってきた。ときどき話をするのは、自宅近くの森の奥に住む元警察官のエヴィ・カーレン。それほど詳しい話もしなかったのだが、彼女が脳卒中で倒れ、ようやく話せるようになったときに口にしたのは、元同僚だった警察官スヴェン・ヨルゲンソンのことだった(そう、右で紹介したスヴェンだ)。

 子どものころ、「私」はスヴェンをみかけていたし、息子のヴィダルのことも知っていた。エヴィが倒れる前も、市内のバーで偶然、ヴィダルと会ったことがあった。警察官をやめて十五年になり、いまは飛行場で働いているというのだが、この二週間後、「三十三年を経てティアルプの怪物の正体判明」という驚きのニュースがかけめぐる。それは三十年以上前に地元で起きた三件の殺人事件と一件の殺人未遂事件が解決したという新聞記事で、事件はヴィダルがパズルのピースを組み合わせて真相をあぶり出したというものだった。

「私」は、エヴィ・カーレンに会いにいき、当時のことを詳しく聞いて、小説に仕立てようとする――。

 こうして小説は、事件の起きた一九八六年にとび、警察官スヴェンの視点から、ティアルプの怪物事件のことが語られていく。それは二月二十八日、スウェーデンのオロフ・パルメ首相が暗殺された日だった。ストックホルムでの事件の一時間半後に、警察に男からの電話が入ったのだ。「車の中で女をレイプした。〈ティアルプ農場〉の近くだ。またやるよ。じゃあな」

 スヴェンが現場にかけつけると、女性が車の中で無惨にもレイプされていた。ほんのかすかに脈はあったものの殴打がひどく、病院に駆け込んでも助からなかった。スヴェンはレイプ魔の逮捕に全力をあげるが、二ヶ月後、男からまた警察に電話がかかってくる。「またやったよ。リンゲネスだ。女が見つかることはない」たしかに一人の女性が失踪しただけで、死体は見つけられなかった。後日、レイプ魔はスヴェンの自宅にも電話をかけてきて挑発するようになる――。

 

 一言でいうなら、三十年以上にわたりスウェーデンの小さな町で起きた連続殺人事件の謎をときあかすミステリといえるであろう。といっても一直線には進まない。小説家を主人公にして、彼が書き上げていく小説の中で、事件が再整理され、過去から現代まで語られていくからである。というと複雑にきこえるが、目次をみればわかるように、時系列で事件は語られ、最初は警察官のスヴェン・ヨルゲンソンが事件を追い、途中からは息子のヴィダルが父親の事件捜査を引き継いでいく。この父親と息子の捜査の要所に重要なパートがある。それが父親の元同僚である女性警察官が語る秘密の暴露だ。その挿話が新たな調査の事実と繋がって、真犯人へと導いていくことになる。

 

 まず驚くのは、作者が三十五歳の時に発表した作品であることだ。いったい若くしてどうしてこれほど強力な犯罪小説を書くことができるのか、どれほど人生を知っているのかと思ってしまうが、それはカールソンが傑出した若き犯罪学者であるからだ。あとで詳説するが、犯罪研究の論文で賞を受賞し、同時に創作も並行しているからこそ、学者臭さがなく、何よりも小説としての厚みがある。専門用語を使っての分析などまったくなく、むしろさまざまな人生の労苦を経てきた者が人生を凝視しているような透徹した観察が随所にあり、それだけで深く頷きながら読むことになる。

 

 もうひとつ忘れてならないのは、小説としての豊かさである。まず、この小説が独特なのは、過去のパートをのぞいて小説家の「私」を語り手にしている点だ。これが英米のミステリなら(いや北欧の一部のミステリでもそうだが)、警察官を主人公にして、時系列で一九八六年の警察官スヴェンから語っていくだろう。二つの事件を追い、スヴェンにかわって息子が事件を引き継いでいく過程を描いたほうがわかりやすいし、何よりも警察捜査小説としての骨格がしっかりと捉えられる。だが、作者はそうしなかった。刑事たちがいかに真相を解き明かしていくのかよりも、事件によって何が変わり、どう生き方が変化し、何を見出したかのほうが大事なのである。それは刑事たちばかりではなく、被害者もまたそうで、犠牲になり、犯罪の本質にさらされる。

 さらに大事なのは、小説の豊かさとも大いに関係するが、物語の舞台である。故郷に戻ってきた「私」は、自分の家族の歴史、住んでいる土地の環境や天候、街の移ろいなどを丁寧に捉えていく。事件と同じ比重で、スウェーデン南西部のハッランドという風土が詳しく語られる。日本文学において捉えられる風景は人物の心情そのものの比喩となるが、本書でも同様に隠された心情の表現であり、ときに予兆にもなる。その土地で不吉な鳥といわれているハクセキレイを見たとき、人物たちはみなそれに囚われ、実際に不幸が現前する。殺人や誘拐事件の謎解きと同じくらいに、犯罪の探求が押し進められ、人々の心の奥底に眠る捩じれた欲望や執着、罪悪観などが深く掘り下げられていくのである。そう、この犯罪というテーマへのアプローチも豊かさを生み出しているひとつだ。

 というのも、「犯罪小説をこれほど強力にしている理由の一つは、実際には犯罪に関するものではない」とカールソンがあるインタヴューで語っているからだ。「優れた犯罪小説は、人間の心の問題、嫉妬、憎しみ、友情、忠誠心、裏切り、欲望、依存、喪失、そして愛といった、さまざまな要素を扱っている」というのである。つまりミステリというジャンルをこえたものを獲得すべきということである。実際にカールソンは「犯罪学者の好きな犯罪小説四冊」というコラムで、ドストエフスキー『罪と罰』、ロベルト・ボラーニョ『2666』、デニス・ルヘイン『ミスティック・リバー』、シャスティン・エークマン『白い沈黙』の四冊をあげている。だから当然、「私が目指しているのは、ある出来事の深淵を探ること、登場人物がどれだけ物語に深く浸透できているのか、そしてその世界にどれほど深く根付いているか」ということになる。これを読めば、さきほど言及したように挿話を通して人物を肉付けする意味もわかるだろう。

 

 いっぽうで、「小説とは時代や人々を理解し、犯罪が年月とともにどのように波及し、変化していくかを理解する方法である」とも述べている。北欧ミステリでは、政治の暗闇や社会背景などが犯罪者の動機や心理を通して強く訴えられるケースが多いが、本書は、それとも一線を画す。スウェーデンにおける政治的かつ社会的動向(とりわけ地方における農業の衰退)が語られもするが、ほかの北欧の作家ほど問題意識を尖鋭にはしない。むしろ象徴的に語ろうとしている。冒頭で紹介したスヴェンの秘密に関わる挿話の前に、スヴェンと元同僚の女性刑事エヴィの話が置かれているが、それも極めて印象的だ。

「彼は夜、海岸へ行くことがあった。海が好きだった。ハッランド県の鬱蒼とした森の中で育ち、その森に深く根ざしていたからかもしれない。広大な海の風景には彼に語りかけてくるものがあった。あるいは、それは境界に立つという感覚だったのか? 靴を脱いで波打ち際まで歩けば、自分の国、スウェーデンという名の王国が始まる地点に素足を置くことができた。/何度か、エヴィといっしょに行ったこともあった。多くの言葉を交わすわけではなかったが、彼女はそこで彼の隣に腰を下ろし、短い時間、スヴェンは肩の重荷が驚くほど軽くなった気がした」(32章)とあり、同僚の女性刑事との精神的な恋愛の美しい場面であるのだが、読み続けていけば、もうひとつ深い意味合いがあることがわかる。すなわちパルム首相暗殺事件から衰退が顕著になるスウェーデンという王国への郷愁であり、スウェーデン国民にとってパルム首相が精神的支柱であったこと、同時に(92章で語られるように)「私たちが感じていたことの多くが挑戦を受け、試され、病的興奮と恐慌が突発した中で混沌の破片が剥がれ、(中略)スヴェンとヴィダルのヨルゲンソン親子にまで飛んできた。スヴェンは秩序を回復して答えを明らかにするため、自分がしなければならないことをした」のである。つまり、パルム首相暗殺事件後のスウェーデンの象徴的存在としてスヴェンを作り上げているのである。政党政治の変遷などあからさまに語ることはせずに政治を語っている。作者は若き犯罪学者であるが、むしろ優れた作家としてはるかに文学としての充実をはかっているといっていいし、それは見事に成功をおさめている。

 

 深い文学性をたたえた純文学やミステリは長年ミステリ・ベストテンをにぎわせてきた。たとえば(順不同であげるなら)スコット・トゥローの『推定無罪』、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、ボストン・テランの『神は銃弾』、デニス・ルヘインの『ミスティック・リバー』、サラ・ウォーターズの『荊の城』、ジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』(この作品はもっと評価されていい)、ローリー・リン・ドラモンドの『あなたに不利な証拠として』、フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』、ディーリア・オーエンズの『ザリガニの鳴くところ』、以上の作品が好きなら、ぜひ本書を読むといいだろう。かならずや心にしみいるはずである。一目惚れならぬ一読惚れになるはず。読み終わったあともしばし余韻にひたり、時間がたてばもう一度本を手にとり、拾い読みをして、また頭から再読したくなるだろう。

 

 最後に、作者クリストフェル・カールソンを紹介しよう。カールソンは一九八六年にスウェーデンの南西部のハルムスタッド(ハッランド県の県庁所在地)で生まれた。彼はストックホルム大学で犯罪学の博士号を取得し、スウェーデンを代表する犯罪専門家の一人だ。二〇一二年、「英国犯罪学ジャーナル」に掲載された「犯罪に至る変化の過程を理解するための『転換点』の利用 スウェーデン人の人生の軌跡と犯罪に関する研究」などの論文で、欧州犯罪学会若手犯罪学者賞を受賞している。

 一方、創作のほうでは、論文が受賞する二年前に作家デビューを果たしている(※以下、直訳で作品名をあげていく。煩雑になるので原題や英語題名は省きます)。デビュー作はモルヒネ中毒者と謎めいた女性との緊迫した関係を描くノワール『ヴィンセント・フランケ事件』だ。当時、犯罪学の博士課程だった作者が、依存や疎外など研究テーマを小説に生かした作品のようだ。翌年、青春ミステリ『片目のウサギ』を上梓したあと、カールソンは『セーレムの見えない男』(二〇一三)を発表する。これは刑事レオ・ユンカー・シリーズの第一作で、最優秀スウェーデン・ミステリ賞を受賞する。二十七歳での受賞は史上最年少となる。シリーズは『堕ちた刑事』(二〇一四)『マスター、嘘つき、裏切り者、友人』(二〇一五)『細い青い線』(二〇一七)と四作で、シリーズ作品は二十カ国で翻訳されたけれど、しかし文名を一気に高めたのは、本書『暗殺の冬』(二〇二一)だった。本書は、ハッランド組曲の第二作であり、これが二〇二三年に英訳されアメリカで出版されて大きな反響をよんだ。本書のあとにシリーズ第一作『嵐のもとで』(二〇一九)と第三作『生者と死者』(二〇二三)も英訳された。スウェーデンでは最新第四作『少し血が落ちている』(二〇二五)も上梓されている。とりわけ『生者と死者』は最優秀スウェーデン・ミステリ賞をふたたび受賞したのに加え、北欧五カ国のスカンジナヴィア推理作家協会が最も優れた作品に与える「ガラスの鍵」賞を受賞している。

 各作品の紹介を読むと、『嵐のもとで』は火災で焼失した農家で若い女性の遺体が発見され、彼女の恋人が逮捕された事件をヴィダル・ヨルゲンソンが捜査を行う物語のようである。最新作の『少し血が落ちている』にもヴィダルが出てくるが、脇役のようだ。どうやら作品はみな独立していて、マルベックやティアルプといったハッランド一帯での、数十年にわたる個人的な秘密や暴力行為の深層をさぐる物語のようだ(『少し血が落ちている』は七十年の歴史を振り返るスパイ小説の趣があるとか)。いずれにしろ、新しい北欧の才能に大注目であるし、ハッランド組曲を続けて翻訳紹介してほしいものだ。