- 2014.09.14
- 書評
一兵卒として戦争にかり出された人々の思い
文:藤井 康榮 (北九州市立松本清張記念館館長)
『遠い接近』 (松本清張 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
作品中、主人公は天皇の名のもとに「ハンドウを回した」兵事係に暴露の手記を書かせ、戦後流行った「反動分子」という言葉を使用させた。ここでの「反動分子」は「軍国主義者」を指す。おなじ「ハンドウ/反動」という言葉が、ひとりの人間から全く逆の意図で用いられているのである。
本文の「言葉は時代とともに意味が変色する。」という文章には、変わり身が早い世相に対する、清張の実感とともに皮肉が込められている。このような、戦後の逆転、あるいは無秩序状態を示すように、当時次々と摘発された軍需品の隠匿事件なども、巧みに取り入れられている。
『遠い接近』連載の直前まで、清張は『昭和史発掘』を書き続けていた。『日本の黒い霧』で占領下の日本の暗部に迫った作家が、歴史を少し遡り、戦争へと傾斜した大正から昭和初期までを追究したのである。
清張は「二・二六事件」(『昭和史発掘』の最終章)のなかで、次のように書いている。
かくて軍需産業を中心とする重工業財閥を抱きかかえ、国民をひきずり戦争体制へ大股に歩き出すのである。この変化は、太平洋戦争が現実に突如として勃発するまで、国民の眼には分らない上層部において静かに、確実に、進行していた。
「二・二六事件」(『昭和史発掘』)
このような歴史の大きなうねりの中に呑み込まれていった庶民の一人として、清張は丹念にノンフィクションを描き物語を創造した。一兵卒として戦争にかり出された人々の思いをエネルギーに変えて、執拗に軍隊内務班の人間模様そして戦後社会の混沌を描き出した。
『遠い接近』は、面白いストーリー展開の中に、時代の実相を色濃く表現し、体験のない世代に提示する貴重な作品である。戦後七十年近い時が流れ、清張没後二十年を過ぎてもなお輝きを放つ作品群の一つである。
清張は、人生の半ばでデビューするまで職業作家をめざしていたわけではなかった。およそ四十二年間の実社会での体験と、若い時からの豊富な読書量が、のちの創作を生み、つきぬ源泉となった。風景から人間心理までその観察力は比類なく、八二歳で倒れるまで、書きたいものが溢れ出していた。亡くなった時は、連載途中の作品以外にも、すでに動き出していた企画がいくつもあり、私たちはフランス取材の手配をキャンセルしたり、本格的になりつつあった調査を断念しなければならなかった。なかでも、戦後史の謎とされる事件について、辻政信および「服部卓四郎機関」「荒木機関」など、明らかにしたいと意欲を燃やしていた。タイトル案は『日本再軍備』――『遠い接近』も、最晩年の構想も、清張作品は色褪せないテーマを持っている。その今日的な視点に胸を衝かれる。
枯渇ということを知らない作家の周辺にいた人たちは、その迫力に圧倒されつづけた。私もその一人である。
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