書評

心に傷を負った人々を、やさしく照らし出す灯り

文: 成田 守正 (フリー編集者)

『深海の夜景』 (森村誠一 著)

 ちなみに『高層の死角』に例をとれば、題材はホテルである。ホテルという場所ではなく、日本経済の高度成長をへてニョキニョキと建ちはじめた超高層ホテルを舞台に営まれる現代人の生き方に着眼して、題材としている。この着眼をサラリーマン社会、ピラミッド社会における欲望と保身というこの時代の人間の生き方を切り口にして、斬新な密室トリックおよびアリバイトリックで彩られた犯罪劇を構成している。一九七〇年代に森村誠一の作品がよく読まれたのは、それが当時の読者の現実感覚に共鳴したからであり、森村誠一が作品数に対応するだけの多彩な題材に着眼し、それを優れた構成力をもって作品に結実させたからである。

 本書『深海の夜景』は二〇〇九年から二〇一三年に小説誌「オール讀物」に発表された七編を収めた短編集で、二〇一三年四月に単行本で文藝春秋から刊行された。二〇一五年、森村誠一は作家生活五十周年を迎えたが、問題意識を土壌に着眼した題材を「時代と人間」を見つめるという切り口で構成する元来の作法は、一九七〇年代から半世紀近くたった本書の作品にも引き継がれている。

「弔辞屋」は六十歳をもって定年退職した二宮という男が主人公。定年前は得られる自由を使うたくさんの予定をたてたが、自由の海の広さに立ちすくんでかえって何もできずにいると、妻から離婚を申し出られて、独りになってしまう。そうするところに就職数年後に南アルプスの登山で知り合い、付き合いながら互いの好意を口に出せないままに終わった女性の訃報が届く。前後してその妹から手紙がきて、姉は「私のただ一人の異性は二宮さん」と言っていた、ついては葬儀で弔辞を読んでほしいと依頼される。二宮は葬儀に参列し、アドリブで弔辞を述べる。するとそれがきっかけで第二の人生が始まる、という内容である。この短編の題材は定年退職である。作品が発表された二〇〇九年は団塊の世代が定年退職するピークの年で、「企業に飼われてきた」サラリーマンたちが余生をどう生きるのかは、世代にとって切実なテーマだった。二宮は「乱費した青春の宝石」を探し出そうと行動して新たな生きがいを見出したわけだが、たとえ年をとっても生きることの可能性に目をつぶってはならないという作者の声が伝わってくる。

「夜景」は突然クビになってたちまち路上生活者に落ちた派遣社員の若者が、当たり屋とみられる男にからまれている女性ドライバーを機転で助ける。お礼のため立ち寄ってほしいと招かれたマンションの窓から東京の夜景を見たことで、それをヒントに小説を書き、それがベストセラーになる。一方でじつは当たり屋と女性ドライバーの間には隠された犯罪の因縁がひそんでいた……。派遣社員の問題と性的なトラウマをかかえる女性たちが題材になっているが、社会的な弱者をどう救済するかの希望と絶望が、並行して書かれている作品と見ることもできる。

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深海の夜景
森村誠一・著

定価:本体660円+税 発売日:2015年10月09日

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