2005.04.20 書評

二十世紀をまるごと書いた

文: 古川 日出男 (作家)

『ベルカ、吠えないのか?』 (古川日出男 著)

 今度、九作めの小説を上梓することになった。第一作を発表したのは一九九八年だから、それから七年。著作数が多いのか少ないのか、ちょっとわからない(個人的には多い気がする)。ただ、僕にとって小説が確実に実戦的なツールになってきているのは、明らかだ。

 どういう意味か? この世の中と格闘するための、武器、ということ。

 小説がただの小説で終わることを、拒否しはじめている、ということ。

 九作めのタイトルは『ベルカ、吠えないのか?』。構想段階での仮題は『∞犬伝』だった。この仮題はもちろん『八犬伝』のもじりで、“8”を横に寝かせて、無限大の記号にしたわけ。どんなふうに読ませるかは、決めていなかった(担当編集者にはとりあえず、「前のめり八犬伝」というふざけた読みを教えた)。ただし、この仮題は内容にはかなり忠実だ。つまり、これがイヌの物語であって、イヌは無限にちかいほどの数、登場するということ。

 本気で、何千頭もが言及される。もしかしたら一万頭を超えたのかもしれない。ちゃんと数えていないので、わからない。

 そんなにイヌを出して、いったい何を書いたのかといえば、歴史だ。それも二十世紀だ。僕はイヌたちの生涯やら、運命やら、そうしたものを通して、いっきに二十世紀を駆けぬける物語を綴ろうと試みた。綴ろうというか、語ろうとした。一見、単なる三人称の小説のふりをしたこの『ベルカ、吠えないのか?』は、本当は僕によって語られている。作者の古川日出男によって、だ。

 いろんな小説で語り手を出したけれども、自分を語り手にしたのは、初めてだった。

 でも、どうしてそんなことをしたのか?

 二十世紀は僕の世紀でもあったから、に他ならない。ようするに、お行儀よく、じっとしているわけにはいかなかったのだ。他人(ひと)事にするわけには、全然いかなかった。そんなことをしたら、嘘になる。

 あるいは世間的には「小説というのは嘘を書くものだ」と了解されているのかもしれない。でも、僕はちょっと待て、と言いたい。僕が本気で世間と渡りあうために書きつづけ/語りつづけているこいつらが、ただのフィクションだって? そんなの、冗談じゃない。たとえばテレビを観る行為、新聞を読む行為、あるいは一種類の教科書だけに歴史を学ぶ行為、そこにはフィクションがないって、誰かは本気で信じちゃっているのか? そして「小説はフィクションの側だ」って、線引きをしているのか?

 冗談じゃない。

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ベルカ、吠えないのか?
古川日出男・著

定価:本体543円+税 発売日:2008年05月09日

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