──蔵人はまたも難しい立場に立たされますね。
葉室 『いのちなりけり』に出ていた『葉隠』も今回の隠れたテーマのひとつです。当時は武士が現代のサラリーマンのような存在になった最初の時期です。『葉隠』は初代サラリーマンの苦しみの発露のようなところがあります。組織に飲み込まれるのが嫌だと感じて行動したのが雨宮蔵人だったのです。そう思った武士が生きていく論理をどう求めるか、言葉では「天地に仕える」「命に仕える」という言い方になるわけです。そういう人間が生きていこうとすると具体的には京に行ってしまう。武家社会の価値観を超えられるところですね。大名の中には古今伝授を受けて文化の伝統を引き継ぎたいという志をもった者がいたように、組織的な武家社会に埋没したくないと思った人間は、文化、雅などに象徴される京に引き寄せられたのではないでしょうか。幕府の枠組みの中に納まりきらない思いというのがそこに集約されていったのではないかと思います。
その中での忠臣蔵、果たして浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)は何を考えたのか、というところに思いがいたったわけです。
──討ち入りに繋がっていくのは自然な流れだったのですね。忠臣蔵は多くの方が書かれているので、扱いが難しかったのではないでしょうか。
納得できない内匠頭の動機
葉室 それこそ名作目白押しで新たに付け加えることがないというのが書き始めたときの印象です。だから忠臣蔵そのものがどうしたというのではなく、雨宮蔵人が関わるとしたら、どういうところで入っていくかと考えました。それと歌舞伎の演目として成立したころから、浅野内匠頭の動機がいじめられたからとなっていますが、それはなんとなく納得がいかなかったですね。物理的な時間も一、二週間ですから、いじめられたってちょっと我慢すればいいでしょう。相手を殺そうとするほどの理由が何かほかにあったはずです。ですから納得がいかないその動機の部分に何か自分なりの考えを出せればいいかな、と。それを考えていたときにひとつには、山鹿流(やまがりゅう)というものが出てきたんです。俗に山鹿流軍学といわれますが、むしろ武士の生き方なんです。侍が個人としてどう生きるかを確立しなければだめなんだということです。
もうひとつは天皇への尊崇の念です。『いのちなりけり』で光圀が『大日本史』を編纂(へんさん)する話が出てきますが、これは朝廷というものを見直していくことですね。過去の権威ではなく、当時の日本で意味があるんだということを位置づけていったのだと思います。その時期のアジアの情勢でいえば、中国では明が滅んで清が興ります。外来の騎馬民族による征服で、王道でなく覇道の国になっているという考え方です。つまり天子が滅びたんだ、と。そのとき光圀が考えたことは、日本には天子がいる。天子が王道を果たす国はアジアではもう日本しかないんだということです。そこに日本の独立自尊的な雰囲気をかきたてる程度のものはあったんだと思います。それが政治だとか過激な思想に関わるものではないでしょうけれど。そういう時代に山鹿流は浸透するものがあったんでしょう。浅野家の家臣たちの行動にも、自分たちの武士としての生き方が問われているんだという考え方が見えます。それと天皇に対する敬意というものがゼロであったとは思えないんです。
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