あまりにもイメージがかけ離れていて、同じ時代の人物だということにすら気がつかなかったくらいだ。
本書の後半で、真田幸村が、四面楚歌になった秀頼に、大坂城を捨て、山田長政を頼ってシャムに渡ってはどうかと進言するシーンがある。
この計画は、いろいろとあって結局は頓挫するのだが、実現していたらどうなっていただろうかと、思わず空想を膨らませてしまう。
しかも本書の前編に当たる『猿飛佐助』で、すでに物語に山田長政が絡んでくる伏線は張られており、柴錬の周到さには本当に舌を巻く。
また、作中で徳川家康が抱えている、自身の生い立ちに関するある秘密も秀逸だ。
この一件だけで、後の家康の行動、例えば築山殿との不和や、信長の命で長子信康の切腹を受け入れたこと、家柄などお構いなしに、側室に庶民の出で後家である茶阿を取り立てていることや、本多正純が家康没後に秀忠に冷遇された理由などが、この構想というかアイデア一つで、殆ど説明がついてしまい、思わず唸ってしまった。
時代小説、特に伝奇ものを書いていると、作中の嘘と史実の整合性を取るために四苦八苦することがあるが、こういう風に、ある一つの奇想(アイデア)によって、全てがパズルのピースのように気持ちよく次々に嵌まるような、言うなれば、何かを「引き当てた」ような快感を得ることが稀にある。
右に挙げた例だけに止まらず、本書は「このアイデア一つで一冊書けるのに」という、そんな奇想が、惜しげもなく次から次へといくつも飛び出してくる、実に贅沢な作品なのだ。
最初に、時代小説ほど自由に好きなことが書けるジャンルはないと記しました。
それを知りたければ、第一歩は簡単。
本書を開いてみることです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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