- 2015.09.14
- 書評
現代人に必要なのは、死に関する“情報”より、死では終わらない“物語”である
文:釈 徹宗
『死では終わらない物語について書こうと思う』 (釈徹宗 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
真に必要なのは「情報」ではなく「物語」
現代人は、情報を操作するスキルは熟達してきました。しかし、情報というのは、新しいものが手に入れば、それまでのものはいらなくなります。役に立たなくなるからです。使い捨てです。情報は決して我々の生や死を支えてくれるものではありません。
これに対して物語は「一度それと出会ってしまうと、もはや無視することはできなくなる」、そんな性質をもっています。たとえば、死後の世界や幽霊の話などを聞いてしまうと、もうそれを意識せざるを得なくなるときがありますよね。お話上手な人からトイレの怪談を聞いてしまうと、その晩からトイレが怖くなる。昨夜までは平気だったのに……。誰しもそんな経験をもっています。
知らない時なら気にならなかったのに、一度それと出会ってしまった限りは意識せざるを得ない。それが物語です。時には「こんなことなら知らない方が良かった」と痛感することさえあります。
人間は「意味の動物」ですので、意味なしに生きていくことは非常に困難です。そして、意味を編み上げて体系化したものが物語です。死に関する物語が枯れている今、私たちはどこかで“死では終わらない物語”を求めているのではないでしょうか。
本書では、そんな私たちの“死では終わらない物語”に関する宗教的琴線を探るため、「往生伝」に着目しました。「往生伝」から始まり、中世日本浄土仏教の来世観、近現代における死後の世界ブームにいたるまで、長い道のりをたどっています。あらためて「往生伝的なもの」は、今でも脈々と続いていることを実感しました。
「今、宗教は物語る能力を取り戻さねばならない」、私はそう考えています。宗教が情報として消費されていく今日、物語に目を向けねばなりません。そこに本書の意図があります。本書では、〈物語り〉などと表記しているのですが、これはナラティブ(物語る行為)も含めているからです。豊かな〈物語り〉に耳を傾けてみましょう、という提言でもあります。
そしてもし、「ああ、これは私のために準備されていた〈物語り〉だ」という出逢いがあれば、もはや他の〈物語り〉で代替することはできません。私にとって唯一無二の〈物語り〉となります。そこに宗教の救いが成立するに違いない、そんな本を書きました。
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