書評

現代人に必要なのは、死に関する“情報”より、死では終わらない“物語”である

文: 釈 徹宗

『死では終わらない物語について書こうと思う』 (釈徹宗 著)

真に必要なのは「情報」ではなく「物語」

 現代人は、情報を操作するスキルは熟達してきました。しかし、情報というのは、新しいものが手に入れば、それまでのものはいらなくなります。役に立たなくなるからです。使い捨てです。情報は決して我々の生や死を支えてくれるものではありません。

 これに対して物語は「一度それと出会ってしまうと、もはや無視することはできなくなる」、そんな性質をもっています。たとえば、死後の世界や幽霊の話などを聞いてしまうと、もうそれを意識せざるを得なくなるときがありますよね。お話上手な人からトイレの怪談を聞いてしまうと、その晩からトイレが怖くなる。昨夜までは平気だったのに……。誰しもそんな経験をもっています。

 知らない時なら気にならなかったのに、一度それと出会ってしまった限りは意識せざるを得ない。それが物語です。時には「こんなことなら知らない方が良かった」と痛感することさえあります。

 人間は「意味の動物」ですので、意味なしに生きていくことは非常に困難です。そして、意味を編み上げて体系化したものが物語です。死に関する物語が枯れている今、私たちはどこかで“死では終わらない物語”を求めているのではないでしょうか。

 本書では、そんな私たちの“死では終わらない物語”に関する宗教的琴線を探るため、「往生伝」に着目しました。「往生伝」から始まり、中世日本浄土仏教の来世観、近現代における死後の世界ブームにいたるまで、長い道のりをたどっています。あらためて「往生伝的なもの」は、今でも脈々と続いていることを実感しました。

「今、宗教は物語る能力を取り戻さねばならない」、私はそう考えています。宗教が情報として消費されていく今日、物語に目を向けねばなりません。そこに本書の意図があります。本書では、〈物語り〉などと表記しているのですが、これはナラティブ(物語る行為)も含めているからです。豊かな〈物語り〉に耳を傾けてみましょう、という提言でもあります。

 そしてもし、「ああ、これは私のために準備されていた〈物語り〉だ」という出逢いがあれば、もはや他の〈物語り〉で代替することはできません。私にとって唯一無二の〈物語り〉となります。そこに宗教の救いが成立するに違いない、そんな本を書きました。

釈 徹宗(しゃく てっしゅう)

釈 徹宗

1961年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『法然親鸞一遍』『図解でやさしくわかる 親鸞の教えと歎異抄』『ブッダの伝道者たち』『仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』(秋田光彦との共著)『聖地巡礼 ビギニング』(内田樹との共著)等、著書多数。

死では終わらない物語について書こうと思う
釈徹宗・著

定価:本体1,500円+税 発売日:2015年09月11日

詳しい内容はこちら


 こちらもおすすめ
書評『仏教シネマ』解説(2013.10.01)
書評まがまがしい夜蜘蛛のイメージにのせて語られる戦争の記憶、老い、恥の意識(2015.05.05)
インタビューほか安心して死を迎えるための〈指南書〉(2010.10.20)
書評悩み解決のトライアスロン(2006.07.20)
インタビューほかそれとない『ご縁』の有難さ(2004.03.20)