この作品をいつの間にか「耳なし芳一の話」と重ねて読んでいた。小泉八雲の『怪談』の一篇。盲僧の芳一は琵琶の名手である。平曲をよく語る。平曲というのは『平家物語』の弾き語り。日本の伝統音楽の大切な一分野である。
その芳一の『平家物語』を、ある貴人が是非に聴きたいという。決まって夜だ。芳一は迎えに手を引かれて館に行く。平曲を語る。居並ぶ人々は感に堪えないふうである。何度も呼ばれる。しかしそのうち寺の方でおかしいと気づく。芳一はやんごとなき筋に密かに招かれているつもりらしい。しかし、この寺の近所のどこにそんな場所があるか。招き主の正体は確かにやんごとなき筋なのかもしれない。けれど、この世のものではない。死人ではないのか。平家の死霊ではないのか。芳一の行き先は案の定、墓場である。壇ノ浦で海の藻屑と消えた平家一門の墓場である。
というか、芳一が壇ノ浦の海底に眠る平家の死霊たちに召し出だされているとすれば、その頂点に居るのは平家の棟梁ではない。平家一門が奉じ、共に海へと没したのは安徳天皇である。芳一はあくまでも天皇の御所に呼ばれている。この世ならぬところの仮御所である。結局、芳一は天皇に呼ばれ、天皇のために語っている。形式的にはそうなる。
とにかく、天皇だろうが平家だろうが、死霊に取り憑かれては、最後にはあの世に連れて行かれる。寺の住職は芳一の全身に経文を書く。そうすると死霊には芳一の姿が見えなくなるのだという。
住職の言う通り。迎えに来た武者の亡霊は、芳一を見つけられない。どこに居るのか。懸命に呼ぶ。でも芳一は黙っている。居ないふりをする。亡霊は諦めかける。が、よく見ると虚空に耳だけが浮いている。住職が耳に経文を書き忘れたのである。亡霊は不思議がりながら耳だけをちぎって持ち帰る。芳一は耳を供物にして死を免れたことになる。平曲の名手としてその後を生きる。
この物語が『夜蜘蛛』の大切な部分にどうも重なる。そう思えてしまう。『夜蜘蛛』は書簡体小説だ。全部が全部、書簡体ではない。頭とうしろにいわゆる地の文がある。けれど、ほとんどの部分が、小説家に宛てた、ある市井の人の書簡の体になっている。
その中で手紙の主の父親が兵隊に取られる。大日本帝国においては、帝国陸海軍を統帥するのは天皇と、憲法で定められていた。日本の軍隊は「天皇の軍隊」と呼ばれた。兵は天皇陛下のお召しを受けて戦地に赴く。手紙の主の父親は三度も召される。芳一が何度も安徳天皇のお召しを受けたように。日中戦争の前線では死にかかる。死霊に取り憑かれた芳一のように。
手紙の主の父親の所属部隊は、危険地帯にのこのこと足を踏み入れ、敵の火線の格好の餌食となる。戦友は周囲でバタバタと戦死。手紙の主の父親も、右足に銃弾を受ける。貫通銃創である。万事休す。下手に逃げ回っては格好の射撃目標にされるだけ。彼は死んだふりをする。戦友たちの死体に紛れて横たわって目をつむり、耳だけで周りの様子を聴いている。盲僧の芳一が居ないふりをしたように。
そこに、平家の武者の亡霊の代わりにやってくるのは、中国軍の兵士である。手紙の主の父親は足の傷の痛みに耐えつつも、ひたすら耳に頼って、足音と中国語を聴いている。ここで本作は「耳の小説」である以上に「足の小説」になる。足を撃たれた揚げ句の果てに死体のふりをしている男に敵の足音が迫る。足尽くしである。『夜蜘蛛』という題名も利いてくる。蜘蛛は八本も足がある。足に特徴づけられる特殊な生き物である。「足の小説」のタイトルに相応しい。
ともかく中国兵は日本兵の死体を改めにきたのだろう。手紙の主の父親の死んだふりには気づかない。芳一同様、捜索者を騙し通す。とはいえ彼は物をとられる。ここで耳を取られれば本当に「耳なし芳一の話」になってしまう。しかし違う。彼を死んでいると思った中国兵は、彼の胸ポケットを改めて、そこにしまわれていた手帳を盗む。そのずっとあとで、彼は耳なし芳一のようにからだの一部も無くすのだが、そして無くすものはこの小説が「足の小説」であるからには足でなくてはならないのだが、とりあえずはまずは手帳だ。妻の写真をはさんであった。兵隊としてというよりも、人間として大切なもの。その手帳を敵兵に抜かれる。芳一の耳の代わりがとりあえず妻ということだ。でも取り返せない。死んだふりをしたまま。その情けなさ。屈辱感。
この瞬間に『夜蜘蛛』の物語が主たる参照項とする歴史的事実も浮上してくる。乃木希典だ。「耳なし芳一の話」はわたくしが『夜蜘蛛』と幾分は同型的な物語として勝手に連想しているにすぎないが、乃木希典はその名が作中に幾度も現れ、小説を構成する主動機のひとつとなる。
乃木は日本陸軍の歴史の中でも最有名な将軍のひとり。日露戦争における旅順要塞攻略戦の指揮官だった。彼は若き日に戦場で物を盗られている。近代日本最大の内乱。西郷隆盛が決起した西南戦争。乃木は政府軍の一員として参加し、西郷軍に軍旗を盗られる。まだ明治憲法発布前とはいえ、大日本帝国の軍隊は既に天皇の軍隊である。部隊の旗はそれを証するものと解される。その旗を盗られる。軍人の最大の恥。死んでお詫びをするほどの失策だ。乃木はそのときは生き延びる。が、それから三十数年後、明治天皇に殉じて自決する。西南戦争のときの恥の意識のなせるわざという説もある。
この乃木の物語と手紙の主の父親の物語は、将軍と一兵卒という大きな相違はある。けれど、同じ天皇の軍隊としての大日本帝国陸軍の一員として戦って、戦場で大切なものを無くした記憶を引きずって生きているという点では、ピタリと重なる。乃木は軍旗を奪われた男としての不名誉をひきずり、手紙の主の父親は戦友たちの死体の中に隠れて生き残った卑怯な男というレッテルを貼られる。共に天皇の軍隊の中で居心地が悪くなる。そこから逃れられなくなった生をいかに完結させるか。天皇の軍隊の中で起きた恥ずべき事象は、それがどんなことであれ、天皇への申し訳なさへと収斂しうる。その呪縛の構造があるかぎり、ひとつの道筋が浮かび上がってくる。
乃木は西南戦争、日清戦争、日露戦争のそれぞれの戦後を、恥を抱えながら、生き延び続ける。時代はうつろっているように見えるが、西南戦争も日清戦争も日露戦争も同じ明治である。天皇は変わらない。手紙の主の父親も日中戦争から太平洋戦争に至る長い戦争を兵士としてさんざんに体験したあと、長い戦後を生きる。時代はすっかり変わったようにも思えるが、日中戦争も太平洋戦争も戦後復興期も高度経済成長期も同じ昭和である。天皇は変わらない。でも明治は大正に、昭和は平成に、ついには変わる。天皇の軍隊に生きて決定的体験をした者の画期はそのとき訪れるのかもしれない。