- 2015.09.14
- 書評
現代人に必要なのは、死に関する“情報”より、死では終わらない“物語”である
文:釈 徹宗
『死では終わらない物語について書こうと思う』 (釈徹宗 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
もう数年前になります。当時文藝春秋の編集者だった川村容子さんと初めてお会いした際、「私たち、お坊さんのお話を聞く機会がめったにないのです。お坊さんが語りかけるような本を書きませんか」と言われました。川村さんは身近な人の葬儀や法事で何度か僧侶の法話を聞いたらしく、そのイメージがあったようです。そんなわけで、お坊さんが「人の死」について教えを説くといった本を目指していたのですが、どうもうまくいきませんでした。
やがて「看取り」や「葬儀」へとテーマが移行していき、川村さんと二人で新潟の長岡西病院(仏教版ホスピスであるビハーラ病棟がある病院)へと足を運んだこともあります。これはこれでとても興味深いものでした。
二転三転する方向性の中、“死では終わらない物語”について書こうと思い至ったのです。
いまや「終活」は一大マーケット
私たちのまわりには、死に関する情報が増加し続けています。
なぜそんなことになるのでしょう。いくつか要因は考えられます。中でも、「延命治療についてどのような態度を表明するか」「末期における緩和ケアという選択」「エンディングノートの作成」「葬儀をどう考えるか」「お墓の問題」など、現代人は自分の死についてさまざまな自己決定を求められていることが大きいと思われます。死についての自己決定を「終活」などと呼称しますが、「終活」がひとつのマーケットとなるほどの事態です。
このように現代は「死に関する情報」であふれています。しかし、その一方で「死に関する物語」はどんどん貧弱になっているのではないか、そこが以前から気になっていました。