昭和23年生まれだ。
こども時分、周りにいたおとなたちには例外なしの共通点があった。
戦火をくぐり抜けてきたという点である。
太平洋戦争末期は日本全土がほぼ連日、米軍爆撃機B29の空爆にさらされた。
両親を含め、死と隣り合わせで生きてきたおとなばかりだった。
わたしの小学生時代の冬は、町のあちこちで落ち葉を集めて焚き火をしていた。
半ズボンで登校中の男児は、霜柱を踏み潰しながら焚き火に近寄った。が、霜に濡れた葉は白い煙を立ち上らせるばかりだ。
「おんちゃん、火が出ちょらんき」
真っ赤な炎をと、こどもがせがんだら。
「なんぼ寒い言うたち、おまえらは今朝もちゃんと生きちゅうやろうが」
こどもは風の子だ。寒いと文句を言ってないで、凍えを突き破って走れ。
焚き火番のおとなから、竹ぼうきを突き出されて追い払われた。
新たな冬を迎えるたびに、おとなに叱られた朝をいまだに思い出している。
*
六十余年の来し方を振り返ったとき。思い浮かぶのは、さまざまな局面で年長者から戒めを受けている自分の姿だ。
叱責されたその時点では、諫めが骨身に染みて省みることはなかった。
なんで年上のひとたちは、同じようなことばかり言うのだろうと、胸の内で反発した。
親の意見と冷や酒はあとで効く。
まさに箴言の言う通りだ。六十半ばを過ぎたいまでは、思い当たることばかりである。
いま小説の舞台としている江戸時代も、いわば戦時下と同じ社会状況だったと思う。
いつ疫病が蔓延するやも知れぬ社会。
病気に対する防備の拙い社会にあっては、命日と隣り合わせに生きている。
昇る朝日に手を合わせて昨日の無事を感謝し、今日の息災を願う。
寒いとぶつくさこぼす小僧たちを、焚き火のそばから追い払ったおとなは……
心の中でいま生きていられることに感謝していた。
近頃めっきりおとなの物わかりがよくなった。
年長者が年下の者を諭すという場面が減ってきた。
次代を思うと身体の芯がうずきを覚える。
いれたての香り高いコーヒーに添えた、ハニーを垂らしたパンケーキ。
カバーの旨そうな絵を味わいつつ、ゆったりとした気分で、よその親爺の説教めいた話に付き合ってくだされ。
先々で、なにかの役に立つかもしれない。
二〇一四年十二月
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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