戦国時代の四国の雄、長宗我部氏の系図は秦の始皇帝にまで遡ることができる。天下を目指して四国を統一した長宗我部元親の公式の文書に記す名前は「長宗我部宮内少輔秦元親」である。氏(うじ)の「秦」を先祖代々名乗っており、そのルーツに大きなプライドを持っていたものと思われる。
長宗我部一族は、聖徳太子の片腕であった秦河勝の子孫でもある。冠位十二階、十七条憲法制定などにも関わり、渡来人の秦氏の影響力は大きかった。
保元の乱で破れ土佐に逃れたのち、長宗我部を名乗り始める。罪人の配流場所でもあった土佐で長い雌伏の時代を過ごした後、元親の父、国親は岡豊城周囲を制圧して徐々に勢力を広げていく。
近年、時代小説のブームは衰えるところを知らない。その要因の一つが『戦国BASARA』などのアクションゲームに幼い時からなじんだ影響が大きいだろう。テレビアイドルのように武将たちの人気投票があり、お気に入りのキャラクターを積み上げていく。少し前から「歴女」なる女性ファンの登場もその人気に拍車をかける。歴史の中の遠い人物だった信長も秀吉も、ゲームによって身近になっているのかもしれない。
その中でも土佐の長宗我部元親は常にベスト10にランクインしている。長宗我部氏一族の興亡を著した江戸時代の書『土佐物語』には元親の容姿や所作をこのように記してある。
此元親は、生得背高く色白く、柔和にして、器量骨柄天晴類なしと見えながら、要用の外は物いふ事なく、人に対面しても会釈もなく、日夜深窓にのみ居給ひければ、姫若子と異名を付けて、上下囁き笑ひけり。(長宗我部友親『長宗我部』(文春文庫)より)
姫若子などと呼ばれ、弱々しいと家臣は嘆いたかもしれないが、美しい武将はゲームで映える。人気の一因はそれかもしれない。
戦国時代の群雄割拠の中で、長宗我部元親は四国を統一し天下を狙った。司馬遼太郎『夏草の賦』という大作を例にとるまでもなく、多くの作家がこの元親を主人公に小説を創っている。
しかし山本一力は一味もふた味も違う戦国小説を登場させた。デビュー作『損料屋喜八郎始末控え』や直木賞受賞作『あかね空』など江戸時代の深川を舞台にした人情小説で人気の高い山本だが、近年、生まれ故郷の土佐を舞台にした骨太の歴史小説に力を注いでいる。『ジョン・マン 波濤編』と『龍馬奔る 少年篇』など、地元出身ならでこその視点で新しい物語を紡ぎだしているのだ。その山本一力が題材に選んだのは、四国の覇者、長宗我部元親が最も恐れた男、蘇我玄蕃頭清宗(波川玄蕃)であった。