と、背景説明はこの位にしておこう。石田さんは、複雑な社会状況の中で、さまざまな選択肢の中から自分の人生にとって何が大切なのかを模索する人々を「リアル」に描く。『シューカツ!』もそうだった。そして、本書で展開されるのは、未婚化の波にさらされているアラサー女子の「コンカツ」である。
この小説を読んでいるうちに、どうも、婚活には二種類あるのではないかと考えるようになった。それは、結婚の二つの要素、「経済的安定」と「ロマンス」、どちらを優先するかに対応している。
「経済的安定」を重視するのが、世間で言われるところの「コンカツ」である。データ婚活と言ってもよいだろう。男女とも自分と相手のデータを計算し、自分を選んでくれそうな相手の中から最もよいデータをもつものを選び、結婚を前提とした交際を申し込む。この小説では、主人公の一人、岡部智香が「義理」でつきあわされる合コンや婚活パーティで、その様子が描かれている。智香は初めて行った婚活パーティで、週末の遊び感覚の合コンと違った「真剣に結婚相手を探している」その雰囲気に驚く(六五ページ)。真剣なのは、人間に対してではない。データに対してなのだ。自分も相手もすべてデータに換算される。そして、男性のデータで最も重要なのは「収入」、女性の方は「年齢」である。しかし、このような婚活には問題がある。本書で繰り返し語られるように、データがいい男性は結婚しているか、ロマンスの相手としては失格。でも、データ婚活をする人は、ロマンスなどなくても結婚後の「経済的安定」があればいいと思うようになっていく。そんな中、智香も「データ」としては申し分ない男性に出会ってしまうのだが、ロマンスを感じることができないうちに、彼はデータ婚活派の若い女性に捕まってしまう。
そして、もう一つの婚活とは、自分の生涯のパートナー、つまりは、二人の関係を生涯楽しむ事ができる相手を探すという「婚活」である。石田さんは、智香に「恋愛とコンカツは決定的に違う。それは鳥と魚くらい違うのだ」と言わせている(一八八ページ)。普通、恋愛相手を探すことは、婚活とは意識されない。実は、私と白河桃子さんが二〇〇八年に『「婚活」時代』を書いた時には、「経済的に男性に依存するのはやめましょう、女性は経済的に多少でも自立していれば、一緒に楽しく暮らせる男性がきっとみつかりますよ」という意味をこめて、婚活と言う言葉を広めようとした。こちらをロマンス婚活と呼ぼう。
日本では、と限定がつくのが悲しいのだが、今のところデータ婚活の方が優勢である。経済的に自立できる職についている若い女性の数は少ないし、子育てしながら仕事を続ける社会的環境が整っていないのだ。このような状況に置かれれば、データ婚活に走るのも無理はない。ただ、データ婚活には限界がある。高収入どころか、定職についている未婚男性の絶対数が不足している。未婚男性(二〇歳‐三九歳)のうち、年収四〇〇万円以上稼いでいる男性は、四人に一人しかいない(明治安田生活福祉研究所、二〇一〇年調査より)。全員がデータ婚活をしても、かなりの数が不成功に終わるという状況だ。
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