2013.10.10 きみは赤ちゃん

第12回 いま、できることのすべて

文: 川上 未映子

 2012年の3月も終わりに近づき、わたしはどこからどうみても妊婦のからだになっていた。あと2ヶ月とかで生まれてくるなんてなーと、どこか他人事のように思い、そしてたえず、お菓子を食べていた。検診の回数も増えたけれど、このごろはエアロビに激しい院長先生の日ではなく、べつの先生の日に行くことにしていたのでそちらの圧力も問題なく、このあいだまでのマタニティー・ブルーの日々がまるで何かの間違いだったかのような、平安な日々。

 このころ、ぐんと体重が増えて、とくに何かを食べたあとには、ちょっと信じられないのだけれど、なぜか3キロとか増えていることもあって、こわかった。3キロも食べたつもりはないのだけれど、でも食べているから増えているわけであって、それ以上はもう、考えないことにした。歩くときに頭の中に鳴る音は「のっし、のっし」で、あいかわらず食べ物はおいしい。何もかもがおいしい。食べるにつれ、頭のどこかが、にぶーく、あまーく麻痺するようで、それがなんだか心地よく、妙に気分がよいのだった。

 季節は春。わたしの胸の中にも春っぽいムードが満ちていて、気のせいか、時間もゆったり流れているような、そんな感じ……。9月の中頃に妊娠がわかって、駆け抜けて、そしていま、3月。毎日のように「いま、何週と何日だな」「何グラムくらいやな」と確認し、色々なことを調べ、感じ、過ごしてきたこれまではあっという間なのだけれど、やっぱり長くて、「こんなふうに妊娠しているのもあと2ヶ月なのかあ、むしゃむしゃ」と思うと、なんとも不思議なあんばいだった。。

 「でも、こんなに大きくなったお腹のなかに入ってる赤ちゃんって、もうぜったいに、出すしかないのよな……」と、これから確実に我が身に起きるであろうことをあらためて思ってみると、お菓子とマタニティー・ブルー明けで適度ににぶくなった頭であっても、すこーし怖いような、そういう「軽いゾッと感」というのはたしかにあって、そのたびにわたしは文字通りぶるぶると頭をふって、そういう一切を、ないことにした。

 わたしは無痛分娩で出産する予定なので、出産じたいの痛みはないはずなのだけれど、しかし当然のことながら、無痛には無痛の準備があって、わたしはじつはそれを恐れていたのである。

 ひとつは、麻酔。無痛分娩の麻酔は背中の脊髄あたりに針をさして、管に変えて、出産が終わるまでそれをさしたまま過ごすことになる。そして本番に入って、陣痛の波が来たら、手元にあるペンシル型の調節器で、そのまんまシャーペンの芯を出すときみたいにカチカチやって、麻酔を足して、痛みから逃れるという、そういう段取りらしいのだけど、そしてシャーペンカチカチはけっこうなのだけど、この麻酔というのが、なんだかとっても痛そうなのだ。

 というのも、わたしは子どものころにある手術のために全身麻酔を受けたことがあって、そのときにも背中に注射みたいなのをしたのだけれど、それが今でも鳥肌がたつくらいの痛みだったことをよおく覚えているからで、考えれば考えるだけ、ゆううつになるのだった。

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きみは赤ちゃん
川上未映子・著

定価:本体1,300円+税 発売日:2014年07月09日

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