2012年の3月も終わりに近づき、わたしはどこからどうみても妊婦のからだになっていた。あと2ヶ月とかで生まれてくるなんてなーと、どこか他人事のように思い、そしてたえず、お菓子を食べていた。検診の回数も増えたけれど、このごろはエアロビに激しい院長先生の日ではなく、べつの先生の日に行くことにしていたのでそちらの圧力も問題なく、このあいだまでのマタニティー・ブルーの日々がまるで何かの間違いだったかのような、平安な日々。
このころ、ぐんと体重が増えて、とくに何かを食べたあとには、ちょっと信じられないのだけれど、なぜか3キロとか増えていることもあって、こわかった。3キロも食べたつもりはないのだけれど、でも食べているから増えているわけであって、それ以上はもう、考えないことにした。歩くときに頭の中に鳴る音は「のっし、のっし」で、あいかわらず食べ物はおいしい。何もかもがおいしい。食べるにつれ、頭のどこかが、にぶーく、あまーく麻痺するようで、それがなんだか心地よく、妙に気分がよいのだった。
季節は春。わたしの胸の中にも春っぽいムードが満ちていて、気のせいか、時間もゆったり流れているような、そんな感じ……。9月の中頃に妊娠がわかって、駆け抜けて、そしていま、3月。毎日のように「いま、何週と何日だな」「何グラムくらいやな」と確認し、色々なことを調べ、感じ、過ごしてきたこれまではあっという間なのだけれど、やっぱり長くて、「こんなふうに妊娠しているのもあと2ヶ月なのかあ、むしゃむしゃ」と思うと、なんとも不思議なあんばいだった。。
「でも、こんなに大きくなったお腹のなかに入ってる赤ちゃんって、もうぜったいに、出すしかないのよな……」と、これから確実に我が身に起きるであろうことをあらためて思ってみると、お菓子とマタニティー・ブルー明けで適度ににぶくなった頭であっても、すこーし怖いような、そういう「軽いゾッと感」というのはたしかにあって、そのたびにわたしは文字通りぶるぶると頭をふって、そういう一切を、ないことにした。
わたしは無痛分娩で出産する予定なので、出産じたいの痛みはないはずなのだけれど、しかし当然のことながら、無痛には無痛の準備があって、わたしはじつはそれを恐れていたのである。
ひとつは、麻酔。無痛分娩の麻酔は背中の脊髄あたりに針をさして、管に変えて、出産が終わるまでそれをさしたまま過ごすことになる。そして本番に入って、陣痛の波が来たら、手元にあるペンシル型の調節器で、そのまんまシャーペンの芯を出すときみたいにカチカチやって、麻酔を足して、痛みから逃れるという、そういう段取りらしいのだけど、そしてシャーペンカチカチはけっこうなのだけど、この麻酔というのが、なんだかとっても痛そうなのだ。
というのも、わたしは子どものころにある手術のために全身麻酔を受けたことがあって、そのときにも背中に注射みたいなのをしたのだけれど、それが今でも鳥肌がたつくらいの痛みだったことをよおく覚えているからで、考えれば考えるだけ、ゆううつになるのだった。
そしてふたつめは、バルーン。バルーンというのは、子宮口を広くするために入れる器具のことで、これは使う人と使わない人がいるみたい。入院するまえの検診の段階で、子宮口がいい感じにちょっとずつ大きくなって、赤ちゃんも子宮の下のほうになんとなく降りてきてる感じがして、「じゃあ*日にしましょうか」みたいな感じで出産の日を決めて入院し、麻酔をして、陣痛促進剤で陣痛を起こして出産、というのが無痛分娩のいちばんしあわせな流れらしいのだけれど、子宮口がなかなか開かない人というのもいて、そういう人はこのバルーンというのを入れる必要があるのだった。これが「ものすごく痛い」という人と「ぜんぜん痛くない」という人に分かれていて、わたしは完全に「そんなん痛いに決まってるやろ」派だった。
だって! 生理痛の痛みには色々な理由があるけれど、ふだん子宮口というのは直径1ミリとかの大きさで、そこを血液が流れてくるときに生じるその痛みが主たる原因であるという話をきいたことがあるからで(わたしは生理痛がかなりしっかりあるほう)、血が流れるくらいであんなに痛い、1ミリしかない直径をですよ、バルーンという器具を入れて数センチにまでひろげる、っていうのが常識で考えて痛くないわけないじゃないか……と、これもまた、まじで恐れていたのだった。
無痛といえども、無痛じゃないのかもしれんな。そう思いながら、ある日、わたしとあべちゃんはM医院が開催する、ぜったいに参加せねばならない母親学級と無痛分娩の説明会が一緒になってるような催しにでかけていった。
世界各国における無痛分娩のありかた、そして歴史……などなどをスライドでみて、それから無痛分娩にまつわるひととおりの説明を受けて、わたしはふむふむとメモをとりつつ、気がつけば「一組140万円支払うとして、ここにはいま20組くらいの人がいるから、この教室だけでもざっと2800万円か……」などと、誰の売上なのか支払いなのか何なのかよくわからない計算などをしているのだった。そのあとも先生の説明に集中するのだけれど、ちょっと退屈になると気がそれて、「で、ひとつきに15人が出産するとして(なにしろM医院はいつだって超満員なのだ!)、一年間で約180人……すると180×140万円で、おおおおおもはやゼロの数がかぞえられへん」みたいな意味不明の計算などがまたもや頭をよぎったりして、これもひとつの現実逃避だったような気もするのだけれど、どうなのだろうか。違うのだろうか。違うよね。
で、説明会の後半。とびっきりの笑顔で院長先生が「はーい!こちらをみてくださーい!」と明るくぱあんと手をたたき、妊婦とそのつきそいたちはスライドの画面に目をやった。するとそこには、人間の感じる痛みの痛さの順位、みたいな図が表示されてあるのだった。
院長「みなさーん。たとえば、切り傷、は、このあたりですね~」
院長先生は、たてに伸びた線の下のほうをペンでさして、このあたりですね~と強調した。「で、捻挫、はこのあたりですねえ~」とその少しうえをペンでしゃっしゃっ。
院長「で、火傷。火傷はやっぱり痛くてですねえ、ちょっと上のほうまでいきま~す」
妊婦たち「……」
院長「で、つぎは骨折。これも、いたーいです。なので、このあたり」さらにうえのあたりを、またもやしゃっしゃっ。
妊婦たち「……」
院長「まあほかにも色んな痛みがあるんですけれど、人間が感じる痛みのなかでもーっとも痛いとされているの、なんだか知ってますか~??」
妊婦たち「(し、しらない……)」
院長「それは?、指のせつだんっ、なんですね!」
妊婦たち「(ゆ、指の切断……)」
院長「指を切断するのが、人間の最大の痛み、と言われているのです!」
妊婦たち「(そ、そうなんだ……)」
院長「で、出産がどのあたりかというと?」
妊婦たち「(……ごくり)」
院長「それは~~~~、」
妊婦たち「(……)」
院長「ここっ!」
つぎの瞬間、院長は思い切り腕を延ばして、その<指の切断>の、はるかはるかはるか上の、もうほとんど枠外といってもいいようなポイントを半ばジャンプするようにペンで猛烈にアタックしたのだった。
妊婦たち「(!!!!!!!)」
院長「でも~~~~~~~」
妊婦たち「(……で、でも……?)」
院長「みなさんは~だいじょうぶっ! なぜなら~~~なぜなら~~~~」
妊婦たち「(…!? )」
院長「無痛分娩だからっ!!!!!!!!!!!」
妊婦たち「(無言の絶叫!!!!!!)」
そりゃ、痛いのはいやだよ。いやだから高額省みず、こうして無痛分娩の産院に通っているんだよ、いるんだけど……わたしは帰りの道々、なんだか複雑な気持ちになってため息をついた。1ミリの子宮口が出産のときには「全開10センチ」になるんやで。普通分娩は、それにシラフで(シラフってのもあれだけど)耐えなあかんのやで……。
しかし妊娠、出産とはなぜこんなに大変なのだろう。なぜこんなにも痛みに満ちているのだろう。わけがわからない。や、わけがわかりたいわけでもないのだけど、しかし。そんなふうに問うてもしょうがないことを思わずにはいられないほど、妊娠、出産はあまりにもしんどすぎる日々ではないか。個人差はあるだろうけれどの数ヶ月、たくさんの種類の痛み、しんどさをあじわい、そしてクライマックスには人間の最大の痛みである指の切断をはるか上回る出産の痛みが待っているのだ。そしてこんなこと言ってみたところでどうにもならないのだけど、男ってほんまに楽やな、とそう思わずにはいられないのだった。社会で働きつづけなければならないのはいまや女性もおなじであって。生んで、授乳して、すぐ復帰せねば、もう戻れなくなるのである。出産のダメージはいったいどれほどのものなのだろう。好きでやっていることとはいえ。望んでやっているすべてとはいえ。そして男性たち。からだには何の変化も痛みもないままに、彼らは、ある日とつぜん赤ちゃんに出会うのだなあ。射精からそこまで一直線なんだなあ。まあ、こればっかりはしょうがないけど、でも、なんとなく、ぼんやりと、そんなことを思うのだった。
家に帰って夜ごはんを食べ、ソファに座って何でもない話をしているとき、ふと、自分があと2ヶ月で、今までとはまったく違う世界の違う生活を送る人間になるのだ、ということを、なぜなのか急に実感するような感じがあって、あ、と思った。「母になるのだ」とか、「親になるのだ」とかそんなふうには思わなかったけど、何かがほんとうに変わってしまうんだとそう思った。親や姉弟はいるし、そのつど影響を与えあってはきたけれど、でも当然のことながら基本的には、やはり「ひとり」を生きてきた、という実感があった。比較的、家族関係が深いわたしでさえ、そういう認識だったのだ。でも、これからは違うのだな。わたしの意志、わたしの都合で、生まれてくる誰かが、いるんだな。それがどんな性格をした、どんな人なのかはわからないし、厳密にいえば、わたしは「誰か」を生むかもしれないけれど、「その子」を生むわけではないわけなのだけど(このへんのこの実感、ちょっとややこしいけれど)、でも、わたしが生まなかったら始まらなかったものが、あと2ヶ月すると、始まってしまうのだ。そして、お互いに、もう後もどりはできないのだ。わたしは二度と、生まなかったことにはできないし、赤ちゃんのほうだって、生まれてこなかったことには、できないのだ。
そして、あべちゃんだって、そうだった。あべちゃんだって、もう後もどりはできないのだ。そして、わたしとあべちゃんの関係も、確実に変化するのだ。こんなふうにふたりで過ごすのは、過ごすことができるのは、どうしたって、あと2ヶ月なのだな。まだ想像が追いつかない頭のなかでそんなことを思うと、なんだかしゅんとしたような容赦のないまっすぐな風がすっと吹き抜けるようなそんな気持ちになった。いま、最後のふたりのためにできることってなんだろうな、とそんなとりとめのないことを思ったりもした。
できるだけ喧嘩をしないこと。日々を楽しく過ごすこと。たくさん話して、お互いが考えていることを、できるだけ伝えること。相手のすべてをあたりまえと思わずに、努力しなければならないことが、やまほどあるような、そんな気がした。
わたしたちは、人生の折り返しのこの時期まで違う場所で、違う相手と違う生活を送ってきた、正真正銘の他人なのだ。その他人が、なぜだかこうして一緒にいて、赤ちゃんを迎えて、これからたぶん、経験したことのない、わからないことばっかりの激動の日々を一緒に乗り越えてゆかなければならないのだ。
そんな大変な日々に飛び込むまえに、「ふたりでもっとちゃんと作りあげなければならなかったものがあるんじゃないか」と思うとものすごく不安になって、そうかと思えば、「いや、そんなのは意味がなくて、人生はお手本なしの応用のみ、こうして出会って赤ちゃんを迎えられるということだけで、もうじゅうぶんじゃないか」というつよい気持ちにもなったり、とにかく両方の気持ちがマーブル模様になって、そんなふうにゆれていると、お腹のなかから赤ちゃんが、元気よくぼんぼーんと蹴るのである。その感触にわたしははっとして、元気ー? と話しかけてみると、ただの偶然なんだけど、でもタイミングよくまたもやぼんぼーん、と蹴るのである。
あれこれと気持ちのことを悩むのも必要だけれども、でもこれ以上ないくらいにたしかなことがひとつあって、それは、わたしのお腹には、ここには赤ちゃんがいる、というそのことだった。このまんまるのお腹のなかには赤ちゃんがいるのだ。そして、わたしはこの子に会うのだ。会いたいのだ。あたりまえのことなんだけど、そう思うと、どこからともなく、泣きたいような、思い切り笑いたいような、そんなよくわからないけれどちからとしか言いようのないものが、たしかに湧いてくるのだった。あと2ヶ月。あと2ヶ月。気づけばそうつぶやいて、もういろいろまかしとけ! どーんとこい! みたいな気持ちになって、待ち遠しいような、面映いような、そんなふうにして夜はすすみ、そして朝になるのだった。