現場全員の心意気が画面に映る
読者の皆さんもよくご存知のように、藤沢先生の原作の魅力は絶大なものです。それを映像化して具現化するということは、当然、生身の人間が出てきます。だいたいのイメージは演出家やプロデューサーの皆さんとお話をして、物語はスタートしますけれど、やはり衣装をつけて、セットの中に入っていくと、その瞬間、必ず発見があるんですよ。それは俳優にだけではなく、参加している人間全員にとってのもので、そこでは沢山のことが生まれていきます。
わずか数秒のカットでも、沢山の皆さんの力を結集して出来上がったものであって、僕はその空気もきっと画面には映っていると思います。映っているのは僕の姿でも、周りで作品を支えてくれている方々の心意気も、想いも全部映る。だから、今回の作品の撮影でも、皆で日々の発見を大事にしながら、進行しているという感じですね。
経験や年齢というのも一切関係なく、会った瞬間にお互い感じるものを活かすことも大事ですよ。頭の中でこう演じようと考えてきても、まずうまくいかない。それよりも瞬間に感じ取ったことをぶつけ合って、それを冷静な目の演出家に判断してもらえばいいんです。若い方との共演の機会は今回のように自分が主人公の作品もあれば、自分の年齢にふさわしい役柄や、それ以外のシチュエーションでも参加していますが、お互い失敗を恐れないのが一番だと思っています。
現場に行けば、もう僕より年齢が上のスタッフの方は、ほとんどいらっしゃらないので、皆さん若いんです。でもその仕事ぶりを見ていると集中力もあるし、真剣だし、僕が思いつかないようなアイディアも持っています。だから現場にはいつ行っても新鮮だし、刺激をいっぱいもらっていますね。
その言葉通り、時代劇の本場である撮影所のスタッフたちは、カメラ、照明、大道具、小道具、音響、衣装とチーム全体の作業を鮮やかな手際で進めていく。さらに取材に訪れた日の撮影現場には、往年のプロデューサーや裏方さんも続々と顔を出した。北大路を「大将」と呼ぶ彼らの姿や、休憩時に座る名前入りの専用椅子は三代目だと聞くにつけ、この地で〈俳優・北大路欣也〉が、どれほど特別でかけがえのない存在なのかひしひしと伝わってくる。
僕の少年時代からの変化というのは、もう信じられないものですよ(笑)。子供の頃は娯楽といえば紙芝居かラジオしかなくて、たまに映画館や京都の南座にかかる歌舞伎や新国劇、新劇なんかに連れていってもらうくらいでした。家ではめんこをやって、あとはビー玉か積み木、外では自転車に乗ったり、川に遊びに行ったり……。
僕の芸名の「北大路」の由来でもありますが、父は京都の北の方に住んでいましたから、山も川も周りは自然に恵まれていました。文字通り泥だらけになって遊んだものです。時代劇を撮影すると、必ず少年時代の原風景に近い場所に行くことになります。土の上に一日中いて、季節の風や匂いを感じて、せせらぎの音を聞いていると、懐かしい出来事が甦ってきて、それも時代劇を僕が演らせてもらう時の魅力であり、楽しみなんです。
こうした雰囲気もすべて、テレビや映画の画面の中には活きてきます。役にだけ集中していて、役が出来上がるということはあり得ないと思いますよ。自分が多種多様なことを経験し、今そこで感じていることを投影しなくては意味がない。たとえば、この清左衛門役も来年だったら、また全然、違ったものになるはずです。