書評

平易な話言葉に凝縮された人生の真実――より良く生きるヒント満載の講演録

文: 関根 徹 (元・文藝春秋編集者)

『心に灯がつく人生の話』 (文藝春秋 編)

 大正十二年一月に「文藝春秋」を創刊した菊池寛は、そのわずか半年後に「地方講演部」を作った。作家を三つの班に分け、地方からの注文に応じて派遣するという組織で、旅費は先方持ち、謝礼は班によって差がつけられている。新進作家の一の組は一人二十円、中堅の二の組は三十円、大家と呼ばれる人々の三の組は五十円である。ちなみに、一の組は川端康成、横光利一、今東光、二の組は直木三十五、小島政二郎、そして三の組には芥川龍之介、山本有三、久米正雄などの名があげられている。菊池自身は当然三の組である。意外な気もするが、これが当時の評価だったのだろう。

 いかにも菊池らしい大胆な企画だが、実際にどのくらいの需要があり、いつまで続いたのかといった記録は残っていない。おそらく関東大震災などの影響で、自然消滅してしまったものと思われる。

 昭和二年には、谷崎潤一郎、佐藤春夫、室生犀星、萩原朔太郎など多彩な顔ぶれに菊池も加わった「芥川龍之介追悼講演會」を全国各地で催したが、これは「芥川龍之介全集刊行會」との共同主催だった。

 文藝春秋独自で講演会を始めたのは昭和九年である。社運が隆盛を迎えた時期で、この年の愛読者大会では初めて「文士劇」を上演して人気を博し、翌十年には、芥川・直木賞を創設している。第一回といっていいこの講演会は、東北地方を皮切りに全国十五大都市で開かれたが、吉川英治、子母澤寛、大佛次郎、小林秀雄、徳川夢声といった講師陣の人気もあって、各地で大歓迎を受けた。すべてに参加した菊池は、大入りを目の当たりにして、雑誌の売り上げ増も期待したようである。

「ところが、盛んに講演會を開いている10月、11月號の雑誌の賣行がちっとも變らないのである」

 と「話の屑籠」に書いている。もっとも、宣伝より読者サービスに主眼がある催しなので、翌年も翌々年も続行された。地方の読者からの要望も多かったのだ。予定に入っていない地方の読者から文句がくるほどで、今回行かれないところには、次にきっと行くつもりだと、「話の屑籠」で弁明している。

 だが十五年になると、戦時色が濃くなり、講演会も「文藝銃後運動」に組込まれた。「銃後の人心を鼓舞する」ことが目的となり、満州、樺太、台湾にも足をのばしている。形も「文藝家協會」との共催ということになった。

 敗戦後の二十一年、菊池が文藝春秋を解散すると、すぐ社員有志が新社を創立して雑誌は復刊したが、講演会を開く余裕はなかった。

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心に灯がつく人生の話
文藝春秋・編

定価:本体610円+税 発売日:2015年06月10日

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